第3話 菊理、初めて旦那の名を知る
話し込んでいくらか時間が経った頃―――
男は姿勢を正し改めて菊理を見つめる
その姿を見て、菊理も慌てて姿勢を直した
「……俺の紹介が遅れたな。俺は比良坂嗣臣。先程言ったようにこの狭間で現世と常世の管理をしている。これを『黄泉守人』と言って比良坂家では代々この仕事を受け持っている」
そう言って男――嗣臣は己の事について話した
それを聞き菊理は彼の屋敷が何故こんなにも立派なのか何となく理解した
「何故君と…菊理と婚姻関係を結んだか、気になっているだろう?」
「あ、はい。もちろん」
ずっと疑問だった点にやっと触れられ、菊理は大きく頷いた
「俺の血は現世の人間を黄泉人に変えることが出来る。現に菊理は黄泉人になっただろう?だが、黄泉人になったからといって安全が保証された訳じゃない」
「そうなんですか?」
黄泉人になったら心配いらなくなると思い込んでいた菊理は、思わず嗣臣に聞き返した
「黄泉人にとって亡者はさほど脅威ではなくなる。常世にいる亡者は力を蓄える前の者しかいない故弱いし、そもそも亡者は現世の人間のみを襲うからな。その代わり穢鬼達に狙われやすくなる。黄泉人を喰らうと人間を喰らった時の倍の力と霊力を蓄えてしまうからな」
「マジかぁ…」
さらりと恐ろしい事実を告げられ、菊理はガックリ肩を落とした
「かといって人ではない菊理はもう現世では暮らしていけない…しかし狭間でも居場所の無い君はここで生きていく術もない。だから俺の妻としてここに置くことに決めた。それなら身の安全は保証出来るからな」
「……つまりそれは私を助ける為の、形だけの結婚って事ですか?」
菊理が尋ねると、嗣臣は小さく頷いた
「ああ。だからここで好きに振る舞っていい。君のことを干渉する気はない」
「そうは言っても……」
菊理は困ったように眉を下げる
好きに振る舞えと言われても、急に連れてこられた男の家でくつろげなど無理な話である
「まあそのうち慣れるさ。黄泉人は気が長い。ゆっくり慣れれば良い」
「はぁ」
嗣臣の言葉に、菊理は気の抜けた返事をするほかなかった
しかし、ある疑問に気付き顔を上げる
「でも、この家にいても襲われる事にかわりないんじゃ?」
「それは心配いらない。この屋敷には結界が張っている。しかも普通の結界とは違い、特殊な柱で結んだ結界だ。結界の内側にある柱を壊されない限り、この結界は壊れる事はない。だからこの屋敷にいる限りは菊理の安全は保証される」
「な、成る程」
そこまで聞き納得すると、菊理はずっと気になっていたことを尋ねてみた
「……あの、1つ良いですか?」
「何だ」
「私がいなくなって……私の家族は心配してないでしょうか」
それは自分の家族の事だった
大切な両親や兄弟達が、突然失踪した自分を探しているのではと思っていたのだ
「それは問題ない。菊理が寝ている間に俺が君の家族の記憶を書き換えた。だから菊理の家族は菊理が『最初からいなかった』と思って生活しているよ」
嗣臣から告げられた事実に、菊理の胸がチクリと痛んだ
「……そっか」
彼女は下を向き、少し悲しそうな顔でぽつりと呟く
そして走馬灯のように家族との思い出が蘇ってくる
一緒に笑い、話し、時に悲しみに寄り添ってくれた家族はもう自分の事を覚えていない――
自分は本当に『あちら側』の人間ではなくなったのだ、という現実をひしひしと感じていた
「………後悔したか?黄泉人になった事に」
少し落ち込んだ様子の菊理に嗣臣が尋ねると、彼女は首を横に振った
「………ううん。ちょっと悲しいけど、あの時死にたくは無かったから。後悔はしてないです」
少し眉を下げ菊理は答えた
言葉は本心を告げているが、心の片隅に悲しさが残っているのが感じ取れた
「そうか」
菊理の気持ちを察しつつ、嗣臣は敢えてそこには触れずにおくことにした
「………随分話し込んでしまったな。そろそろ寝ようか」
「え!?あ、はい!」
反射的に返事をしたと同時に、菊理は『あの事』を思い出しハッとした
(そうだ初夜の事すっかり忘れてた!)
遂にこれから挑むのかと思い、ギュッと目を瞑る
――来るなら来い!
菊理は腹を括った
……しかしいつまで経っても何も起きなかった
「………へ?」
嗣臣を見ると彼はもう布団に入り文字通り"寝る"体勢に入っていた
「……?どうしたんだ?そこに座ったままで。早く布団に入れ」
嗣臣は不思議そうな顔で菊理を見つめている
「は…はい…」
拍子抜けした菊理はのそのそと布団に入り、嗣臣に背を向けるようにして横になった
(形だけの結婚だし、こんなもんか……)
そう思いながら菊理は目を閉じた
こうして見せかけの夫婦の夜は静かに更けていったのだった




