7. 突発レイドと、震えるS級
王都ルアウムが、かつてない喧騒に包まれていた。
近郊の「嘆きの断崖」にて、数千年の封印が解け、伝説級のダンジョンが突如として姿を現したのだ。ギルドは即座に最高警戒レベルの「レイド」を発動。王都中の冒険者が招集された。
「うわぁ……すごい人だ。クロ、俺たちみたいな新人がこんな大きなイベントに参加していいのかな?」
カラムは、重厚な装備に身を包んだベテラン勢に圧倒されながら、掲示板の前に立っていた。肩の上では、漆黒の毛並みを誇らしげに揺らすクロが、退屈そうにあくびをしている。
「フム。ただの穴掘りにこれほどの人間が集まるとはな。カラムよ、安心せよ。万が一の時は、ワシがこの断崖ごと冥界の底へ突き落として、探索の手間を省いてやる」
「ダメだってば! 中に宝物があるかもしれないのに、崖ごと落としたら台無しだろ。俺たちはコツコツ、安全第一でいくんだ」
「……貴様の『コツコツ』は、時としてワシの忍耐力を試しているな」
そんな二人の背後から、地響きのような足音が近づいてきた。
「……カラム、いたか」
現れたのは、S級冒険者ジャイル・エブタリフ。彼は今、これまでにないほど険しい表情をしていた。だが、その視線はカラムではなく、その肩の「もふもふ」に釘付けだ。
「ジャイルさん! 今回のレイド、ジャイルさんも参加するんですね!」
「ああ……。ギルドから、現場の指揮を任された。だが、未知の領域だ。何が起きるか分からん。そこで……だ。カラム、貴様さえ良ければ、私とパーティーを組まないか?」
周囲の冒険者たちが「ええっ!? S級が新人と!?」と驚愕の声を上げる。
だが、ジャイルの真意は一つだった。
(……このダンジョン、奥から感じる魔圧が異常だ。正直、私一人では命の保証がない。だが、この『漆黒の死神(の皮を被った子犬)』がそばにいれば、生存率は一気に跳ね上がる……!)
ジャイルの生存本能は全力でクロを頼れと言い、一方でその重度の犬好き本能は「あわよくば、暗がりでまた撫でられるチャンスがあるのでは?」という下心を囁いていた。
「俺なんかでいいんですか? 足手まといにならないように頑張ります!」
「……フン、この大男め。ワシという安全圏に逃げ込もうという魂胆か。まあよい、貴様の筋肉、壁役としては合格点だ」
クロの不遜な言葉を、ジャイルは「相変わらず設定の凝った、勇気ある子犬だ(可愛い)」と脳内で処理し、震える指先でクロの頭を一度だけ撫でた。
ダンジョン内部は、物理法則が歪んだ異界だった。
ジャイルの圧倒的な大剣裁きで中層までは難なく進んだが、最深部の手前、巨大な円形ホールで「それ」は待ち構えていた。
伝説の魔獣、エルダー・リッチ・ドラゴン。
肉体を持たず、怨念と魔力だけで構成された骨の巨竜。その存在自体が「死」そのものであり、本来なら一国を挙げて討伐すべき災害種だ。
「ガ、アアアアアアオオオ!!!」
巨竜が咆哮すると、ホールの空気が凍りつき、ベテラン冒険者たちの心が恐怖で折れた。ジャイルでさえ、大剣を握る手に汗が滲む。
「……クソっ、なぜこんな場所にこいつが……! 全員下がれ! カラム、お前もだ!」
「ジャイルさん、危ない!」
カラムは叫んだが、巨竜の放った超高密度の「死のブレス」が、逃げ遅れた冒険者たちへ向けて放たれようとしていた。
その時──クロがカラムの肩から、音もなく飛び降りた。
「……やれやれ。ワシのティータイムを邪魔するだけでなく、ワシの下僕どもに砂をかけようとはな……骨だけの分際で、少し調子に乗りすぎだ」
クロの赤い瞳が、深淵のような闇を湛えた。
彼は、巨竜の足元までトコトコと歩み寄ると、小さな前足をちょんと上げた。
「あ、クロ! 危ない!」
(……カラムが見ているな。あまり派手にするなと言われていたが……。良かろう、『お手』の要領で、空間を少しだけ捻じ曲げてやるわ)
「――跪け、愚物」
ドォォォォォォォォォン!!!
