01.最強ギルドの便利なサポーター
朝六時。
王都グランベルの東地区にある冒険者ギルド《黎明の翼》は、すでに戦争でも始まるのではないかというほどの騒がしさに包まれていた。
「セラさん、今日の遠征用のポーションです。赤が体力回復用で、青が魔力回復用。あと、こっちは予備なので、緊急時以外は使わないでくださいね」
「助かる! いやあ、リーゼがいると準備が早くていいな!」
「ふふっ。セラさんたちが早く出発できるように、昨日のうちに用意しておいたんです」
「昨日のうちにって……お前、昨日も遅くまで残ってただろ?」
「そうでしたっけ?」
「そうでしたっけ、じゃない!」
剣を背負った赤髪の女性が、呆れたように眉を寄せた。
彼女の名前はセラ・ヴァレンティア。黎明の翼の前衛部隊を率いる、実力も人望もある剣士である。
そして、彼女に小言を言われているのが、私――リーゼ・アルヴェイン、二十五歳。
職業は共鳴支援士。
冒険者としての役割を一言で説明するなら、仲間が本来持っている力を、最大限に引き出す仕事だ。
……と、格好よく説明してみたものの、実際のところ、私の仕事はそれだけではない。
「リーゼ! 悪いんだけど、この地図の写しを三枚頼めるか?」
「はい。出発前までに用意しますね」
「リーゼさん、魔術部隊の配置なんですが、昨日の案から変更がありまして……」
「分かりました。ノアさん、あとで一緒に確認しましょう」
「リーゼ、食料の数が合わないんだが、ちょっと見てくれ!」
「ブリジットさん、今そちらに行きます!」
呼ばれるたびに返事をする。
返事をするたびに、やることが増える。
それでも私は、困っている人を見つけると、つい足を止めてしまう。
誰かが困っている。
自分なら助けられる。
だったら、助けたほうがいい。
私の中では、それだけの話だった。
「……リーゼ」
セラが、何か言いたげな顔でこちらを見ていた。
「はい?」
「お前、今日の自分の仕事が何個あるか、数えたことあるか?」
「えっ?」
「えっ、じゃない。今、何人から頼まれた?」
「ええと……」
私は指を折って数え始めた。
ポーションの確認。地図の写し。魔術部隊の配置調整。食料の確認。装備の点検。それから、昨日頼まれた新人さんの魔法訓練の相談もあったはずだ。
「あ、あと、ガイウスさんに遠征の支援計画を提出しないと」
「もういい。もういいから」
セラが額に手を当てた。
「お前、自分が何をしてるのか分かってるか?」
「お仕事ですけど……?」
「そういうことじゃない!」
ギルドの食堂に、セラの声が響いた。
周囲の冒険者たちが一斉にこちらを振り向く。
私は思わず肩をすくめた。
「す、すみません……?」
「いや、謝れって言ってるんじゃないんだよ……」
セラは深いため息をついた。
「少しは人に任せろ。お前が全部やる必要なんてないだろ」
その言葉に、私は首をかしげた。
全部。
全部、というほどのことだろうか。
確かに、少し忙しいとは思う。
でも、私がやれば早く終わる仕事も多い。仲間たちには、それぞれ得意なことがある。剣を振るうのが得意な人。魔法の研究に夢中になれる人。危険な場所でも冷静に周囲を観察できる人。
みんな、それぞれの場所で頑張っている。
だったら、私は私の得意なことで、みんなを助ければいい。
それは、そんなに悪いことなのだろうか。
「大丈夫ですよ、セラさん。私、こういうの得意ですから」
そう答えると、セラは何かを言いかけて、結局、口を閉じた。
代わりに、困ったような顔で私の頭を軽く小突く。
「……お前なあ」
「えへへ」
「褒めてないからな?」
「はい!」
「絶対分かってないだろ……」
セラの呆れた声に、周囲から笑いが起こった。
私もつられて笑った。
こういう時間が好きだった。
誰かが困って、誰かが助けて、最後にはみんなで笑える。
冒険者なんて危険な仕事をしているのだから、せめてギルドにいるときくらいは、安心して過ごしてほしい。
ここが、みんなにとって帰ってこられる場所であってほしい。
そのために自分ができることがあるのなら、私はそれをしたかった。
だから、このときの私は、本当に思っていたのだ。
――私は、ちゃんと役に立てている。
と。
◇
午前七時。
遠征隊が出発する三十分前。
私はギルドの裏手にある訓練場で、最後の確認を行っていた。
「セラさん、少しだけ動いてもらってもいいですか?」
「ん? 構わないけど」
「ありがとうございます。では、いつもどおり剣を振ってみてください」
