第29話 一歩踏み出す覚悟
その日の夜、いつもの様に嗣臣が寝る支度をしている時、菊理はふと彼を見た
いつもと変わり無い真顔――――なのだか、何だか様子がおかしい気がしていた
朝、家を出る時はさほど変わりは無かったのだが、任務から帰ってきてからどうも心ここに非ず、と言った感じなのだ
夕飯の時も、菊理が話しかけている時も、何故かうわの空と言った感じで、他の事を考えているような気がしていた
(………どうしたんだろう?まさか他に好きな人が出来たとか!?………いや、嗣臣さんに限ってそれは100%無いな……)
しかし、不安が拭いきれない菊理は、意を決して嗣臣に尋ねる事にした
「……あの、嗣臣さん」
「……何だ?」
「今日何かありましたか?なんかいつもと違う気がします」
すると嗣臣が眉間にシワを寄せ黙り込んでしまった
(………え、もしかしてガチで他に好きな人が……!?)
菊理の脳裏に最悪の状況が浮かび、胸がざわつく
それと同時に、そんな菊理の心情を知らない嗣臣が、意を決したように口を開いた
「………菊理、1つ聞き――」
「他に好きな人がいるんですか!?」
「は?」
嗣臣は予想もしなかった言葉に、思わず固まる
「え?だってずっとうわの空だから……私なんかより良い人見つけたのかと……」
「そんなものはいない」
キッパリと否定され、菊理は内心ホッとしていると、嗣臣がふっと息を吐いた
「………いや、すまない。誤解をさせてしまったのか。早く打ち明けるべきだったな」
そう言うと、嗣臣は菊理の目を見て真剣な表情になる
「菊理。その身体が早く治る方法がある、と言ったら試してみたいか?」
「えっ!?あるんですかそんなの!」
思わぬ朗報に、菊理は身を乗り出しそうになる
しかしそんな喜ばしい話なのにも関わらず、嗣臣の表情はどこか硬いままだ
「道之から聞いた話なのだかな……方法は単純なのだが……少々その………難しいかもしれない」
まるで奥歯に物が挟まるような物言いに、菊理は首をかしげる
「単純なのに難しい?どういう事です?」
すると嗣臣は引き出しを開け、中から小さな包みを取り出した
「……飴、ですか?」
「……それに霊力を込め、俺が口移しで菊理に食べさせる事で俺の霊力が菊理の身体に共有され、回復するらしい」
「へぇ………え"っ」
理解が追いついた瞬間、菊理の思考が一気に止まる
寝室に気まずい空気が流れ込んだ
(つまり……キス!?しかも濃ゆいやつ!?)
菊理は激しく動揺する。が、すぐにあることに気が付いた
「あっ……でもキス自体は初めてじゃないのか……」
そう言って初めて出会った時、口移しで嗣臣の血を飲まされた事を思い出した
「……あれは口づけとは違う。どちらかというと人命救助に近い」
(……確かにあの時は必死だったし、死ぬ間際だったから、よく覚えてないんだよなぁ)
そんな事を思い出していると、嗣臣がゆっくり立ち上がった
「………やはり止めよう。菊理への負担が大きすぎる」
「え……」
嗣臣の判断に、菊理は戸惑う
―――やはり自分に触れようとしてこない
少しずつ溜まっていたモヤモヤが、許容量を超え、溢れ出るのを感じた
「本当に治るかどうかもよく分からんのだ。こんな事で悩むのは―――」
「……嗣臣さんにとって私は、やはりただの成り行きで助けた女でしかないんでしょうか?」
突然の発言に、嗣臣の動きが止まった
「……………は?」
「最初は寿美さんの事がまだ好きだから、割り切った態度なのかと思っていたけど、それにしては私が勘違いしそうな態度を取ってくる……でもいつまで経っても、そこから進展無いじゃないですか」
溢れ出た感情を押さえる事が出来ず、菊理は思いのままの言葉を彼に投げかける
「だから見せかけでも義務として私と接しているのかなって最近思えてきて………だから――――」
「待て!それは違う!」
菊理の言葉を嗣臣が強い口調で遮った
「……菊理の事がどうでもいいわけではない。これは単に、俺の気持ちの問題だ。俺はまだ、過去の清算をしきれていない」
「嗣臣さんの問題?」
菊理の言葉に頷くと、更に言葉を続けた
「………寿美を襲った穢鬼の話を、前に話した事があったと思う。それには続きがあってな。その穢鬼は力を蓄え、穢神へと変わっていたのだ。一度相打ち覚悟で仕留めたのだが―――アレはまだ生きているのだ」
思わぬ事実に、菊理は息を呑んだ
「アレを仕留めない限り、俺の過去に区切りが付かない。そう思っていたのもあって、菊理にそれ以上触れられなかった……すまない。だがそんな事も言ってられないようだ」
そう言い終えると、嗣臣の顔がゆっくり近付き、そっと菊理の唇に触れた
「――――っ!」
菊理は目を丸くした
ほんの一瞬の出来事だったが、そこにある彼の優しさや愛を感じ、彼女の胸が高鳴る
「…………さすがに二度も人命救助のようなものでは嫌だろう」
唇を離した嗣臣は、低くそう呟いた
「間が空きすぎるとやりにくくなりそうだ………すぐ終わらせよう」
すると嗣臣は飴を口に含み、再び菊理に口づける
今度は嗣臣の舌が入ってきた
「!………んっ」
不意を突かれ、菊理の身体がびくりと震えた
甘い感触と、わずかな熱が口内を支配している
舌を使って渡し終えると、嗣臣はゆっくり唇を離した
「―――よし、移せたな…………?菊理?」
やけに大人しくなった菊理を不審に思い、嗣臣が様子を確認するように覗き込むと、菊理が彼の顔を見上げた
「あ、あの……なんか……力が抜けちゃって……」
力無く言う菊理の顔は赤くなり、目はトロンと蕩けていた
「―――!!」
その表情を見た瞬間、嗣臣の動きが一瞬止まる
そして素早く菊理を布団に寝かせると、いつもの様に抱き寄せず、背を向けて寝てしまった
突然様子がおかしくなった嗣臣に、菊理は戸惑っていた
「………?嗣臣さん?」
「あまりそういう顔をしないでくれ……歯止めが利かなくなりそうだ」
表情は読み取れないものの、その抑え込むような声音に、菊理は再び顔を赤くした
(ど、どんな顔してたんだろう私………)
まだ熱の引かない顔を自覚しながら、菊理は身を隠すように布団をかぶるのだった




