第50話 結びの神の願い
「どうぞお楽になって。飲み物は温かいものでいいかしら?」
「は、はい!」
菊理が緊張気味に返事をすると、その女性―――菊理媛命は手際よくお茶の用意を始めた
ガラス製の水瓶に乾燥した花を入れると、生命を吹き込まれたかの様にゆっくり花開いていく
(神様からお茶をご馳走になってる…………)
お湯の中で花開く様子を見ながら、神様から招かれお茶をご馳走になる、というこの不思議な状況に、菊理は若干戸惑っていた
一方、お茶の準備を終えた女神は、白い陶器の水瓶を持ち福の元へ向かった
「福ちゃんはこれでいいかしら?」
「きゅう!」
福が元気に返事をすると、菊理媛命は器に牛乳の様な物を注ぎ福に渡した
「あの………菊理媛様は福ちゃんと顔見知りなんですか?」
「ええ。去年の冬にこの子と出会ってそれで。よく屋敷に遊びに来てくれてたんだけど、ある時からパッタリ来なくなってしまって、心配していたの」
「そういえば初めて出会った時、何かに襲われたような怪我をしていました。それを私が治して上げて、現在にいたります」
「まぁ。天界には天敵がいないから、警戒心が薄かったのかしら?良かったわねぇ。良い主に拾われて」
菊理媛命はそう言って福の頭を優しく撫でる
そしてゆっくり立ち上がり、花が開ききったガラス製の水瓶に持ち替えると、その中身を菊理の目の前の湯飲みに注いだ
湯気と同時に花の良い香りが立ちのぼり、鼻をくすぐる
ヤカンをゆっくり置いた女神は、菊理の向かいに座った
「さて……それでは本題に移りましょうか」
その一言で穏やかだった空気が変わった
菊理は慌てて姿勢を正す
「今日ここに来た理由は、負の因子――賽河月彦を取り除く為に、共有の括り紐を手に入れに来た。そうですね?」
「はい…………でも、私は月彦さんを排除したい訳では無いんです。月彦の中にいる穢鬼を取り除き、月彦さんを救いたいんです」
「まぁ!敵を救いたいとは、大きく出たわね」
菊理媛命は目を見開いて驚く
しかし、何処か興味深そうな響きが混じっていた
「………甘い考えなのかもしれませんが、このまま力任せに月彦さんを封じ込めるのは、何か違うなって、思って………」
「そうねぇ………私個人としては、確かに賽河月彦の生い立ちと境遇には同情の余地がある………だけど、それと今回の企みとは別で考えるべきと思います」
菊理媛命の現実的な意見に、菊理は息を呑んだ
「菊理さん。あなたは何故、そうまでして賽河月彦を救いたいのです?」
「私は―――」
菊理は言葉が上手く紡げず沈黙してしまう
胸の奥にある想いを、どう言葉にすればいいのか迷いながら、ゆっくりと顔を上げ、口を開いた
「私には、月彦さんが悲しそうに見えたからです。月彦さんが裏切ったと分かったあの日、記憶は朧げだけど、覚えているんです。苦しそうに思いを訴える嗣臣さんを、見つめている月彦さんの顔が、何故だか悲しそうに見えたんです。」
言葉を重ねるごとに、あの日の光景が脳裏に蘇る
何もかも諦めたかの様な言動に反し、何処か寂しげな彼の姿を―――
「だから本当は、世界全体を常世の世界にしたいんじゃなくて、助けて欲しかったんじゃないかなって思って。けどどうにもならないから、投げやりになってるんじゃないかなって、そう思ったんです」
胸の奥にある思いを、自分なりに紡ぎながら、菊理は訴えた
「だったら、それを救える可能性のある私が、月彦さんを救いたい―――そう思いました」
「……………そうですか」
話を聞き終えた菊理媛命は、少し間を置いた後、笑みを浮かべ答えた
「分かりました。貴女に共有の括り紐を授けます。貴女にはその資格があると判断しました」
「あ……ありがとうございます!」
深く頭を下げる菊理を、女神は微笑みながら見つめる
そして懐からある物を取り出した
「―――これを」
差し出されたのは、淡く光を帯びた2本の紐だった
何処か温かさと神々しさを感じる不思議な紐だ
「この紐を貴女の腕と福ちゃんの足に括り、力を使う事で貴女の霊力を福ちゃんが肩代わりしてくれますよ」
「はい―――あの、1ついいですか?」
菊理はずっと気になっていたことを、女神に尋ねることにした
「私たちの作戦は、上手くいくんでしょうか?これで月彦さんを、救う事が出来るんでしょうか?」
「それは私にもわからないわ。ごめんなさい。神と言っても未来を詠んだり、今起こっている事象に干渉したりは出来ないの」
菊理の問いに、女神は眉を下げ困ったように答えた
「………でも菊理さん。貴女にはそれが出来るかもしれない」
「えっ?」
「これは個人的な仮説だけど、括り人は偶然ではなく必然的に現れる―――私はそう考えているの」
「必然的に……ですか?」
菊理が言葉を返すと、女神はゆっくり頷いた
「現世と常世の拮抗が乱れそうになる時、それを救うかの様に必ず括り人が現れるの。今回もそうでしょう?」
そう言われ、菊理は記憶を思い返す
今回の事だけでなく、道之の妻子を助けたのも、穢神になった寿美を救ったのも、それが必然的に任された自分の使命だったからだとしたら――――
それが必然的なものだと言われたことに、菊理は不思議と腑に落ちていた
「だからもしかしたら、菊理さんは賽河月彦を救う為に括り人として生かされた―――そういう運命なのかもしれません」
「運命……」
「それに、菊理さんが従えている福ちゃんは幸運を呼ぶ福咲鹿だもの。きっと運を味方に出来るわ」
「そっか……そうだといいな」
菊理はそう呟くと、意を決したようにスッと立ち上がった
「そろそろお暇します。ありがとうございました」
「ええ。気を付けて。ご武運を」
菊理は深々と女神に頭を下げると、福と共に女神の屋敷を後にした
「………きっと大丈夫よ。菊理さん」
その後ろ姿を見つめながら、女神は誰にともなく、そっと呟いた
その選択が良いものでありますようにと、願いながら――――




