11.追撃
ガルヴァニア帝国の諜報部は、かつてない屈辱に震えていた。
帝国暗殺部隊「冷灰」の筆頭であるヒクウからの最終報告──「ターゲットの正体を確認。アルテニア王国に守護獣などはいなかった。いたのは黒い長毛の子犬とその飼い主で、見た目の可愛さから民衆に守護獣と呼ばれている模様。飼い主の青年とその子犬は無害と判断し監視対象から外す。しかしながらアルテニア南の森の異変の原因はいまだ不明。そのため暫く帝国へは戻らず引き続き調査を続ける」以降、音信不通。
「なるほど……その『守護獣』とやらは無害で監視は不要。そして異変の原因は不明と……」
諜報長官は不満そうな顔で報告書を見ながら呟いた。
「……ヴィンスよ、居るか?」
「お呼びでしょうか、長官」
「冷灰」の筆頭ヒクウの補佐ヴィンス。諜報能力は僅かにヒクウに劣るものの、その戦闘能力はヒクウに勝るのではと言われている暗殺特化型の隊員だ。
「貴様らの筆頭が帝国の秘宝『イビル・ダガー』を持ってアルテニアへと亡命した……」
「……」
「奴は不要だ……後は……分かるな?」
「……御意」
──夕刻、アルテニア王国。
「ターゲット:カラム・アルブラスター。……戦闘能力、皆無。魔力値、平民レベル。……脆弱。念のため守護獣(仔犬)が離れた隙を突き、排除。その後、守護獣を無力化し確保」
ヴィンスは夕闇に紛れ、カラムが薬草の納品帰りに一人で通る、人通りの少ない路地裏に潜んだ。
「ふぅ、今日の納品も無事に終わったな。クロ、リリアさんに可愛がられすぎて食べ過ぎてなきゃいいけど……」
カラムは一人、夕暮れの路地裏を歩いていた。
「クロが寂しがってるかもしれないから、早くギルドに戻らないと」
その頃、クロはというと、ギルドの酒場でリリアにお菓子を貢がれ、ヒクウに極上なでなでブラッシングをされるという、いつもの「もふもふ包囲網」に捕まり、仰向けになり尻尾を千切れんばかりに振っていた。
「今日はたくさん働いてお給料もたくさん貰えたから、夕ご飯はクロの好きな物を買ってあげよっと」
その時だった。
背筋に、氷を流し込まれたような、冷たく鋭い殺気が走った。
「──っ!?」
振り返る間もなく、黒い影が頭上から降ってくる。手には、魔力を帯びた漆黒の短刀。
「うわああああっ!?」
カラムは情けない声を上げ、なりふり構わず地面を転がって避けた。本来なら、この一撃で首が飛んでいたはずだ。しかし、カラムの体は、本人の意思とは無関係に、驚異的な反応速度で石畳を蹴っていた。
(……!? 避けられた? 私の一撃を、下級冒険者が……?)
ヴィンスの瞳に、わずかな疑念が走る。
「な、なんなんですか!? お、俺、何かしましたか!?」
カラムは涙目になりながら、ガタガタと震えている。
「抵抗は無意味だ……」
ヴィンスが踏み込み、十を超える斬撃を繰り出す。
「ひぃぃぃっ! やめてぇぇー!」
カラムはパニックになり、目を瞑って、腰の剣を抜き、滅茶苦茶に振り回した。
──次の瞬間。
ガキィィィィィィィン!!!
「……な、何だ、この衝撃は!?」
ヴィンスは戦慄した。自分の短刀が、ただの鉄剣に弾かれるたび、重く「神々しい雷鳴」のような衝撃が走る。
実は、この鉄剣は、クロが隣で寝ている間に漏れ出た「魔力」を連日浴び続け、外見こそ、ごく一般的な普通の剣(よく手入れはされているが)だが、中身は伝説級の剣へと変質していた。
さらに、カラムの肉体もまた、クロの強大すぎる魔力に毎日当てられ続けた結果、知らず知らずのうちに魔力が身体中を巡り、身体能力がブーストされていたのである。
「あ、あれ!? 何か……身体が勝手に……!」
カラムはパニックに陥った。自分の身体と剣がまるで自律しているかのように、ヴィンスの超高速の斬撃をすべて完璧に弾き返していくのだ。
「うわああ! あ、危ないって!」
カラムが必死に剣を振り回すと、振り抜くたびに「ヴォォン!」という空気を引き裂く轟音が響き、路地の石壁が風圧だけでガラガラと崩れていく。
(……馬鹿な。この男、引け腰で怯えながら……私の全攻撃を的確にいなしている……いや、まさか、私を油断させるための演技なのか!?)
