使いの顔と、その奥にあるもの
翌朝、見知らぬ馬が村の入り口に止まった。
ロルフが果樹の手入れをしていた時、テオが息を切らして走ってきた。
「ロルフさん、お客さんです。なんか、かっこいい人が来た」
「かっこいい」
「服がきらきらしてます。王都の人だと思います」
「ガラムか」
「ガラムさんじゃないです。もっと若い人で、背が高くて、金色の」
ロルフは鍬を置いた。
広場へ出ると、テオの言った通りの人間が立っていた。
二十代後半か三十前後、背が高く、金色に近い亜麻色の髪を整えている。服は王都の官服ではなく、魔導師団の制服だった。金の縫い取りがある。副団長格の意匠だ。
男はロルフを見て、軽く頭を下げた。礼儀はあるが、丁重すぎない。自信のある人間の頭の下げ方だった。
「ゼファーと申します。王都魔導師団副団長を務めています。ロルフ殿ですか」
「そうです」
「突然の訪問をお許しください。先日、書状を送りましたが」
「受け取りました」
「返事がなかったので、直接伺うことにしました」
ロルフはゼファーを見た。
悪い人間に見えない。動きに無駄がなく、目に誠実さがある。オーヌとは種類の違う誠実さで、こちらは感情が表に出るタイプだ。言っていることと考えていることが一致している顔をしている。
ただ、ロルフには引っかかるものがあった。
「中に入りますか」
「お時間をいただければ」
縁側に座ってもらった。
シオンがお茶を持ってきた。ゼファーはシオンを見て、一瞬だけ目が止まった。神子の気配を感じ取ったのだろうか。すぐに視線を外して、礼を言った。
「用件を聞きます」
ゼファーはお茶を一口飲んでから、手帳を取り出した。
「先の書状に書いた通りです。ロルフ殿の固有スキル【毒素等価交換】について、研究させていただきたい」
「目的は何ですか」
「王都の土壌回復に、直接応用したい技術があると考えているためです。地脈の研究者として、ロルフ殿のスキルは今まで見てきたどのスキルとも原理が違う。その原理を理解することで、王都の魔力汚染への対処が変わる可能性があります」
「監察局のオーヌさんに、書面で指導する形での協力は既に申し出ています」
「知っています」
ゼファーは少し前傾みになった。
「率直に言います。オーヌ殿の方法では、おそらく解決しきれません」
「根拠は」
「土壌回復に必要なのは、書面の手順ではなく、手順を実行する者の理解です。豊村がここまで変わったのは、ロルフ殿が土と対話しながら手を入れてきたからです。書面を渡されても、それができる庭師が王都には残っていない」
ロルフは少し間を置いた。
「それは、俺が王都へ来るべきだということですか」
「来ていただけるなら、そうしていただきたい。ただし条件はロルフ殿が決めていい。期間も、内容も」
「拘束はしないと」
「拘束する理由がない。ロルフ殿が自由に動ける状態でなければ、土壌回復もできないと思っています」
シオンが少し離れた場所から、ゼファーを見ていた。
ロルフは正直なところ、ゼファーの言っていることは筋が通っていると思った。書面では伝えきれないことがある。それは自分もわかっている。
ただ。
引っかかりがある。
「ゼファーさん」
「はい」
「一つ聞いていいですか」
「どうぞ」
「あなたは、なぜ差出人を書かずに手紙を送ったんですか」
ゼファーが少し間を置いた。
「監察局とのやり取りが先に始まっていると知っていたからです。名前を出すと、政治的な問題になる」
「なぜ問題になるんですか」
「魔導師団と監察局の管轄争いです。王都の土壌回復を、どちらが主導するかで意見が割れている」
「それはわかります。でも、そういう理由だけで差出人を書かないんですか」
ゼファーが、ロルフを見た。
測られている、と感じたのかもしれない。少しだけ姿勢が変わった。
「……もう一つ理由があります」
「私の背後に、別の目があります。魔導師団の中で、私の行動を監視している者がいる。名前を出すと、その者たちに動きが知られる前に先手を打たれる可能性があった」
「その者たちとは」
「魔導師団の長老格の数名です。私が副団長として実権を持つことを、快く思っていない。……ただし、それだけではないかもしれない」
「どういう意味ですか」
ゼファーは少し考えてから、静かに言った。
「長老格の一人が、最近おかしい。意思決定が変わった。元々は保守的で、新しいものを嫌う人間でしたが、ここ半年で急に積極的になった。方向性は変わらないのに、行動の速度だけが変わった。まるで誰かに急かされているみたいに」
