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第240章 グレンの価値

第240章 グレンの価値


高級クラシックホテルの従業員研修は、ダレスを中心に、アゼリー、グラント、そしてホテル学校の講師陣が手際よく進めてくれていた。

すすむはその様子を見守りつつ、細かな設備の調整や備品の確認をしていたが、研修そのものは彼らに任せても問題ない段階に入っていた。


「……さて、次はモノレールの点検でも――」


そう思っていた矢先、玄関の扉が軽く叩かれた。


「すすむさん、今よろしいですか?」


聞き慣れた落ち着いた声。

フランだった。


すすむが扉を開けると、フランはいつもの魔導軍の制服姿で立っていたが、その表情はどこか張り詰めていた。


「どうぞ。何かあったんですか?」


「はい。少し……大きな動きがありまして」


フランは家に上がると、姿勢を正し、静かに報告を始めた。


「シーラス国境検問所に、ザルストツカ帝国の兵が結集し始めています」


すすむは思わず息を呑んだ。


「……兵が? どれくらいの規模なんです?」


「まだ正確な数は掴めていませんが、少なくとも数百。恐ら5千を超える可能性もあります」


フランの声は淡々としていたが、その内容は重かった。


「我が軍として、先日すすむさんが提供した夜行バスで、国内の各地から兵をかき集めています。

夜行バスは長距離を高速で移動できますから……国境への兵力集中が、以前よりもはるかに早くなっています。

しかし、いつ、隣国は攻めてくるか...


すすむは、


「ある程度兵が集まったところで、国境の砦を梯子か何かで乗り越えて攻めてくるか……あるいは火薬で砦ごと爆破するか。そのどちらかでしょう」


「火薬……、そうですね。」


すすむはミネルバでの潜入任務を思い出した。

あの大量の硝石と硫黄。

帝国が本格的に火薬兵器を準備しているのは間違いない。


「でも、なんであの砦を攻めるんです? あそこを越えても、すぐに山道ですよね」


すすむの疑問に、フランは迷いなく答えた。


「このグレン地域を占領したいからです」


「……グレンを?」


「はい。今やこの地域は、王国で最も価値のある場所になっています。

ホテル群、モノレール、ダンジョン、海軍学校、交通網……そして、すすむさんの存在そのものが、

帝国にとっては脅威であり、同時に“欲しいもの”なんです」


すすむは思わず苦笑した。


「……だから最近、ホテル学校の学生が急に増えたのか」


「ええ。卒業後は高級クラシックホテルに優先配属されると聞いていますし、今や“グレンで働く”こと自体がステータスになっていますから」


フランはそこで一度言葉を切り、少しだけ視線を落とした。


「……それで、相談したいことがあるんです」


「相談?」


「はい。シーラス国境検問所周辺は、起伏が激しく、馬車や普通のバスでは移動が難しい場所が多いんです。

夜行バスは街道なら問題ありませんが、荒れた地形では使えません」


フランは真剣な目で続けた。


「そこで……荒地でも移動できる車両を、何か提供していただけないかと」


すすむは腕を組んで考えた。


荒地、起伏、雪、氷、傾斜――

普通の車両では無理だ。

四輪駆動でも限界がある。


(……あれなら、いけるか)