セラが木剣を構える。
踏み込み。
振り下ろし。
返しの一撃。
どれも、見事なものだった。
さすがは前衛部隊長。身体能力も剣技も、同年代の冒険者の中では頭一つ抜けている。
けれど、私は彼女の剣を見ながら、ほんの少しだけ眉を寄せた。
「セラさん、右足を踏み込むとき、少しだけ重心が外側に流れています」
「え? そうか?」
「はい。ほんの少しだけですけど。昨日の戦闘で、右肩をかばう癖が出ているのかもしれません」
セラが右肩を回した。
「もう治ったと思ってたんだけどな」
「痛みがなくなっても、身体が覚えていることがありますから」
私は彼女の前に立ち、魔力を集中させた。
「少しだけ補助をかけますね」
淡い緑色の光が、セラの足元に広がる。
私の魔法は、筋力を単純に増幅させるものではない。
身体の動きに生じるわずかなズレを整え、本人が持っている力を、最も効率よく発揮できる状態に近づける。
だからこそ、相手の癖を知る必要がある。
どんなときに力むのか。
どんな動作を苦手としているのか。
恐怖を感じたとき、身体のどこに力が入るのか。
その人が何を得意とし、何を苦手としているのか。
私は、仲間たちをよく見ていた。
彼らのことを知るのが、好きだったから。
「もう一度、お願いします」
「おう!」
セラが踏み込む。
先ほどよりも滑らかな動きだった。
剣の軌道に無駄がない。踏み込みから斬撃への移行が自然で、力が一点に集まっている。
セラ自身も、目を丸くした。
「……おお?」
「どうですか?」
「なんだこれ。いつもより剣が軽いぞ」
「剣が軽くなったわけじゃありませんよ。身体の動きがうまくつながっているんです」
「いや、それがすごいんだって!」
セラが笑った。
「やっぱりお前の支援は頼りになるな!」
その言葉に、胸の奥が温かくなった。
頼りになる。
その言葉は、何度聞いてもうれしい。
私は、誰かの代わりに剣を振るうことはできない。
誰かの代わりに魔法を放つこともできない。
けれど、彼らが持っている力を、少しでも大きくすることならできる。
自分一人では届かない場所に、仲間たちが届くようになる。
それが、私の仕事だった。
「ありがとうございます。セラさんが努力しているからですよ」
「そういうところだぞ、お前は」
「え?」
「褒められたら、たまには素直に喜べ!」
私は目を瞬かせた。
それから、少し考えて。
「……えへへ。うれしいです」
「最初からそう言え!」
セラが笑い、私も笑った。
訓練場の向こうでは、魔術部隊が出発前の確認をしていた。
ノアが何かを説明し、若い魔法使いたちが真剣な顔で耳を傾けている。
少し離れた場所では、斥候たちが地図を広げ、今日の移動経路を確認していた。
誰もが、自分の役割を果たそうとしている。
その光景を見ると、私はいつも思う。
この人たちが、無事に帰ってこられますように。
今日も、みんなが笑って帰ってきますように。
その願いは、私にとって魔法を使う理由そのものだった。
◇
「リーゼ、準備はどうだ?」
振り返ると、黒紺色の外套をまとった男性が立っていた。
ガイウス・レインハルト。
黎明の翼のギルドリーダーであり、百二十名の冒険者をまとめる責任者だ。
年齢は三十一歳。
剣士としても優秀で、判断力に優れ、普段は感情をあまり表に出さない。
ただし、長い付き合いのある私には、彼が時折、誰にも見えないところで疲れた顔をしていることが分かっていた。
「はい。遠征隊の準備は、ほぼ完了しています。あとはノアさんの最終確認だけです」
「そうか。ありがとう」
ガイウスは、私の手元にある書類を見た。
「……それは?」
「あ、今日の支援計画です。セラさんたちの前衛部隊と、ノアさんの魔術部隊の連携を少し調整しました。敵の出現位置が昨日の予測と違っていた場合に備えて、いくつか代替案も用意しています」
「代替案が、いくつある?」
「三つです」
「三つ?」
「はい。状況によって使い分けられるようにしてあります」
ガイウスは書類を受け取り、目を通した。
数秒後、彼の眉がわずかに動いた。
「……よく、ここまで考えたな」
「いえ。昨日の記録を見ていたら、気になるところがあったので」
「昨日の記録?」
「はい。セラさんたちの戦闘記録と、ノアさんの魔力消費量、それから斥候の方々が報告してくれた敵の行動パターンです」
「それを全部確認したのか?」
「ええ。必要なところだけですけど」
ガイウスは黙った。
