64.ひとつなぎの大秘宝なんていらない
「…神秘の森」
私は呟いていた。
着いた先がそこだったから。
神秘の森とは、よく分からない地域一帯の総称のこと。以前、ここには一度訪れている。そんな神秘の森に、私達は前に来た時と同じ場所に立っていた。あの、よく分からない『物体』と呼ばれるものも、うようよとその辺りを動いている。
懐かしい。今は、もうあの物体もきもち悪い、とは感じなくなっている。
……いや、やっぱちょっと気持ち悪いな。
それにしてもここに何の用事があるんだろう。
そう思っていたら、アルファルド君とカグヤが何やら二人で会話をして、カグヤ一人だけが、またあの記憶術で何処かへと行ってしまった。アルファルド君と私、そしてミズイロだけがここに残された。
「ミズイロ、ここに何の用事なの?」
私の頭の上に乗っかっているミズイロに尋ねる。だけど、ミズイロは「むずかしくてわからない」と、やはりそう言った。ミズイロは何歳設定なのだろうか。
「―――――――」
アルファルド君が、ミズイロが頭の上に乗っているから私の位置が分かるのか、こっちを見ながら何かを言い、そして歩き出した。とりあえず着いて行けばいいのだろうか。
前を歩くアルファルド君。
前に神秘の森に来た時もこんなだった。あの時と違うのは、私の声がアルファルド君に届かない事。アルファルド君の言葉が、私には分からない事、だ。
あの時は姿こそ見えなかったが、声だけは届いていた。
『あれはな、この神秘の森に生息している物体だ』
『物体!?物体ってどーいうことなのアルファルド君っ!!生き物って事!?』
『落ち着け。あれはな、物体だ』
「…………」
そうやって、私はアルファルド君と会話していたのにな。
「…寂しいよ」
寂しい。だけど、あの時と一緒だ。
私は今、アルファルド君と一緒。一緒に歩いている。それだけは嬉しくて、でもやっぱり寂しくて。
私は何とも言えない気持ちになった。
物体を避けつつアルファルド君は前を歩く。時々、ちらりと後ろを振り返りながら歩いて行く。
何処に?分からない。もしかして、あのレイトの花の所なのだろうかとも私は考えていた。まぁそれならば、既に道を大きく外れていると思われるのだが。
「ミズイロ、アルファルド君は何処に向かっているんだろう」
『あるふぁど、まよってる』
あ、やっぱり迷ってるのね。
ミズイロが少し怒ったようにそう言ったので、私は前を歩くアルファルド君の背中を呆れながら見つめた。ミズイロはやはりアルファルド君の方向音痴に不服を持っていたようだ。言葉が分かって初めて気付けるものがある。ミズイロはいつもアルファルド君の方向音痴に怒っていたのだろうか。
「ミズイロ、アルファルド君が向かってるのって、レイトの花の所じゃないよね?」
もしそうなら、大きく方向転換しないといけないのだが。あまり覚えてはいないが、この道は明らかにあの時とは違うと私は思う。
『ちがう。あるふぁど、あたまわるい』
「………」
あ、頭悪いとまで言われている。アルファルド君、ミズイロに頭悪いってまで言われてるよ。
ミズイロにそこまで言われてるアルファルド君がちょっと不憫に思えた。
ミズイロ、あれでアルファルド君もやる時はやる男なんだよ。
『あるふぁど、だめ。ぼく、がんばる』
そう言って、ミズイロが私の頭の上から飛んで行き、アルファルド君の頭にやはりどかんっ、と当たってそのまま前へと飛んで行った。アルファルド君がそんなミズイロを見る。そして、ちらりと後ろを振り返り、そのままミズイロを追いかけた。ミズイロはそこまでのスピードで飛んでいなかったので、歩いてでも追いかけられる。
私もそんな二人を追いかける。
「…だめ、って言われたよ。アルファルド君」
ちらちらさっきより後ろを振り返る回数が増えたアルファルド君は、そんなこと言われているとも知らないだろう。だけどアルファルド君。アルファルド君の優しさは、きっとミズイロにも伝わっているよ。
ちらちら振り返るアルファルド君に、私は苦笑した。
そして着いたのは一言でいえば変な所、だった。
周りには何もない。その一角だけ、木も草も花も物体もいない。あるのは、大きな棺のようなものだけ。その柩棺には水らしきものがたっぷりと張ってあって、アルファルド君同様私も中を覗いて見るのだが何故か底が見えない。外観ではそこまで深い棺ではないのに。
黒くて深い闇。
見えない深淵。
真暗闇。
闇の深淵。
「………」
多分、これに底なんてない。
そんな気がした。
「アルファルド君、これに何の用事があるの?」
何だか不気味で棺から距離を取りつつ、未だ棺の傍に立っているアルファルド君に聞く。答えなど帰ってこないことは分かっていたけど、聞かずにはおれなかったから。
変な事、考えてないよね、と思う。
じっと棺を見るアルファルド君が不安だった。なんだか嫌な予感がして仕方なかった。不安で不安で不安過ぎて、私は無意識にアルファルド君に手を伸ばしていた。触れる前に、バシッ!と弾かれる。
「…っい…!」
『れいとっ』
ミズイロがこっちに飛んで来て肩に乗る。そんなミズイロに大丈夫だよ、と言ってやり私は未だずっと棺を見続けるアルファルド君を見る。
「…ね、ミズイロ。アルファルド君、何やろうとしてるの?」
『れいと、たすけるって』
「………」
その言葉だけで私はゾッとした。
助ける、って。
何をやって?