すすむは一つの車両を思い浮かべた。


「雪上車なら、どうでしょう」


「せつ……じょうしゃ?」


フランは聞き慣れない単語に首を傾げた。


「キャタピラーで走る車です。速度は遅いけど、荒れ地のような地形でも走れます。車内も広くて、簡単な居住スペースもあります」


フランの目がわずかに見開かれた。


「そんな車が……本当に?」


「ええ。ちょっと見せます」


すすむはフランを連れて、DIAグレン支部前の広場へ向かった。

ここは夜行バスの訓練を行った場所でもある。


広場に到着すると、すすむは地面に手を触れ、静かに念じた。


――雪上車、出現。


低い振動とともに、白い車体が姿を現した。

幅広のキャタピラー、丸みのある車体、前方には大きな窓。

まるで極地探検隊の基地車両のような存在感だった。


「……これが、雪上車です」


フランは言葉を失っていた。

そこへ、アーリッシュ局長、クリス、そして数名の局員が駆け寄ってきた。


「すすむ殿、これは……車輪がないのか?」


局長が驚きの声を上げる。


「はい。キャタピラーという仕組みで走ります。速度は出ませんが、荒地や傾斜でも問題なく進めます」


すすむは車内の扉を開け、皆を案内した。


内部は広く、簡易ベッド、収納棚、小さなテーブル、暖房設備まで備わっている。


「これは……移動する家ではないか」


局長が感嘆の声を漏らした。


「まあ、そんな感じですね。長時間の待機や偵察にも使えます」


すすむは運転席に座り、操作方法を説明した。

アクセル、ブレーキ、レバー操作、キャタピラーの特性――

局員たちは真剣にメモを取り、クリスはなぜかポーズを決めながら「なるほど!」と頷いていた。


こうして、雪上車の運転訓練が始まった。

1週間にわたり、DIA局員と国境警備隊の混成チームが交代で訓練を受け、荒地走行の感覚を掴んでいった。


そして――


1週間後。


すすむは雪上車60台を国に引き渡すため、シーラス国境検問所へ向かった。

国境付近は緊張感に包まれ、兵士たちの表情は硬い。


雪上車の列が到着すると、国境警備隊長トーソンが深々と頭を下げた。


「すすむ殿……これほどの車両を、これほどの数……感謝してもしきれません」


すすむは首を振った。


「国境を守るのは皆さんです。僕はその手助けをしているだけですよ」


トーソンは胸に手を当て、力強く頷いた。


「必ずや、この地を守ってみせます」


すすむは静かに雪上車の列を見つめた。

その向こうには、帝国の影が迫っている。


(……いよいよ、避けられないかもしれないな)


胸の奥に、重いものが沈んでいくのを感じた。


雪上車六十台の引き渡しを終え、すすむはグレンへ戻るためにヘリへ乗り込んだ。

国境付近の空気は重く、兵士たちの視線には覚悟と不安が入り混じっていた。

すすむはヘリの窓から遠ざかる国境線を見つめながら、胸の奥に沈む感情を整理できずにいた。


(……これで、少しは守りやすくなるはずだ)


そう思いながらも、帝国の動きは明らかに“次の段階”へ進んでいる。

砦の上書き消去で一度は侵攻の足場を奪ったが、帝国は諦めていない。

むしろ、より直接的な手段を選び始めている。


「すすむさん、大丈夫ですか?」


操縦席の隣からマリーが声をかけてきた。

彼女は最近、ヘリの操縦訓練を終え、補助操縦もできるようになっている。


「うん。ちょっと考え事をしてただけ」


「……帝国のこと、ですよね」


すすむは苦笑し、頷いた。


「まあね。でも、僕が悩んでも仕方ないし。できることをやるだけだよ」


マリーは安心したように微笑んだ。


「はい。私も、できることをやります」


ヘリはゆっくりと高度を下げ、グレンの街並みが視界に広がった。

高級クラシックホテルの塔屋、モノレールの軌道、リゾートホテル群、そして新しく整備されたニュータウン。

すすむが関わってきた全てが、ひとつの都市として形を成している。


(……守らなきゃいけない理由が、増えすぎたな)


そんな思いが胸をよぎった。


グレンに戻ると、ホテル学校の学生たちが実習のために街を歩いていた。

制服姿の若者たちが、メモ帳を片手にホテルのロビーやレストランを見学している。


「すごい……また増えてるな」


すすむが呟くと、マリーが笑った。


「最近は“グレンで働きたい”っていう若者が本当に多いみたいですよ。王都からも、エレニアからも」


「ありがたいけど……ちょっと複雑だな」


「どうしてですか?」


「いや、なんというか……僕のせいで、グレンが“狙われる理由”にもなってるから」


マリーは立ち止まり、すすむの手をそっと握った。


「すすむさん。あなたが作ったものは、誰かを幸せにしているものばかりです。

それを狙う人たちが悪いのであって、すすむさんのせいじゃありません」


すすむは少し照れながらも、マリーの言葉に救われる思いがした。


「……ありがとう」


「はい」


二人は手を繋いだまま、ホテル学校の校舎の前を通り過ぎた。

窓の向こうでは、ダレスがワインセラーの授業をしているらしく、学生たちが真剣にメモを取っている。


(……本当に、立派になったな)