ヴィンスはカラムの実力を見誤ったと判断し、すぐに体制を整え戦い方を変える。この柔軟な対応力がヴィンスの強さだ。冷静にカラムの動きを見ながら間合いを取り、空間ごと標的を切り裂く、強烈な斬撃を遠距離から放つ。
カラムは恐怖のあまり絶叫した。
「もう……もう嫌だぁぁぁーーー!!」
カラムは渾身の力で、剣を真横に薙ぎ払った。
その瞬間、剣から溢れ出したクロの魔力が、巨大な衝撃波となってヴィンスの斬撃と路地裏を飲み込んだ。
ドォォォォォォォォン!!!
「ガ、ハッ……!?」
ヴィンスは反応することさえできなかった。短刀は粉々に破壊され、本人は衝撃波に弾き飛ばされて遥か彼方へと吹き飛ばされ、壁にめり込み失神した。
「…………え?」
静まり返った路地裏。
カラムの手元には、抜いた時よりなぜか神々しく輝いている(ように見える)「普通の鉄剣」。
そして、目の前には、自分が振った剣の斬撃で、分厚く巨大な石壁が豆腐のように真っ二つに切り裂かれた無惨な光景。
「……俺、今、何をしたんだ……? 壁が……切れてる? 俺が……やったのか?」
カラムはガタガタと震えながら、自分の手を見つめた。
「もしかして、ヴィクトリア様の高級ステーキの栄養で、身体が成長したのかな……? それとも、村の鍛冶屋のおじさん、実は物凄い鍛冶屋さんで、物凄い剣を僕に……」
そこへ、もふもふを堪能しまっくていたリリアとヒクウが駆け付けた。その後ろから、おやつをいっぱい食べて満足げなクロが、口周りをペロペロと嘗め回しながら、悠々と歩いてくる。
「カラムさん! 大丈夫ですか!? 凄く大きな音が聞こえたけど!」
リリアが真っ青な顔で駆け寄る。
「あ、みんな……。う、うん。なんだか変な人に襲われた気がしたんだけど……パニックになって剣を振ってて、気づいたら、壁が壊れてて……その人もいなくなってて……」
ヒクウは、壁の断面と、遠くで壁にめり込んでいるヴィンスを一目見て、戦慄した。
(……この精密な断層……帝国の特等処刑人ヴィンスを、たった一撃で……それを気づいたら……だと? ……恐ろしい。これが、クロ様に選ばれし者の力……まさに『神威』……!)
「フム。……カラムよ。ようやくワシの魔力が貴様の身体に馴染んできたようだな。貴様、今ならその辺のドラゴン程度ならデコピンで殺せるぞ。褒めてやろう」
クロがカラムの足元に擦り寄り、満足げに尻尾を振った。
「な、何を言ってるんだよ、クロ! ドラゴンをデコピン!? そんなわけないだろ! たまたま運よく攻撃を躱せただけだし、きっと、この剣が凄かったんだ。そうだよ、鍛冶屋のおじさんが『気合入れて作った』って言ってたし!」
カラムは「自分が強くなった」という事実を全力で拒否し、「剣と運が良かった」という結論にして、何とか自分自身も納得させた。
「……カラムさん、無事でよかった。でも、気を付けてくださいね。最近、カラムさんの周りで何か良くない事が起ころうとしている気がするの……」
リリアが心配そうに抱きつく。
「あ、ちょっと……リリアさん……」
カラムの顔が地獄の業火の如く、真っ赤に燃え上がる。
「どうした? カラムよ。全身から汗が噴き出ておるぞ。急激に力を使いすぎたか?」
「あ、いや、これは……その……」
「まあ、よい。ヒクウよ、問題ないとは思うが、引き続きワシがいない時はカラムのことを頼むぞ」
「……御意。カラム様に害意を持つ者が視界に入った瞬間に、半径一キロを焦土にします」
「あはは……だからヒクウさん、やりすぎは駄目だよ……」
カラムは困り顔で笑いながら、クロを抱き上げた。
その腕には、本人が思うよりずっと強大な力が宿っていたが、彼はそれを「クロを、家族を、仲間を守るための愛情」だと思い込んだまま、いつもの平和な家路へと歩き出すのであった。




