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引っ越し業者の女性を隣の部屋まで案内した後、透は自宅へと帰る。
「ただいま」
「おかえり、透」
エナメルバックを玄関に置き、いつもの通りの駒野場高校のジャージ姿でリビングに行くと、どこかいつもより上機嫌な様子の母親がいた。……どこかにやにやしており、透は眉を寄せる。こういう時の母親は怒っているか、それとも本当にいい事があったのか、二者択一の博打なのだ。どうか後者であってほしいと切に願いつつ、ふと机の上の箱状のものに視線を奪われる。
「これ……まさか……」
「そう、そのまさかよ」
千春はふふんと、明らかにいつもよりテンションが高い。
「埼玉県民心のお菓子、十万石まんじゅうよ!」
「お、おおう……」
埼玉県民なら知る人ぞ知る、あのCM。――風の声が語り掛けます……美味い、美味すぎる……っ! で有名な、あのお菓子。CMを見たり聞いたことはあっても、実際に食べたことがない、まるでツチノコのような存在と透の中で勝手になっていた、伝説のお菓子が、目の前にある。しかもなぜか、Jリーグサッカークラブとのコラボパッケージだ。
じゃーん! と机の上に手を伸ばしてみせる千春に、透は感嘆の声を漏らす。
「どうしたの、これ? しかもこれ、Jリーグのスタジアムで限定販売してるやつだ。まさか、行ったの?」
そんなわけないだろうと内心思いつつ、確かそこでしか買えない限定モデルのはずなので、透は驚きを隠せずに千春に聞く。
千春は次に、どこかバツが悪そうに笑って、
「違うわ。隣人の子が引っ越しでご迷惑おかけいたしますって、挨拶に来たの」
「へぇ、どんな人だったの?」
何の気なしの透が興味本位に聞くと、千春は待ってましたと言わんばかりに、口角を上げて、
「女、子、高、生。しかもあなたと同じ、駒野場高校の1年生よ?」
「え……」
「しかもなんと、ご両親はいないの? って聞いたら、地元離れて今日から一人暮らしなんですって」
「えぇ……」
るんるんと鼻歌でも歌うようなリズムで千春が人差し指をぴんと立てて言っているが、透は戸惑っていた。
こんなご時世に女の子が一人暮らしなんて、心配が勝つ。しかも自分と同い年で、学校に通いながら……? ……なにか、訳ありなんじゃなかろうか……。
そんな透の疑念を露知らず、千春はどこか悪だくみしてそうな顔となり、透をじっと見つめ。
「お母さん、謎の長期海外旅行行こうかしら」
「なぜに」
「そして隣人の子に頼むの。その間息子の面倒をよろしくって」
「なぜに」
「安心して、透。お母さん帰ってくるときは必ず事前に言って、わざとゆっくり帰ってくるから。鍵も玄関前で、中々取り出せないようにして、ちゃんとピンポン鳴らしてから、ドア開けるから。あと、いろいろ見て見ないふり、してあげるから」
「だからなぜに」
両手を頬に添えて、はぁはぁと変な事を言い出す母親に、透はおっかなびっくりとなる。
一方で、千春は透に「貰いっぱなしは申し訳ないから、明日お土産のお返し渡しに行くのよ」と釘を刺されてしまった。
――その後。
「……なぜに?」
ちゃぽーん、と。家の浴室の湯船にじっと浸かりながら、透は自問自答を繰り返すのであった。