ダレスは元々設備管理担当だったが、今ではホテル学校の校長として、学生たちの未来を支えている。

すすむはその成長を誇らしく感じた。


その日の夕方、すすむはDIAグレン支部を訪れた。

雪上車の訓練を終えた局員たちが、整備や点検を行っている。


「お疲れ様っす、すすむさん!」


クリスがいつもの軽い調子で手を振ってきた。

しかし、その顔には疲労の色が濃い。


「訓練、大変だった?」


「いやー……キャタピラーって、思ったよりクセがあるんすよ。

でも、慣れると楽しいっす。こんな大きな物、うごかせるなんて。」


フランも近づいてきた。


「すすむさん。雪上車の配備、本当に助かりました。

これで、国境周辺の偵察が格段にやりやすくなります」


「役に立てればよかったよ」


フランは少し表情を曇らせた。


「ただ……帝国の動きは、やはり不穏です。

国境付近の森で、見慣れない足跡が複数見つかりました。

恐らく、偵察部隊が入り込んでいます」


「……もう始まってるのか」


すすむの声は自然と低くなった。


「はい。まだ小規模ですが、確実に“準備”を進めています。

国境の砦を消されたことで、帝国は焦っているはずです。

次は、もっと直接的な手段に出るでしょう」


すすむは深く息を吐いた。


「……わかった。僕も何か考えてみるよ」


フランは静かに頷いた。


「お願いします。

帝国は、グレンを“王国の心臓部”と見ています。

ここを落とせば、王国全体を揺さぶれると考えているはずです」


すすむは空を見上げた。

夕焼けが街を赤く染め、モノレールの軌道が影を落としている。


(……守らなきゃいけないものが、また増えたな)


