↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
7/10

第七話:ホーム・スイート・ホーム

 あたまのわるいやつってのはとことんあたまのわるいもんでさ、たしか阪神がドラゴンズに10ゲーム差で優勝した年だから、もう二十年以上も前のことになるけど、おぼえてるかい? あのころ俺は、あの、もう、いまは閉めちまった雑貨屋? タバコ屋? 葉巻店?――なんでもいいけどさ。要は、まちがったコンビニ兼迫害されし愛煙家たちのたまり場兼灰吹きたちのグレイブヤードに雇われていたわけだ。店番、レジ打ち、用心棒、ヤニカスたちの話し相手としてな。


 で? ああ、そうそう。その阪神が優勝した年の八月、金本がドラゴンズ相手に二日連続でホームランかっとばして、やつらの息の根止めただろ? あれの翌日とか翌々日とかだよ、あのくっそ暑い中、軍隊みたいなレインコート着たガキが店に入って来て、いや、もう、なさけないったらなかったね、よちよち歩きの赤ん坊でもしないような万引き始めやがってよ、店にあったガムとかパンとかエロ本とか、そのままコートにかくし始めたんだよ。


 で、まあ、俺も、はじめはあっけに取られたって言うか、きっとなにかの冗談だろうとおもったからよ、ただただ遠目に見てたんだけどさ、そしたら、ほら、やっかい者のデブのスー。いただろ? あいつも丁度店に来ててな、


「なあ、おい、レンさん」って言うもんだから、俺もようやくハッとしてよ、叫んだんだよ。そのガキに向かってな、「おい! こら! このガキ! なにしてやがる!」


 そしたら、まあ、あのガキ、とおりに飛び出して行ったんだが、その足のはやいこと、はやいこと、バントのときの赤星かってくらいはやくってさ、いや、まあ、俺も足には自信あったんだぜ、まだまだ若かったし、自衛隊にいたころも俺よりはやいやつはあんまいなかったしな。だけどほら、カウンター飛び越えるときにひざを打ったのと、あのガキ、走りながら、パンやらガムやら袋とじが開いたエロ本やら、店からギッたのぱらぱらぱらぱら落としていくからよ、元アイドルのヘアヌード往来に開いたままにしておくわけにもいかねえだろ? だからこっちは、そういうの拾いながら走るワケだよ。


 だから、まあ、200mは追いかけたんだけどさ、そこでつかれて、追いかけるのやめたわけだよ、やつのせなかは米粒みたいになってたし、元アイドルのお姉ちゃんはやたらとエロい目で俺を見て来るし、それにさっきも言っただろ? あたまのわるいやつってのは、ほんとにとことんあたまがわるいもんでさ、あのバカ、てめえのサイフも落として行きやがってんの! パンやなんかと一緒に! わらったねえ、こっちは。


 で、まあ、それから店にもどって、スーのやつが店番してくれてたから礼言って、さあ、警察に届けてやろうと奥の部屋であのバカのサイフみたんだけどさ、そしたら、あのバカも野球やってたんだな、免許証と一緒にいくつか写真がはいっててよ、シニアだろうな、青のユニホーム着て、そっくりな顔の母親と一緒にあほみたいな顔して笑ってんだよ。ああ、こりゃダメだなって想ったね。いくら速かろうが上手かろうが、野球ってのはあたまが悪いとやってけないし、あたまがよくても、続けるには家に金がねえといけねえからな。


 で、まあ、そんなの見てるとよ、なんだかちょっとかわいそうな気にもなって来てよ。先の知れてる貧乏人のガキひとり、警察に突き出すほどでもねえやってな。結局あのガキ、盗んだもんぜんぶ落として行きやがったし、スーは変な顔してたけど、サイフは奥の棚にしまって、あいつが取りに来たら、ひと言あやまらせて無罪放免、そうしてやろうって想ったんだ。


     *


 夕食の準備が終わり、寮監長の柳瀬先生が「もう上がっていいですよ」と言ってくれた。しかしさかえは、「ええ、はい、それじゃあ、ちょっとこれだけ」と言って結局、大女のムーちゃんと一緒に、鍋やボウルやフライパンを、鏡みたいにきれいにしてから厨房を出た。大女のムーちゃんが自分ひとりでは心配だというような顔をしていたからだし、こころ残りは少しでも減らした方が、今夜の外出を楽しめると想ったからだった。


