35
試合翌日の月曜日。試合後の休養日となって、先週同様一日フリーの日となった駒野場サッカー部には、胃腸炎から回復したスタメン組が、昨日の激戦を戦い終えたメンバーたちを部室で労っていた。
「お前キャプテンやったのかよ、亘!?」
「うるせーないいだろ別に! 最後はちゃんと防いだって!」
「1失点してるくせにー」
「上出来だろうが! むしろ試合に出れた時点でお前らより優秀だろう!? 胃腸炎野郎どもが!」
などと、善戦した人を茶化す人もいれば。
「……っ!」
三國のように、後れを取り戻すために早速ハードな練習に取り組む面々もいた。
渦中の場所となってしまった食堂はまだ使えないが、それも時間の問題だろう。原因は、わかっているのだから。もっとも、辛い胃腸炎を経験してしまった以上、あまり食堂の食事に対していい印象を戻すのは難しいと思うが……。
「あー早く食堂のカレーが食いたい……」
彼に対しては、不要な心配だっただろうか。
寮にあるジムでの自主トレーニングの合間で、翔が恋煩いのように呟いている。
「先輩たちがあんな目にあってんのにすげぇよお前は……」
隣でベンチプレスを上げていた達樹が絶句している。
「――あはは……。でも僕も、蓮見くんおすすめの食堂のカレー、食べてみたいかも」
そして、駒野場サッカー部の一員として、ランニングマシンで汗を流していた雪乃遥人は、タオルで汗を拭いながら微笑んでいた。
「おー! おすすめは3辛だぜ? 辛いのは得意か、雪乃?」
「ぼ、僕はちょっと苦手かな……」
「じゃあ俺と御子柴が3辛頼むから、雪乃は甘口な? 涼宮って辛いの得意なのかな?」
「おい待て。俺にも選ぶ権利をよこせや」
なんだかんだ御子柴くんも食べる気なんだな……と、内心でくすくすと笑っている、遥人であった。
そんな、新たなメンバーである雪乃遥人を加えた1年生たちの一角である涼宮透は、学校の保健室を訪れていた。
夕日の差し込む保健室は、消毒液の鼻をつくような臭いに混じり、消せていないタバコの臭いがする……。十中八九、この保健室の主、静石のせいであろうと内心で思いつつ、透は机の上に自身のスマホを置いていた。
「これは?」
唐突に置かれたスマホをじっと見て、静石は何事かと透を見た。最初に保健室に訪れたときは、サッカー部の練習で怪我でもしたのかと聞かれたが、前日の試合で擦りむいた以外は全然元気だ。
「この映像と写真を見てどう判断するかは、先生にお任せします。偶然、ふと気になって、やったんです」
「映像、写真?」
そして透は、扇大高校のサッカー部監督の毒島が、工場に頻繁に訪れていた証拠を提出し、実際に動画と写真を表示して静石に見せたのだ。
「……はぁ」
証拠の数々を見る途中から静石は、いかにもタバコを吸いたそうにしながらもどうにか抑え込み、透をじっと見た。
その表情はどこか悲しいものを見るような半面、怒っているようにも見えていたが。
「鷲田先生には言ったの?」
「いえ、言ってません。そもそも俺の考えとしては、サッカーとこれとは、まったくの別問題だと思っています。俺からのお願いは、この証拠は匿名提供として扱ってほしいと思います」
「……危ないと思わなかった?」
「……その時は正直言って、思っていませんでした。もっと他に方法もあったかもしれませんが、その時考えられたベストな選択肢が、これだと思ったんです」
「そう」
すると静石は椅子から立ち上がり、何かを棚からガサゴソと取り出す。
そして再度透の前に座り、何かをおもむろに、透の顔にそっと押し付けるようにしてきた。
「痛っ」
「ちゃんとケアしないとダメでしょう」
昨日の試合で擦りむいた個所を、そっと消毒ガーゼで拭ってきていたのだ。じゅくじゅくと、染みる……。
思わず片眼をぎゅっと瞑った透は、どこかバツが悪そうな表情をしていた。
「あ、はい……」
「はぁ……。鷲田先生でも警察でもなくて、私にこれを見せてくるとわね」
ため息混じりに静石は言う。
「逆に鷲田先生か警察に言う方が良かったでしょうか?」
「甘い」
ぴこっ、と今度はデコピンをしてくる。もちろん、擦りむいたところは避けてくれていたが。そんな静石の手には絆創膏が握りしめられており、使えという事なのだろう。
それを受け取りつつ、静石はどこか面白いものでも見るような表情で、透を見ていた。
「あんたの勝ちよ、涼宮くん。この証拠はきっちり校長先生と保健所の人と警察に提出するわ。匿名でね」
「ありがとうございます」
「でも、今度はちゃんと事前に先生に相談する事。ま、きっと止めるでしょうけどね。そういう意味でも最後までやり遂げたあなたの勝ちってこと」
最後に静石は小声となって、他にいるわけもないようにわざとらしく、周囲に誰もいないよねと確認するかのようにきょろきょろとしながら、顔を近づけてきて、
「正直わたしもクッソムカついていたから、よくやったわね」
と、次には顔を放しながらにこりと笑っていたのだ。
「わたしは正直事情があってサッカーは嫌いだからよくわからないんだけど、報復って言うんだっけ? こういうの。やられたらやり返すぞーってやつ」
サッカーが嫌い、と言うやや残念な発言を受け止めつつではあるが、そういう人もいると、透は苦笑しつつ、小さく頷いていた。
「ずる賢いって言うんですよ。サッカー用語では」
「へー。先生また一つ賢くなっちゃった」
静石は少しばかり嬉しそうに言っていた。
「じゃあそんなクレバーな涼宮透くんに質問」
「はい」
「これをやった理由。偶然、ふと気になって、じゃあごめんだけど理解できないわ。ちゃんとした理由はなに?」
と言いながら、さっそく静石は自身のノートPCに、透のスマホに入ったデータを転送している。
透の答えは、単純明快で、即答であった。
「俺の居場所……。大切な駒野場サッカー部を、守りたかったんです」
そこにはかつて体育の授業で流しでサッカーをやるような存在ではなく、雪乃遥人が憧れるサッカー部員としての、れっきとした少年の姿があった。
4章 完




