第30話 回復と不吉な予兆
それから1週間後―――
賽河邸にある研究施設に、菊理と嗣臣が訪れていた
無機質な白い空間に機材が囲まれたその部屋で、月彦は菊理の診察をしている
だが、以前と違う事が1つだけあった
そこにいる菊理は車椅子を使わずに自力で立っていたのだ
「――――うん。問題無さそうだね。よかった」
月彦は菊理に笑顔を向けると、菊理も嬉しそうな顔を浮かべた
あの日、道之が教えてくれたのは本当だったようで、あの例の治療法をした次の日、身体は劇的に回復し始め、わずか四日後にはこうして歩けるまでになっていたのだ
「しかし何故急に良くなったんだろう?何かしたのかな?」
突然の回復により疑問を浮かべる月彦に、菊理は動揺の色を見せた
「あ、あのぅ……そのぅ………」
―――まさかあんな事をして治りました、だなんて言えない
菊理が顔を赤らめさせしどろもどろになっていると、後ろにいた嗣臣が静かに口を開いた
「………道之が妙な方法を教えてくれてな。飴に霊力を込めて口移しで渡すと、霊力が共有されて怪我等が治る、と」
「ああ!霊力共有治癒をしたのかぁ!あれは主に重症患者におこなう治療法なんだけど、成る程、道之は知ってたんだな」
月彦は納得したように頷くと、次にこう述べた
「でも別に口移しじゃなくても良かったんだよ?普通に霊力を込めた物を渡すだけでも効果はあったんだけどね」
「へ?」
「………何?」
まさかの事実に2人は固まる
その状況を知ってか知らずか、月彦は更に続けた
「まぁでも、あながち道之の方法もデタラメって訳では無いんだけどね。人との触れ合い――特に男女の触れ合いは、霊力を高めその効果をより引き出してくれるから」
そう補足され、菊理は少しホッとしながら嗣臣を見る
「な、なぁんだぁ……だそうですよ?嗣臣さ……」
「……ほぅ、あいつめ俺をからかったのだな………」
(めちゃくちゃキレてるぅ……)
今までにないくらいの激怒ぶりに、菊理の顔が引き攣る
「君達夫婦が仲良くなってほしくて、ちょっとからかったのかな?」
「いーや、あいつは確実に面白がって俺で遊んだのだ。………絶対に許さん」
怒りのオーラを背に感じながら、菊理は話題を変えるように月彦に話しかけた
「……あ、でも月彦さんありがとうございました。ここまで丁寧に見てくださって。私の身体が良くなったのは、月彦さんと椿さんのおかげでもあります」
そう言って頭を下げお礼を述べると、月彦は目を見開き、次に小さく笑った
「……ははっ!嬉しいなぁ。菊理さんと嗣臣くらいだよ。僕達にお礼を言ってくれる人なんて」
「え?」
「前にも言ったけど、賽河家は異端の一族だ。それ故毛嫌いをされる事の方が多い。こうやって治療をしても、お礼を述べられる事なんて無いんだ」
自虐的に語られる言葉には、過去に受けたであろう仕打ちが見え隠れし、菊理は心が痛くなった
「でも菊理さんは、僕のあの姿を目にしたうえでも、お礼を言ってくれた。こんなに有難い事はないよ」
屈託のない笑顔を向けられた菊理は、嬉しくなり、つられて微笑んだ
すると月彦が何か思い出したかのように、嗣臣に視線を向けた
「………っと、ああ嗣臣。この前渡してくれた、例の蜘蛛だけど」
そう言いながら嗣臣の方へと歩み寄り、月彦は耳打ちするように述べた
「あの後うちの屋敷周辺を調べたら、結界を破壊したであろう人物と、それに張り付いていた蜘蛛を発見したよ。そしてその蜘蛛と嗣臣が渡してくれた蜘蛛は――――過去に寿美さんを襲った奴の蜘蛛だと言うことがわかったよ」
「………やはり、そうか」
嗣臣は低く呟き、目を細める。その瞳には確信と警戒が宿っていた
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同じ頃、闇夜のように暗い常世の洞窟では、一体の穢神が虎視眈々と、『その時』を待っていた
天井から滴る水音が、やけに大きく響く。その音さえも、この異様な空間では不気味な鼓動のように感じられる
穢神はゆっくりと顔を上げる。闇に溶け込むようなその姿の中で、ただ双眸だけが妖しく光を帯びていた。
「…………どうやら協力者が上手くやってくれたようだね」
そう呟き、手に這う蜘蛛を愛おしそうに眺める
指先がゆっくりと動かす動きすら、見えない糸でも手繰るかのような不気味さが漂よっている
「もう少ししたら頃合いか……」
独り言のように呟きながら、穢神は静かに目を細め、光が差す洞窟の入り口を見つめる。その瞳の奥では、既に来るべき時の光景が思い描かれているかのようだった
「待っていろ……私の愛しくて憎い……宿敵よ」
そう言って穢神は1人の男の顔を思い浮かべる
かつて二度も死の間際まで追いやった、闇を操るあの黄泉人の顔を―――
その瞬間愛情にも似た執着と、底なしの憎悪が絡み合った歪な感情が、穢神から湧き上がってきていた
洞窟の奥で、何かが静かに、しかし確実に蠢いていた




