第6話 寿美という女性
『寿美はな、かつて
――――――――嗣臣の嫁だった女だ』
嗣臣の父の発言に、部屋の空気は更にピリついたものとなる
(嗣臣さんの……奥さんだった人……!?)
衝撃の事実に、菊理は思わず隣にいる嗣臣を見つめる
嗣臣は依然俯いたまま黙り込んでいる
「といっても10年前に死んだがな。寿美が死んだ後、後妻をあてがおうと何度も縁談を持ち込んだがコイツはそれを断りよったわ………挙句どこの血筋か分からぬ奴と一緒になりおって………全く、親不孝な愚息だ」
(………ああ!だから私と形だけの夫婦になったのか!)
菊理は混乱しつつも納得していた
外見だけ見たら嗣臣は30代半ばくらいの年齢に見える
それに加えて、これだけ格式高い家柄の息子だ
縁談の1つや2つ来ない訳がない
なのに今に至るまで独身で、菊理を助ける為だけに成り行きで助けた女と結婚するというのは若干腑に落ちなかったのだ
恐らく前妻の寿美を忘れる事が出来ず、再婚など考えられないのだろう
――――だから偽装結婚のような真似をした
菊理はショックを受けるというよりも、点と点が線になりようやく合点がいったのだ
「寿美は家柄も我が一族と釣り合っておったし、賢く気立ての良い嫁だった。それに、比良坂家の嫁とはどのように振る舞うか、それをよく理解しておったしな」
嗣臣の父の言葉が、菊理の胸にチクリと刺さった
菊理は特別何か秀でたものもないただの凡人で、何も覚悟を決めないまま嗣臣と夫婦になったからである
『自分を助けるために嗣臣は結婚してくれた』などと正直に話そうものなら罵詈雑言の嵐だろう
さぞかし素晴らしい嫁であったであろう寿美の話を聞き、菊理は恥ずかしさといたたまれなさで下を向いた
「……寿美が死んだのは本当に惜しかった。あの時助けられたら無事だったかも知れんのにな」
ボソリと落とされた言葉を耳にし、菊理は思わず隣の嗣臣を見た
嗣臣は依然として俯いたままだ
しかし、先程より顔は強張り感情を抑え込んでいるのか、血が出そうな勢いで唇を噛んでいるのが分かる
――――このままこの話題を続けてはダメだ
菊理はその勢いのまま立ち上がった
「あのっ!!」
突然割り込んできた声に、3人の視線がまたも菊理に注がれる
「あ、あのっ………その………寿美さんがとても素晴らしい方だったのは凄く伝わりました…………私なんか比にならないくらい」
菊理は寿美との劣等感を抱えながらも話を続ける
「私は平凡な一般家庭出身だし、勉強だって出来ない方だったし、得意なことだって特にないです………正直嗣臣さんとの結婚だって、覚悟を持ってここに来た訳じゃない」
「………なんだ分かっているじゃないか。それなら大人しく―――」
「でも!」
しかし力強く反論した
確かに未熟者かもしれない。しかしこの思いだけは伝えなければ――――
そう思った
「でも……私は嗣臣さんと離婚はしません!今は不完全で失敗ばかりかもしれないけど、努力して努力して本当の意味で嗣臣さんと夫婦になります!ご両親にも認められるよう頑張ります!」
そう言い切る菊理の目には、誰にも負けない強い覚悟が宿っていた
嗣臣は目を見開き、彼女を見つめる
歯で噛み締めていた唇は、いつの間にか離されていた
「だからどうか、見守ってもらえないでしょうか!お願いします!」
そう言い菊理は頭を深く下げた
「このっ………言わせておけば生意気な―――」
嗣臣の父が怒りを露わにしたその時だった
静かな声が場を制した
「旦那様」
嗣臣の母は穏やかな面持ちのまま、口を開いた
「もうよろしいじゃございませんか。帰りましょう」
「だが―――」
「旦那様には見えませんか?あの子の強い覚悟が。あの思いは本物です。あの子は本気で比良坂家の嫁になろうとしていますよ」
そう言って頭を下げたまま動かない菊理を見つめる
菊理のがむしゃらな思いは嗣臣の母に確かに届いたのだ
「それが分かれば私は十分です。戻りましょう」
「そ、そんな―――」
踵を返し帰ろうとする嗣臣の母に、父は狼狽える
「菊理さん」
ふと嗣臣の母が振り返り、菊理を呼んだ
彼女はハッとし顔を上げる
「嗣臣の事、よろしくお願いしますね」
そう言って嗣臣の母は微笑む
菊理はその意味を察し、笑顔になる
「は……はい!」
菊理が嬉しそうに返事を返した
嗣臣の母に認められ、胸が熱くなる
「…………私は認めんからな!」
嗣臣の父は最後まで不満を滲ませながら捨て台詞を吐き、足早に去っていった
2人の足音が遠くなり、去っていたの確認すると、菊理は力が抜けたようにドカッと椅子に座り込んだ
「………………………緊張した――――っ!!」
張り詰めていたものが切れたのか、今になって手が震え出していた
「……大丈夫か?……すまないうちの両親が……」
嗣臣は心配そうに尋ねる
先程の強張りは解け、心なしか柔らかな表情になっている
「大丈夫です!仕事してた時に理不尽クレーマーに何回か遭遇してますから!慣れっこですよ!」
菊理は無理矢理明るく振る舞うも、次の瞬間視線を落とした
「………いや、でも正直めちゃくちゃ怖ったです……どんな理不尽クレーマーよりも恐ろしかった………」
そう言って震える両手をギュッと握りしめる
あの重圧はどんな理不尽なクレームにもかなわなかった
「………食事が冷めてしまったな。作り直してもらおう」
「いえ!大丈夫ですよこのくらいなら!」
菊理が慌てて首を振ると、嗣臣は小さく頷いた
「そうか……」
そう一言呟くと、意を決したように菊理を見つめる
「菊理」
急に名を呼ばれ、キョトンとしている彼女に嗣臣は更に言葉を続けた
「食事が終わったら俺の所に来てくれ……………寿美の事について話しておきたい」
そう言い残し、嗣臣は今から去っていく
彼が隠した心の傷を知る時が来たのだった