次の瞬間、巨竜の頭上に、全てを跪かせる重力魔法が顕現した。
物理的な破壊ではない。それは概念的な「重圧」。巨竜の巨大な骨格は、悲鳴を上げる暇もなく、まるで誰かに踏みつけられた紙細工のように、一瞬で地面へと叩きつけられた。
巨竜は必死にもがこうとしたが、クロが放つ「冥界の王」の威圧に、魂そのものが消滅の危機を感じて完全に萎縮した。
「ガ……ギギ……」
(……き、貴方様は……まさか、冥界の……)
巨竜の思念がクロに届く。しかし、クロは冷徹に言い放った。
「……静かにせよ。貴様の無粋な咆哮で、カラムの耳が痛むではないか」
クロは、子犬の可愛らしい動作で、バシバシと巨竜の巨大な頭を肉球で叩いた。
だが、その一撃一撃は、巨竜の「不滅の魔力核」を直接粉砕する、神殺しの一撃だった。
ボコッ! メキッ! ズドン!
数回、クロが「お手」を繰り返しただけで、伝説の骸骨龍は粉々のカルシウムの塊となり、静かに霧となって消え去った。
一部始終を見ていたカラムは、目を見開いて叫んだ。
「すごい! ジャイルさんの『威圧』のおかげで、ドラゴンが動けなくなったんだな! そこにクロが勇気を出して飛びかかって……! これぞ黄金の連携だ!」
「…………え?」
ジャイルは、大剣を構えたまま固まっていた。
(……いや、違う。私の威圧ではない。今、私は一瞬、この世の終わりを見た。巨竜のブレスで全滅を覚悟した……しかし、この子犬が前足を上げた瞬間、突然空間が歪み巨竜が崩れ落ちた……だが、待てよ。……もし私が『私がやりました』という顔をしていれば、この恐怖の事実は公にならず、このもふもふとの平穏な日々(撫でる権利)が続くのではないか?)
ジャイルは、冷や汗を拭いながら、あえてドスの利いた声で言った。
「……ふ。……ああ、その通りだ、カラム。私の放った『聖なる威圧』と、……クロの『捨て身の特攻』。それが噛み合った、完璧な勝利だったな」
「やっぱり! ジャイルさん、かっこいい! クロも、よく頑張ったな!」
カラムは駆け寄り、クロを抱き上げて頬ずりした。
クロは「ワシの功績がこの大男に奪われただと!?」と憤慨して唸ったが、カラムが「今夜は特製ジャーキー二倍だぞ」と囁くと、即座に「ワン!」と愛らしく鳴き、しっぽを激しく振ってしまった。
(……まあよい。ワシの真の力など、凡人には理解できぬのが世の常。小さな骨のトカゲを一匹潰した程度が功績になるなら、そんなものいくらでもくれてやる。今は肉の喜びを優先しよう)
こうして、伝説級のダンジョンレイドは、被害者ゼロという奇跡的な結果で幕を閉じた。
ギルドの報告書にはこう記された。
『S級冒険者ジャイルの圧倒的な覇気と、新米冒険者カラムの使役する「非常に勇気のある、よく訓練された厨二病の子犬」による、奇跡の連携。エルダー・リッチ・ドラゴンは、あまりの気迫に自壊したと思われる』
「ジャイルさん、本当にありがとうございました! 勉強になりました!」
ギルドへの帰り道、カラムは晴れやかな顔で礼を言った。
ジャイルは、クロの「肉球の跡」が残る自分の手の甲を見つめ、複雑な表情で頷いた。
(……私は知っている。あの巨竜を塵にしたのは、この男の腕の中で今、お腹を見せて眠っている小さな生き物だということを。……だが、同時に思うのだ。……この子犬を『厨二病の可愛いペット』として愛せるこのカラムこそが、世界で最も強靭な精神の持ち主なのではないかと……)
「……カラム。……また、依頼に行こう。……次も、私が前衛だ。……その、クロ殿の『応援』があれば、私は無敵だ」
「はい! もちろんです! 僕でよければいつでも!」
カラムの明るい返事と、クロの寝言による「ワシを敬え……」という呟きが、夕暮れの街道に響く。
ジャイルは思った。自分はこの「もふもふの神」とその飼い主に、一生振り回される運命なのかもしれないと。
そして、その裏で。
ダンジョン崩壊の知らせを聞き、現地を調査しに来た王国の賢者たちは、巨竜が消滅した跡地に残された「小さな犬の足跡型」に抉れたクレーターを見て、頭を抱えていた。
「……ありえん。これは、天界の審判でも受けたというのか……?」
真実は、安物ジャーキーと愛情だけで飼い慣らされた、地獄の番犬の「お遊戯」だった。




