第一話 明日の天気は分からない
「おはようございます」
女が、寝ている男に声をかける。
男は、ベッドに斜めに突き刺さるような格好で寝ていた。
明るくなった窓際の皿には、吸い殻が山になっている。
「レオン、起きてください」
「……もう少し」
「もう三回目です」
「じゃあ、あとたくさん」
「起きてください」
アリアは掛け布団を剥ぎ取った。
「寒ぃ……」
「厳しいなぁ、アリアは。もう少しおっさんを労れっての」
レオンは毛布へ手を伸ばした。
しかし、その前にアリアが取り上げる。
「まだ三十六歳ですよ? お・に・い・さ・ま」
白を基調とした聖女服に身を包み、朝の光をそのまま纏ったような銀髪と清らかな顔で立っている。
誰が見ても慈愛深く、美しく、神々しい。友愛の聖女と呼ばれるのも納得の姿だ。
ただしレオンは知っている。
この女は、自分相手だと容赦がない。
「それにしても……ひどい部屋ですね」
「男の部屋なんてこんなもんだろ」
「それは……知りませんが。少なくとも、吸い殻を皿に山積みにするのはやめてください」
「ちゃんと皿にまとめてるんだから偉いだろ」
「基準が低すぎます」
レオンは欠伸を噛み殺しながら、ベッドに腰かけた。
「おはようございます」
「で、何か用か?」
「おはようございます!」
「お、はよう?」
アリアの圧に負けたレオンは、渋々挨拶をした。
「はい、よくできました。食事です」
そう言って差し出された包みから、焼きたてのパンの匂いがした。
レオンの喉がごくりとなった。
アリアの口元が、ほんの少しだけやわらいだ。
「ほら。やっぱりです」
「……くれるのか」
「煙草だけで済ませないでください、という意味です」
「気が利くな! さすがは聖女アリア!」
「さっさと食べて、働く準備をしてください」
レオンはパンを受け取ってかじる。
その間、アリアは手際よくレオンの部屋を片付ける。
隣の家に住み、朝食を作り、こうしてレオンを起こす。
いつの間にか、それが当たり前になっていた。
大戦から十年。
外では日常が始まっていた。露店からは威勢のいい声が飛び、子供たちが走り回り、洗濯物が風に揺れている。
「遠回りしていませんか?」
「そうか? 気のせいじゃないか?」
口笛を吹きながら上機嫌に歩いているレオンへ、アリアがジト目を向ける。
通りすがりの花売りの少女が、ぱっと表情を明るくした。
「聖女さま!」
「こんにちは。今日は元気そうですね」
「うん!」
アリアが膝を折って目線を合わせると、少女は嬉しそうに笑った。
頭を撫でてもらった少女は、花を一輪差し出す。
アリアは困ったように笑いながら受け取り、代わりに小さな祝福を返した。
少女が去っていくのを見て、レオンは鼻で笑う。
「相変わらず人気者だなぁ」
「子供は可愛いですから」
「俺にもああいう優しさ向けてくれてもいいんだぞ」
「レオンは子供ではありません」
「おっさんに厳しい世の中だ」
そんな調子で街を一回りしてから、ようやくギルドへ向かった。
「うわ、酒臭ぇ……」
レオンは本気で嫌そうに顔をしかめた。
「昼から飲んでるやつら、頭おかしいだろ」
「そこまで言わなくても」
「いや無理だって。煙草の煙の方がまだ綺麗だぞ」
「それはさすがに同意しかねます」
依頼板の前に立ち、適当に紙を眺める。
薬草採取、護衛、討伐、捜索。
「……これでいいか」
依頼書へ手を伸ばした、その時だった。
ギルドの入口が開き、二人の使者が入ってきた。
神殿の法衣をまとっている。
まっすぐレオンの前まで来ると、深く一礼した。
「太陽の勇者様。突然の訪問をお許しください」
「人違いだ。俺は鉄壁の槍使いレオンだ」
「承知しております。太陽の勇者様」
「………真面目だなぁ」
「お願いしたい儀があり、参りました」
「お願いねぇ……」
神殿の使いが、両手で封書を差し出した。
「神殿より、冒険者ギルドを通じて依頼をお預かりしております。お目通しいただけますでしょうか」
「………ふぅ、ま、神殿から直接じゃねぇだけ、まだマシか?」
「ご配慮に感謝いたします」
レオンは嫌々、封書を受け取った。
アリアが横から静かに覗き込む。
「読みますか?」
「いやな予感しかしないから読みたくない」
「でしたら、私が読んで差し上げます」
「聖女様の優しが身に染みるよ」
アリアは封書を開いた。
「現在、エルフの勇者が大型竜の討伐へ向かっています。」
「ふーん」
「それに伴い、追加戦力として太陽の勇者様と友愛の聖女様の応援出動を要請しております」
「却下」
即答だった。
神殿の使いは、わずかに目を伏せた。
「……ご不快にさせてしまい、申し訳ございません」
「そういう話じゃねぇよ」
「はい?」
「大型竜なんか、エルフの勇者に任せとけ。勇者一人と一軍でも過剰戦力だ」
「おっしゃる通りです。ですが――」
神殿の使いは、手元の書類へ目を落とした。
「討伐対象が、大型甲種の竜である可能性が高まっております」
「……はぁ、それ、先に言えよ」
レオンの眉が、ぴくりと動く。
「いや、聞きたくはなかったけどな」
レオンは封書へ目を落とした。
「大型甲種への対処を、エルフの勇者一人で行うのは困難かと存じます」
レオンは大きく息を吐いた。
「面倒くせぇな……」
神殿の使いは、レオンへ深く頭を下げた。
「ご無理を承知でお願いしております。どうか、お力をお貸しいただけないでしょうか」
「……行くよ。行けばいいんだろ」
「ありがとうございます、太陽の勇者様」
「俺は鉄壁の槍使いレオンだ」
神殿の使いは、受諾書を両手で差し出した。
「恐れ入りますが、こちらにご署名をお願いいたします」
「早いんだよ、準備が」
「太陽の勇者様のお気持ちが変わられる可能性も、あらかじめ考慮しておりました」
レオンは受諾書に乱暴な字で『鉄壁の槍使い』のレオンと署名した。
その横顔を見たアリアの表情が、ぱっと明るくなった。
「ありがとうございます、太陽の勇者様」
人前だからか、声は穏やかなままだった。
けれどレオンには分かる。
今のは、本当に嬉しい時の顔だ。
「鉄壁の槍使いレオンだ」
「はい、存じ上げております」
「ったく……」
レオンは顔をそむけ、新しい煙草を取り出した。
が、火をつける前にアリアがじっと見る。
「一本だけですよ」
「分かってる、怖ぇんだよ」
レオンは肩をすくめる。
「で、出発はいつだ」
「明日朝一、お迎えに上がります」
「はっや!」
「さて、準備をしましょう」
「飯食ってから」
「そのくらいなら構いません」
「昼寝も」
「駄目です」
この聖女様は、放っておくと駄目になる墜ちた太陽を見逃さない。
だから今日もこうして、腐った俺の背中を押すのだ。




