3
「今日はありがとう、蓮見」
鷲田に入部届を貰った涼宮透は、学校の校門の前で改めて蓮見翔に礼をする。
「寧ろ礼を言うのはこっちだ。サッカー部入るって決めてくれてありがとうな!」
自転車を押しながら、翔はニコっ、と微笑む。背後で沈む夕日も相まって、やはり眩しい。
「まだ入部届は出してないから、正式には明日からだけどな」
「まあそっか。親のサインとか、必要だもんな」
親のサイン。その言葉を聞いた透は、微かに表情を硬くする。
「お前は電車なの?」
そんな些細な表情の変化を見破ることはなく、相変わらず明るい表情のまま、翔は聞いてくる。
「ああ。そう言う蓮見は自転車なんだな。家が近そうでうらやましいよ」
「まあさすがに雨の日はチャリンコじゃなくて電車だけどな。んじゃ、また明日な!」
「ああ。また明日。交通事故とか、気をつけろよ」
「お前は俺の母親か!」
「本当にあぶなかっしいから心配なんだ……」
「ねえちょっとやめてぇ! 真顔で言われるの本当に怖くなるから!」
透の心配するような声音に、冗談ではないと翔は震えていた。
そんなやり取りをして、手を掲げ合わせ、二人は正門を潜ってそれぞれの帰路につく。
「……ふぅ」
ワイヤレスイヤホンを耳につけ、お気に入りの音楽を聴きながら、駅を目指して家に帰る透であったが、その心中はずっと、穏やかなものではなかった。
埼玉市内のマンションの一室が、透の家だ。
「ただいま」
電車をつかってそう短くはなかった帰宅時間。
玄関で靴を脱ぎ、リビングの扉を開けると、見慣れた母親の後ろ姿が台所にいた。
「おかえり」
「お弁当、ありがとう」
「ちゃんとお礼が言えてよろしい」
なんて、空になった弁当箱を差し出しつつ、透はすっかり自分より身長が低くなった母親をじっと見る。いや正確には、こちらの身長が伸びたのか。
母親の名前は涼宮千春。息子の自分が言うのもなんであるが、とても愛嬌があって、料理の腕も一流で、ザ・母親と言うべきような人だ。
しかしそんな母に対して、今この瞬間ばかりはしどろもどろになってしまう。
「えっと、メール、見てくれた?」
「……」
一瞬だけ、流しを流れる手元で食器を洗う千春の手つきが止まった。
透はそれを視界の端でとらえつつ、思わず震えそうになる両足をただす。
「反対です」
「……」
母親から帰って来た言葉は、¨想定通り¨のものであった。
「ごめん、なさい……」
「……っ」
自然と口から、謝罪の言葉が出る。
かた、かた、と時計の針が動く音が、やけに大きく聞こてくるようだ。
「……なんで、またやりたいと思ったの?」
「……それは、サッカーが、やっぱり、好きだと思ったから」
そしてもう一つ。頭の中に浮かんだ、アイツの笑顔を思い出しながら、しかしそれは口に出せず、透は言う。
ため息は、千春の方から聞こえてきた。
「私の気持ちは分かるよね……? 私だって、透には――」
「うん……。お母さんの言いたいことは分かる……つもりなんだ」
思わず母親のいう事を遮って、透は握りこぶしを作って、言い返す。
俺が再びサッカーをやりたい。そんな事を言ってしまうだけで、本当に母親の思いなど理解していないのは、百も承知だ。
やがてこの状況が耐え切れなくなってしまい、先に音を上げてしまったのは、透の方だった。
「これ、入部届なんだ」
「こんなものまで……!」
差し出された白い紙をじっと見つめ、信じられないと言った感じで、千春は濡れた手で口元をふさぐ。
「ここに、親のサインがあるから、お願い、します……」
「……」
ほとんど最後は一方的に押し付けるようなものだった。
リビングの机の上にそっと紙を置いて、透は自分の部屋へと入っていく。
(俺は、なんて卑怯なんだ……)
お腹もお風呂も、今は入る気になれない。
鞄を壁にかけ、制服姿のままで透は、ベッドに投げられた人形のように仰向けとなる。
「……」
白い天井をじっと見つめてから、視線を横に逸らした。