私は、何か問題があったのかと不安になった。
「……あの、何か不備がありましたか?」
「いや」
彼は書類から目を上げた。
「君の仕事ぶりには、いつも助けられている」
まっすぐな言葉だった。
私は思わず、背筋を伸ばした。
「ありがとうございます」
「だが、リーゼ」
「はい?」
「君が担当している仕事は、これだけではないだろう」
心臓が、小さく跳ねた。
彼は気づいていたのだろうか。
私が遠征の準備だけでなく、装備の確認や物資の管理、仲間たちの相談まで引き受けていることに。
もしかしたら、仕事を減らすように言われるのかもしれない。
そう思った瞬間、私は反射的に口を開いていた。
「大丈夫です。私、こういう仕事は好きですから」
言ってから、少しだけ後悔した。
また、同じことを言ってしまった。
でも、それ以外に何と言えばいいのか分からなかった。
仕事が多いのは事実だ。
疲れていないと言えば、嘘になる。
それでも、誰かに頼られることはうれしかった。
自分がやらなければ困る人がいる。
自分が頑張れば、みんなが安心して冒険に出られる。
その事実を手放すことが、なぜか怖かった。
ガイウスは、しばらく私を見つめていた。
彼の瞳には、何かを考えているような色が浮かんでいた。
けれど、やがて彼は小さく息を吐いた。
「……分かった。ただし、何かあれば必ず報告すること。無理はするな」
「はい!」
「本当に分かっているのか?」
「もちろんです」
私は、いつもの笑顔で答えた。
ガイウスは何か言いたそうにしていたが、結局、それ以上は追及しなかった。
彼は私を信頼してくれている。
だから、私の言葉を受け入れてくれたのだろう。
そのことがうれしくて、私は少しだけ胸を張った。
けれど。
彼が去った後も、先ほどの言葉が、なぜか頭の中に残っていた。
――君が担当している仕事は、これだけではないだろう。
私は、自分の手元にある書類を見下ろした。
紙の端には、まだ処理していない仕事がいくつも書き込まれている。
今日の遠征が終われば、少しは落ち着くだろうか。
明日の準備を済ませれば、少しは休めるだろうか。
そんなことを考えながら、私は書類を抱え直した。
大丈夫。
今日も、ちゃんとできる。
私はそう自分に言い聞かせて、仲間たちの待つ訓練場へと歩き出した。
◇
午前七時三十分。
黎明の翼の正門前に、遠征隊の冒険者たちが集まっていた。
今回の任務は、王都から北東に三日の距離にある森林地帯での魔物討伐。
危険度は高いが、これまで何度も攻略してきた地域だ。準備さえ整っていれば、大きな問題はないはずだった。
「よし、全員そろったな!」
ガイウスの声が響く。
「今回の任務は、予定どおり三日間。無理な追跡は避け、異常を発見した場合は速やかに報告すること。予定外の事態が発生した場合は、各隊の責任者が状況を判断し、必要なら撤退を選択する。いいな?」
「了解!」
百人近い冒険者たちの声が重なった。
私は、その光景を少し離れた場所から見つめていた。
みんな、頼もしい。
剣を磨き続けてきた人。
魔法の研究を重ねてきた人。
危険な森を何度も歩き、道を覚えてきた人。
それぞれが、自分の力を信じている。
そして私は、そんな彼らの力を信じていた。
「リーゼ」
声をかけられ、振り返る。
ガイウスが立っていた。
「君も準備はいいか?」
「はい。いつでも大丈夫です」
彼は、ほんの少しだけ目を細めた。
「……そうか」
それから、いつもの落ち着いた声で言った。
「今日も頼む」
私は笑った。
「お任せください」
その言葉に、迷いはなかった。
私は、自分の仕事が好きだった。
仲間たちが力を発揮する瞬間が好きだった。
誰かが無事に帰ってきて、「助かった」と笑ってくれることが好きだった。
だから、今日も頑張ろうと思った。
みんなのために。
このギルドのために。
そして、ここにいる自分のために。
そのときの私は、まだ知らなかった。
人を支えることが、いつの間にか自分を追い詰めていたことを。
自分がいなければ困る人がいるという喜びが、いつしか、自分がいなければいけないという思い込みに変わっていたことを。
そして、百二十人の仲間たちが本当に必要としていたのは、何でも一人で引き受けてくれるサポーターではなかったのだということを。
――この日、私たちはいつもどおりに冒険へ出発した。
そして、この何気ない一日が、黎明の翼というギルドのあり方を大きく変える、最初の一歩になったのだった。