 さかえは、背がたかく、かくしゃくとしていたが、もともと少なかった肉もあらかた落ち切り、骨と皮ばかりに――はさすがに言い過ぎだが、要は、旦那に先立たれ、貯金も少なく、年金だけでは生きていけない、最近よく見かけるタイプの老婆であった。あごは細くすっきりしていたが、妙に鼻が長かったので、寮住みの小さな子供たちの中には、ひょっとすると彼女は魔女なのではないか、とうわさする一団もいた。大女のムーちゃんを上手に使いこなすし、鬼のようにこわい柳瀬先生も彼女の前ではすっかり優しいいい人になっていたからだ。そう。たしかに彼女はよくこう言っていた。「さかえさんがいてくれて、ほんっとに助かります」


 なぜならさかえは、料理や洗濯、子供たちの扱い(この寮には生意気盛りのわんぱくどもが小中と揃っていた)はもちろん、彼らを世話する女たちの扱いにも長けており、彼らの喧嘩の仲裁や、ちょっとしたこころのケアなんかも、けっして嫌味にならない程度に、上手にしてくれていたからである。みんなが彼女を好きになる。そんな雰囲気をさかえは持っていた。そうして、


「それじゃあ、気をつけて」と柳瀬先生に言われ、「た、パッ、パーティー、たのしんで」と、大女のムーちゃんに見送られながらさかえはひとり寮を出た。


 彼女は、地味でも趣味のよい服装をしていたが、指輪やブローチなどの装飾類は一切身に付けていなかった。むかしは結構持ってたが、二十年ほど前、そっくりすべてを手放したからだった。


 寮の前のバス停でバスを待っているあいだ彼女は、財布の中のメモを取り出し読み返した。今夜のパーティーの開始時間を再度確認したかったのである。


 時間は十分にあった。服屋に頼んでおいたスカーフを取りに行き、商店街のお菓子屋にフルーツケーキを買いに行く余裕も十分にある。あそこのケーキは坊やの大好物だからね、とひとりで想ってひとりでわらった。くすくすくすくす。とシンちゃん――今日、さかえを誘ってくれた、これから行く家の主――も小さい頃からあの店のケーキが好きだったわね、とそんなことも想い出しながら。


     *


 で、ほら、あの年の9月29日だよ。ジャイアンツ相手に甲子園でさ、九回表、ツーアウト、走者はな……え? なんだって? うっせえなあ、東京生まれで阪神愛してなにがわりい、ほっとけよ、どうせおまえも相撲にしか興味ねえんだろ? いいから聞けよ。マウンドにはJFKの最後を担う抑えの久保田、バッターボックスには俺の嫌いな阿部慎之助だ。久保田がこうして、ビュッと投げたら、阿部の野郎、ガッとこうして、みごとに打ち上げちまってよ。ボールはレフトへ、そしたらここでも金本だよ、あいつががっちりボールをキャッチ、ゲームセットの5対1。金本がこう、グラブを高く突き上げて、球場中が大歓声の紙テープ。岡田さんを胴上げして……って、いやあ、ありゃあいい年だった……、で終わらねえから困ったもんなんだよな、野球ってのは。


 え? なんの話か分からない? まあ相撲しか見てねえと分からねえか。やっぱなあ、優勝から一ヶ月も開いちまってたし、ロッテも勢いづいてたから仕方ないとは想うんだ……知らない? ほんとに知らねえのか? あー、あれだよ、あれ、33対4。忘れもしねえ、33対たったの4点。10月の22日から26日までの日本シリーズ。ロッテ相手に四連敗。まさかの合計得点33対4の圧倒的大敗北で日本一をのがしやがってさあ、ありゃ、もう、史上最大の悪…………ってなあ、俺もそいつに、ちょっと噛んじまった気が、しないでもねえんだよなあ、これが。


     *


「わあい! さっちゃんだ!」


 と、シンちゃん――神原信士の家に着くなり、小さな子どもが三~四人、ドタバタドタバタ、玄関から飛び出して来ては彼女の手を引っ張った。パーティーにはどうやら、近所のひとも呼んだ様子で、小さなお家には妙な熱気が流れていた。飛び出して来た子どもたちのお目当てはもちろんさかえ本人だが、また、それとは別に、彼らは、彼女が抱える紙袋のなかには、普段けっして食べられないような美味しいお菓子がどっさり入っていることも知っていた。


