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第5章 奪われた心、選んだ力4

 塔の最上階でアシュレイとレオンが見つめ合う中、黒と白がせめぎ合っていた。レオンの剣は手から落ち、加護陣は不安定に揺らいでいる。その均衡を崩すように、アシュレイの左手が彼の胸に触れた。


「思い出せ!」


 悲痛に滲む声が封印の奥に亀裂を走らせると、レオンの瞳が揺れた。


「……離したく、ない」


 かすれた本音。その一言で、水盤が激しく波打つ。


「聖騎士の情動反応、再燃! 術式崩壊寸前!」


 老神官が即座に決断する。


「強制遮断、開始せよ」


 一瞬の静寂の後に、塔を貫く白光がレオンの身体を撃ち抜いた。


「ぐ……うッ!」


 倒れかけたレオンを支えようとアシュレイが上半身に触れた瞬間、光が近づかせないように反発し、弾き飛ばされるようにふたりが引き離される。地下から伸びた光鎖が、レオンの四肢を拘束した。


「神経系再固定。情動野、凍結」


 冷酷な宣告と共に、レオンの瞳から揺らぎが消えていく。さっきまで確かにあった“痛み”が、音もなく削ぎ落とされた。


「レオン!!」


 アシュレイの叫びに呼応し、穢れが大きく爆ぜた。塔の壁が崩れ、結界が軋む。だが術は止まらない。記憶だけじゃなく、感情を断つ。それが神殿のやり方だった。


 やがて、レオンの視線が結ばれる。そこにあるのは――無機質な聖騎士。


「任務、継続不能」


 温度のない声に、アシュレイはショックで息を呑むしかなかった。光鎖が彼を引きずるように連れ去ろうとするそのとき、レオンの指先がほんのわずかに動いた。アシュレイへ触れようとするように。


 でも次の瞬間、完全停止して光が弾けながら動きは消えた。


 最上階に静寂が訪れる。残されたのは黒く渦巻く穢れと、膝をつく王子のみ。


(……今、確かに戻りかけた)


 消えていない、消せない。ならば、やることはひとつ――。


「……武器にしてやる」


 穢れを形を変えるためにアシュレイは呼吸を整え、頭の中でイメージする。


「神殿が奪うなら――」


 黒が凝縮して、刃の形へと変化した。


「私は奪い返す」


 その瞳に涙はない。あるのは覚悟だけだった。


 地下神殿。隅にある台座に横たえられたレオン。情動反応はゼロ。水盤の端に微細な波形が、一瞬だけ揺れる。“A”の形に似た振動は、誰も気づかないほど微かだった。


 塔の上空で黒が収束し、アシュレイの穢れが次々と形を成す。手には刃、背中には翼。身体を纏うのは黒の鎧。制御された威圧で、完全武装が完了した。


「レオンを返せ」


 低く静かな声を発しても、神殿から返答はない。反応があったのは、棟を守る結界のみで、守りがさらに強化される。


 それでもアシュレイは、一歩踏み出す。迷うことなく黒の刃が、結界に向かって振り下ろされた――第一層が崩壊して、三重の結界が薄くなった。その隙間見極め、黒の翼で地下神殿まで真っ逆さまに飛んでいく。


 薄暗がりの中で目に映ったのは、慌てふためく神官たちと白い光に包まれたレオンだった。


「王子殿下」


 感情のない声を聞いて、アシュレイの眉間が歪む。


「これ以上の侵攻は、反逆と見なします」


 神官たちの盾となったレオンが、再び剣を振り下ろす。黒と白がぶつかる衝撃に、地下が大きく揺れた。


「レオン!」


 アシュレイは迷わない。レオンの感情を取り戻すために、黒い刃を握る。


「今度は奪われない」


 白の聖騎士と黒の王子が、神殿の中枢で再び対峙する。だがレオンの指先が、ほんのわずかに震えた。穢れの圧が、彼の奥に触れている。そのせいで、消えたはずの熱が、否応なしに疼く。  


 神官たちが水盤を見ながら叫ぶ。


「聖騎士の情動反応、再発!」

「遮断術式が不安定です!」


 アシュレイは、さらに一歩踏み込む。


「選べ」


 地下で声が静かに落ちる。


「神殿か、私か」


 白の剣が音もなく振り上げられる。黒の刃が交差する刹那、火花が散った。 そして、レオンの瞳が揺れた。ほんの、ほんの一瞬だけ。


 レオンの剣は正確だった。なのにアシュレイに全て先を読まれ、止められる。


(――なぜだ)


 剣が交差するたび、レオンの中に違和感が積もっていった。


(なぜ、この距離が懐かしいと思える――?)


「レオン、私から目を逸らすな」


 至近距離でかけられたアシュレイの声を聞くだけで、レオンの呼吸が乱れる。


 何度も黒が白を削る。刃を交わした五撃目で、白が黒を裂いた瞬間、アシュレイの頬に血が滲む。


 その赤を見ただけで、レオンの心拍が大きく跳ねた。


「……損傷確、認」


 なぜか声が掠れる。


「私を傷つけて、お前は平然でいられるのか」


 アシュレイが大きく踏み込み、黒の刃が横薙ぎに走る。レオンはそれを受けたが、完全に防げない。鎧が砕け、肩から血が散る。


 温かくて赤い血が目に映った瞬間、視界が揺らぐ。 夜の回廊、触れた指先。そして、熱いくちづけが走馬灯のように頭の中に流れた。


「離したくない」


 自分の声でレオンの剣が、ピタリと止まる。


「早く思い出せ!」


 アシュレイがレオンに踏み込みながら叫ぶ。


「お前は、私の騎士だろ!」


 その言葉が、レオンの核心を撃ち抜いた。


 守る者、誰を――アシュレイ。


「やめろ……!」


 神殿の水盤が激震する。


「情動再活性化!」

「遮断術式、維持不能!」


 老神官が叫ぶ。


「戦闘継続を命じろ!」


 命令が脳へ流れ込む。レオンの精神に干渉しようとする神殿の光が、彼を締め上げる。強制遮断が再起動を試みた。


 だが、剣を握るレオンの手が震える。自分で、王子を斬らないように。その隙をついて、アシュレイが刃を払う。レオンの剣が弾かれ、石床に突き刺さった。


 レオンは膝をつき、両手で頭を押さえる。白の加護が乱れ、その場で砕け散った。 


「……アシュ、レイ……」


 はっきりと名前を告げたレオン。


「遮断不能!」

「情動波形、暴走!」


 神殿が悲鳴を上げる中、レオンが顔を上げる。瞳にいつもの熱が戻っているのが、アシュレイの目に映った。


「……俺は……」


 息を荒げながらも、心を込めて告げる。


「お前を、守る……騎士だ……」


 完全ではない。まだ術は絡みついているが、もう神殿のいいなりにはならない。アシュレイがゆっくり近づく。黒は攻撃ではなく、包むように揺れる。


 ふたりのぶつかり合いにより神殿の結界が軋み、棟の崩壊は時間の問題だった。

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