私はアルファルド君を見る。
変な事、考えてないよね。また、変な事にはならないよね。そんな不安だけが私の中にあった。助けては欲しいとは思う。だから私はここまでアルファルド君に着いて来たのだから。だから、助かりたいとは思ってる。だけどそれは、アルファルド君を犠牲にしてまで欲しいものじゃない。願うことじゃない。
手にすべきものじゃない。
アルファルド君が動く。
私はビクリと自分の肩が上がった気がした。
アルファルド君は棺の前に立ち、すっ、と片手を棺の中に入れた。棺の中には水がある。ちゃぷり、と音がしてアルファルド君は手を棺に入れたまま暫くじっとしていた。
「…………」
アルファルド君の顔は真剣だ。
何をしているのか、何がしたいのか。私には分からないけど、嫌な予感だけはした。
深い深い闇。
棺の中は見えない深淵。
底のない暗闇。
今、アルファルド君はそこに片手を入れている。
嫌な予感だけはする。
嫌な気配を感じる。
棺の中に手を突っ込んでいるアルファルド君。
棺の中は闇。
棺の中にあるのは闇だ。
闇の中に手を入れるのは
とても危ないこと。
がくっ、とアルファルド君が傾いだ。
棺の中に入れた片手が引っ張られているかのごとく、アルファルド君が傾く。
私は無意識にアルファルド君に向かって走り突っ込んでいた。体当りをかまそうとしたのだが、やはりアルファルド君の周りの見えない膜のようなものに弾かれ、反動で後ろに転ぶ。
だけど、私は諦めなかった。
これが何か分かったから。
これが何をしようとしているのか分かったから。
「………っ!」
今、棺はアルファルド君の片腕全てをその身に引きずり込んでいる。アルファルド君の顔が苦痛に変わる。私は走り、アルファルド君にぶち当たってその棺から引きずり出そうとするが、やはり弾かれ後ろに派手にすっ転ぶた。
「……っ…」
やめて。
弾かれる。転ぶ。
やめて。
弾かれる。転ぶ。
「…やめて」
だっ、と走りアルファルド君に触ろうと手を伸ばす。バシッ!と弾かれ触れない。
触れない。
助けられない。
「……っ…」
嫌だ。駄目だ。嫌だ。駄目だ。嫌だ。
駄目だ。
だめだ。
ぎゅ、と握る手に力がこもる。
どうして。
どうして私は。
どうして私は彼を助けられないのか。どうして私はこんなにも無力なのか。どうして私は『見る』だけなのか。
ただの人間に成り下がった私は。この世界の住人じゃないただの異世界人である私には何の力もない。何の術もない。
ただこうやって何も出来ずに呆然と愕然と唖然として見ているだけしか出来ない。
傷付く彼を見ているだけ。
苦しむ彼を見ているだけ。
一人で前に進む彼をじっと見ているだけ。
魔王でない私には、この世界に干渉することさえ許されていないのか。
ブラウン管の向こうで、液晶画面の向こうで、ただただ座って成り行きを見守ることしか許されていないのか。
何も出来ず手をこまねいて。諦めて。
終わりを待つしかない。
全てが終わりを迎えるのを待つしかない。
どうして私には何も出来ないのか。
だったらどうして、
だったらどうして。
『私』はここにいるの?
『君ガソレヲ望ムナラ、《力》ヲアゲヨウカ?』
「…………」
彼を救うのだと、
彼を助けるのだと、
彼の力になるのだと、
何を犠牲にしても
誰を犠牲にしたとしても
この身に何が起ころうと
この世界がどうなろうと
私はあの時、
決めたじゃないか。
「……っ!!」
だっ!ともう一度走り、私はアルファルド君に手を伸ばすと同時に棺の方に手を向けた。
大丈夫。
出来る。
『魔王の力』が無くたって。
『私』にも『力』がある。
バァンッ!!
と音がして棺が粉々に砕けた。私の体はアルファルド君にぶち当たる。ドバァと水が流れ出るそこからは、もう何の気配も嫌な感じもしなかった。
そこには『何』も無くなった。
だけど。
「……どうして、こんなことしたの…?」
私は、私に飛びつかれた格好のまま座り込むアルファルド君のその胸に顔を埋めながらそう口にした。
見ることが出来なかった。
顔を上げることが出来なかった。
直視することが出来なかった。
だから、アルファルド君の胸に顔を埋めたまま、私はアルファルド君に訊ねる。
アルファルド君に触れることに、何の疑問も抱かない。
だから言葉にする。
どうして、と。
何でこんなことを、と。
「…片腕一本なら、安いもんだろ」
アルファルド君はそう言った。
何それ。
「……………」
棺に入れていたアルファルド君の左手はそこにはなかった。左手のみならず、左腕もない。
そこにあるのは空間のみ。
アルファルド君は私を助ける変わりに片腕を失った。
「…どこぞの赤髪きどりか」
「俺の髪はルアナ色だが」
「…………」
ああそういえば、この世界の色は花の名前で決められていたんだっけか。多分、ルアナというのは花の名で、その花はアルファルド君の髪の色と同じ金色なのだろう。
きっと綺麗な太陽の色をした花の色。
「…もう、やだ」
私はアルファルド君の胸に顔を埋めたまま、ため息ではない何かを吐き出さずにはいられなかった。ゴムの少年のように泣き叫ぶことは出来ず、だけどドンッと拳でアルファルド君の胸を叩くことだけはした。
それだけしか、出来なかった。