「すみませんね、さかえさん」


 と、そんな子どもたちから問題の紙袋と手提げのケーキ箱を避難させながら、この家の夫人、神原元子は言った。今夜は彼女の誕生パーティーだった。


「あたしの趣味で選んじゃったけど、大丈夫?」さかえが訊いた。


「大丈夫もなにも」元子は答えた。「みんな大好きですよ、ここのケーキ――ほらほらみんな、さっちゃんにお礼を言って。お菓子もケーキもごはんのあとよ」


 子供たちは応えた。声をそろえて、


「ありがと、さっちゃん!」


     *


 第一戦は俺も見に行ったんだよ。千葉だったし、セ・リーグ優勝のときの独走と歓喜がまだ残ってたからな。ロッテくらい簡単に負かすだろうって。そしたらおまえ、一回の裏からいきなり今江のソロホームランだよ、「いきなり喰らうか? 井川の野――(編者注:ここには最初、ものすごく長い試合解説&野球談議が入っていたのだが、あまりにも本編とかけ離れた内容だったため、私の独断で、大体一万二千字ほどをバッサリザクッとカットしている。どうかこの旨ご理解頂き、以降をお楽しみ頂きたい)――で、そしたら、七回の途中だよ。すっごい濃霧でコールドゲーム。コールド、ゲーム。日本シリーズ初の濃霧コールドゲーム。ありゃあ、おまえ、流石の俺も、なんだか空恐ろしくなっちまってよ、帰りの電車はお通夜みたいな――ってもまわりはほとんどロッテファンだから、お通夜なのは俺ひとりだったけどよ。


 で、まあいろいろ考えるわけだ。「たかがロッテにあそこまで打たれるか?」とか、「ひょっとしてなにか呪われてんじゃないか?」とか、「いったい誰の行いが悪いんだ?」とかな。


 で、ここの駅に着いて、ホームに降りて、はたと俺は気が付いたね。例のサイフだよ。あのバカが落として行ったあのサイフ、あれからあいつは結局店には来なかったし、俺も家に送ってやろうと想いながらも、ついつい送りそびれてた、あのサイフ。で、俺は走った。店のカギを開けて、奥の棚にしまっておいたあのガキのサイフを取り出した。住所は分かってる。そう。つまり俺は、ここで一発善行ってやつをしてやろうと考えたわけさ、阪神のためにな。このサイフを直接、例のバカガキに返してやろう、そう考えたわけさ。


     *


「まあ、すてき、見てみてあなた、すてきじゃない?」


 さかえがくれたスカーフを首に巻きながら元子は言った。ラベンダーベースの草花をモチーフにしたデザインが、細身で肌のしろい彼女によく似あっていた。


「ごめんね、さっちゃん、気をつかわせて」信士が言った。「来てくれるだけでよかったのに、ケーキやお菓子まで」


「いいのよ、気にしないで」さかえは答えた。「せっかくのお呼ばれですもの、みんなが喜んでくれるのがうれしいんだから」とそれから、「それよりほら、元子さんに似合うって言ってあげて」


「え? あ、ああ、ごめん」信士は応えた。「とても似合ってる。きれいだよ、元子」


 信士はすでに少々お酒を飲みすぎていたが、顔に出るタイプではないので、いま顔が赤いのは、きっと別の理由だろう。おんなふたりは目を合わせ、してやったりと、声には出さずにほほ笑んだ。他のお客や子どもたちは、めいめい会話を楽しんだり、ゲームをしては笑い合っていた。台所に置かれたラジオから、つぎのような曲が流れた。



 『埴生の宿も わが宿

  玉のよそい うらやまじ

  長閑なりや はるのそら

  花はあるじ とりはとも』



 子どもたちのひとりが、お皿に載せたお菓子を三人のところに持って来た。さかえと元子は、アーモンドにキャラメルをからませたものをひとつずつもらった。信士は干しぶどうのたっぷり入ったクッキーをひとつ取った。さかえにワインでも飲まないかと訊いた。彼女は「もうけっこうよ」と言ってことわった。「あんまりしあわせで、もう十分」


     *


 翌日、朝はやく、俺はひとりで家を出た。試合は六時からだったし、午前中にあいつのうちに行って、サイフを返して、落ち着いた気分で第二戦にのぞもうとしたわけだ。本人がいなくても例の母親や、他の写真にはばあさんみたいなひとも写ってたからね、そのひとにでも渡せればいいかなってな。最悪、郵便受けに放り込んで来るだけでも、なにもしないよりは全然いいだろうって。


 住所は**にある、貧乏人や年寄りばっかの※※団地。やたらとだだっぴろい、どこを歩いても同じ場所に出るような、迷路みたいな団地だった。しかも、前日とはうって変わった秋晴れの日曜日でね、じっとり汗とかかきながら、俺はあの団地の中をぐるぐるぐるぐる歩きまわったわけだ。