その時、アーリッシュ局長が建物から姿を現した。


「すすむ殿。少し、お時間をいただけますか」


「はい。何かありましたか?」


局長は周囲を見回し、声を潜めた。


「帝国の動きについて……王都から、ある“要請”が届いています」


すすむは眉をひそめた。


「要請?」


「はい。

王国は、帝国の侵攻に備え、“ある計画”を進めたいと考えているようです。

その計画には、すすむ殿の協力が不可欠でして……」


局長の言葉はそこで途切れた。

しかし、その表情はただ事ではないことを物語っていた。


すすむは静かに頷いた。


「……わかりました。話を聞かせてください」


夕暮れの風が吹き抜け、街の灯りがひとつ、またひとつと灯り始める。

グレンの夜が始まる頃、すすむは新たな局面へと足を踏み入れようとしていた。


アーリッシュ局長に案内され、すすむはDIAグレン支部の会議室へ入った。

窓は厚いカーテンで閉ざされ、室内には地図と資料が広げられている。

フランとクリスも同席し、空気はいつになく張り詰めていた。


「王都からの要請というのは……?」


すすむが尋ねると、局長は静かに頷き、机の上の地図を指した。


「帝国の動きが活発化していることは、王都も把握しています。

そこで、王国は“国境防衛計画”を本格的に始動させることを決めました」


「国境防衛計画……」


「はい。

帝国が火薬兵器を準備している以上、従来の砦や城壁では防ぎきれません。

そこで、王国は“新しい防衛線”を構築したいと考えているのです」


局長はすすむをまっすぐ見つめた。


「そのためには、すすむ殿の協力が不可欠です」


すすむは息を呑んだ。


「……僕に、何を?」


局長は地図の国境線を指でなぞりながら説明した。


「帝国が越えてくる可能性が高いのは、このシーラス国境検問所近くの谷間のルートです。

ここに、帝国の火薬でも破壊できない“新型の防壁”を設置したい。

しかし、王国の技術では到底不可能です」


フランが続けた。


「すすむさんの“建物生成”なら、短期間で強固な防壁を作れます。

帝国が攻めてきても、時間を稼げるはずです」


すすむは地図を見つめた。

谷間は狭く、確かに防衛線を築くには適している。

しかし――


「……僕が作ったものが、戦争に使われるのは、正直あまり気が進まないんだけど」


すすむの本音だった。

これまで作ってきたものは、人を助けるためのものばかりだ。

戦争のために使うことは避けたかった。


局長はすすむの気持ちを理解したように、ゆっくりと頷いた。


「すすむ殿の気持ちはよくわかります。

しかし、帝国はすでに侵攻の準備を整えつつあります。

このままでは、グレンも、王都も、国全体が危険に晒されます」


フランも静かに言葉を重ねた。


「すすむさん。

あなたが作るのは“戦うための壁”ではありません。

“守るための壁”です。

私たちが戦う時間を稼ぐための……」


すすむはしばらく黙り込んだ。

地図の上に広がる国境線を見つめながら、胸の奥に重いものが沈んでいく。


(……僕が作らなければ、誰かが傷つくかもしれない)


(……僕が作れば、守れるかもしれない)


すすむはゆっくりと顔を上げた。


「……わかりました。

できる範囲で協力します」


局長は深く頭を下げた。


「感謝します、すすむ殿。

王国は、あなたの力を必要としています」


クリスは拳を握りしめ、ポーズを決めながら言った。


「すすむさん、俺たちも全力で守りますから!

壁だけじゃなく、俺たちもいます!」


フランは苦笑しつつも、真剣な目で頷いた。


「はい。

すすむさんが作ったものは、必ず私たちが守ります」


すすむは二人の言葉に、少しだけ肩の力が抜けた。


「ありがとう。

じゃあ、具体的な場所と規模を教えてください。

現地を見ないと、どんな壁が必要かわからないから」


局長は地図を折り畳み、すすむに手渡した。


「明日の朝、ヘリで国境へ向かいましょう。

王都から軍務卿も合流します」


すすむは頷き、会議室を後にした。


夜。

すすむは自宅のリビングで、地図を広げていた。

マリーが温かいお茶を淹れてくれ、隣に座る。


「……大変なことになってきましたね」


「うん。でも、やらなきゃいけないことだから」


すすむは地図を指でなぞりながら、谷間の地形を確認した。


「ここに壁を作れば、帝国は簡単には越えられない。

でも、火薬を使われたら……」


「すすむさんが作る壁なら、大丈夫です。

あの砦を上書きした時の建物……あれは、帝国の火薬では壊せません」


マリーはすすむの手をそっと握った。


「すすむさん。

あなたが守ろうとしているものは、たくさんあります。

私も、クリスも、フランも、みんなも……

すすむさんの作るものを守るために戦います」


すすむはマリーの手を握り返した。


「……ありがとう。

本当に、ありがとう」


マリーは微笑んだ。


「はい。

明日は早いですから、少し休みましょう」


すすむは地図を畳み、深く息を吐いた。


(……守るための壁か)


(僕が作るのは、戦争の道具じゃない。

誰かが生き延びるための時間を作るものだ)


すすむは静かに目を閉じた。


翌朝。

すすむ、マリー、フラン、クリスはヘリに乗り込み、国境へ向かった。

空は澄み渡り、遠くの山々が白く輝いている。


「すすむさん、あれを見てください」


フランが指差した先には、国境の谷間が広がっていた。

その奥には、帝国側の森が黒い影のように続いている。


すすむは深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。


(ここに……壁を作る)


(守るために)


ヘリは谷間へ向かって降下していく。

すすむの新たな決断が、王国の未来を左右する――

そんな予感が胸に広がっていった。

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