 そうして、ようやくお目当ての部屋を見つけたころには、お昼もすこし過ぎていた。俺は、こんちくしょうって想いながらベルを押した。反応なし。ふたたび俺は、こんちくしょうってなったけど、せっかくここまで来たのだからと、もう一回ベルを鳴らしてみた。もうしばらく待ってみたけど、またまたこれも反応なし。またまた俺はこんちくしょうってなって、ドアでも蹴って帰ろうかと想ったけど、それでもとにかく落ち着いて、もう一回ベルを鳴らそうとしたら、


 カチャ。


 って向かいの部屋のドアが開いたんだ。俺は出してた手を引っ込めて、そちらを向いて驚いたね。さっき言ったばあさん、写真に写ってたあのばあさんが、買い物にでも出るような格好でそこに立っていたんだからな。


「なにか?」って彼女が訊いて俺は、「神原信士を捜してるんです」って答えた。


     *


「母さんも喜んでるよ」酔いのまわった頭で信士は言った。「あまりにはやかったけどさ、孫の顔をみせることは出来た」


 近所の人たちはもう、各々の家にもどっていた。くたびれ眠くなり始めた子どもたちを肩にかついで、背中に乗せて。この家のわんぱく小僧も、居間のソファで眠り込んでいた。ベッドに運んでやらないとな、そう神原信士は想った。酔った目で、前にすわるさかえを見た。年よりはずっと若く見えるが、そう言えば彼女は、むかしはもっと、カメオのブローチやネックレスなんかもしていたような気がする。彼は、これまでにも何度かした提案を彼女にした。


「うちへ来て、いっしょに暮せばいいんだよ? さっちゃん」


 しかし彼女は、これまでの何度かと同じように、彼にほほ笑み、こう答えた。


「それでもやっぱり気兼ねはあるしね」いまの生活にも慣れてるし、「ごめんね、シンちゃん、ありがとう」


     *


 で、まあ、あたまのわるいやつってのは、やっぱりとことんあたまのわるいもんでさ。けっきょく俺は、その日の試合を見逃した。もちろん結果はニュースで見たけど、開始時間には間に合わなかったし、阪神優勝にかけようとしていた俺の願いは、そのさかえってばあさんの願いに変えることにした。


 なぜなら、俺の話を聞いたばあさんが――彼女はなんと! 見ず知らずの俺を部屋にあげて、お茶までご馳走してくれた!――が突然、立ちあがったかと想うと、奥の部屋から、ちょっとした桐の小物入れを持って来たからなんだ。彼女は言ったね――あのね、荻さん。


「あのね、荻さん。あなた、こういうの詳しそうだから訊くんですけどね、こういうものを、高値で買ってくれるところ、あなた、どこか知らないかしら?」


 そこにはきっと、つつましい生活の中でなんとかためて来たであろう、指輪や宝石やブローチなんかが結構な数はいってた。たぶん、亡くなった旦那との婚約指輪なんかも入ってたんじゃないかと想う。俺はおどろいて、彼女の方を見た。彼女が何を言っているのかがよく分からなかったからだ。すると彼女は、頭のわるい子どもでもさとすような感じでこちらを見かえし、首を、こう、ちょっと傾けた。俺はようやく理解した。納得は出来なかったけど、それでも彼女の言葉と視線には――あのばあさん、やっぱり魔女かなんかじゃねえのか?――そんな俺を立たせて、葉巻屋のオーナーに電話をかけさせるだけの力があった。あそこのオーナーは、質屋や地金屋にもよく顔が効くからな。そうして――、


     *


 そうして、不思議なことに、さかえが帰り支度を始めるのに合わせるように、ラジオが、先ほどと同じ曲をふたたび流した。彼らはみな、しずかにそれを聴いていた。



 『埴生の宿も わが宿

  玉のよそい うらやまじ

  長閑なりや はるのそら

  花はあるじ とりはとも』



 『文読む窓も わが窓

  瑠璃の床も うらやまじ

  清らなりや あきのやわ

  月はあるじ むしはとも』



 曲が終わると信士は、とても感動した様子であたりを見まわした。厳しい時代が去り、また厳しい時代がやって来たとしても、それが何度くり返したとしても、我々は生きて行かなければならない。と、そんなことを彼は考えた。が、とても言葉には出来なかった。目に涙があふれそうになり、それを誤魔化すため、ワインをひと口飲んだ。


「ありがとね、さっちゃん」彼は言った。「今日は、本当に、ありがとう」



(おしまい)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。