ロルフは土に手を当てた。
縁側の下の土だ。豊村の土は今日も静かだ。ただ、昨日シオンが感じ取った、土の奥の深い場所からの気配は今朝も薄くある。
「ゼファーさんはその長老が、誰かに動かされていると思っている」
「証拠はありません。ただ、そう感じます」
「その長老は、大典儀と面識があったか」
ゼファーが目を細めた。
「……大典儀殿をご存じですか」
「会ったことがあります」
「……なるほど。はい、面識はあります。大典儀殿が王宮で活動していた頃、数度接触していたという記録があります」
「大典儀は誰かに利用されていたと言っていた」
「その誰かが、まだいると」
「そういう話です」
ゼファーは手帳を閉じた。書き留めることを選ばなかった。
「……ロルフ殿、あなたはその『誰か』が何者か、知っていますか」
「わかりません。形がない。ただ、いる」
「形がない」
「土の奥から感じます。何かが見ている。昨日も、今朝も」
ゼファーは少し黙った。
魔導師として、地脈を扱う者として、ロルフの言葉が何を意味するかは理解できるのだろう。非常識とは受け取らなかった。
「……私が王都へ来てほしいと言うのは、土壌回復だけが理由ではありません」
「知っています」
「え」
「来る前から感じていた。あなたの用件は、表と、もう一つある」
ゼファーが目を開いた。
「……直接言います。私の研究室で、半年前から地脈の観測値がおかしい。深い層の流れに、本来あるはずのない方向への圧が記録されている。それは王都周辺だけでなく、各地の観測点でも同じ現象が確認されつつある」
「圧の方向は」
「どこからでも、一点に向かっています」
「どこへ」
「辺境の深部です。豊村からさらに奥、神殿があった地域の方向に、地脈の圧が引き絞られています」
ロルフは土から手を離した。
「白い野原の場所か」
「そう呼ばれているとは知りませんでしたが……そちらの方向です。半年前に、その一点の観測値が急変した。その直前、大典儀殿が倒れた時期と一致しています」
シオンがロルフの方を見た。
二人の間で、何かが確認された。
ゼファーはそれに気づいたのか、二人を交互に見た。
「……何か、知っているんですか」
「白い野原は、三週間ほど前に閉じました」
「閉じた」
「開いていた傷が、塞がりました。それがゼファーさんの観測値の変化と関係しているかどうかは、確認が必要です」
「閉じた後、観測値はどう変わっていますか」
「フィンという地脈研究家に確認を依頼しています。まだ報告が来ていない」
「フィン殿を知っています。優秀な人です」
「では、その報告が来てから話しましょう。今の段階ではわからないことが多すぎる」
ゼファーはしばらく黙った。
それから、手帳を鞄に仕舞った。今日の話を整理しているらしい。
「ロルフ殿」
「はい」
「王都へ来るかどうかの返事は、フィン殿の報告を待ってから、ということですか」
「そうです」
「私はどこへ連絡すればいいですか」
「ガラムという商人に預けてもらえれば届きます」
「わかりました」
ゼファーは立ち上がった。馬に乗る前に、一度だけ豊村の果樹園を見た。
「……立派なものですね」
「ありがとう」
「王都では今、まともな果樹が育っていない。死んでいるわけではないですが、痩せている」
「手順は書面で送ります」
「それも助かりますが、……手順だけで育つものでしょうか」
「育てる人間の目次第です。手順は補助でしかない」
ゼファーは「そうですね」と言って、馬にまたがった。
去り際に振り返った。
「ロルフ殿。土の奥で何かが見ているとおっしゃっていましたが、私の研究室でも、半年前から機材が誤作動することがあります。誰もいない夜中に」
「何が誤作動する」
「地脈の方向を記録するための計器です。針が、あるべき方向から外れる。しかも毎回同じ方向に」
「どちらの方向に」
「真下、です」
馬が蹄を鳴らした。
ゼファーの背中が遠ざかった。
シオンがロルフの隣に来た。
「……真下、ですか」
「ええ」
「白い野原より深い場所から見ていると、昨日感じました」
「そうだな」
「それが、王都でも観測されているということですか」
「方向が一致しているとしたら、そういうことになる」
シオンは少し黙った。
「旦那様は、これをどう見ていますか」
「土の問題なら、向き合えます。でも、土の問題じゃないとしたら」
「もっと根が深い、ということですか」
「大典儀が言ったことを覚えていますか。毒と癒しを引き裂いたまま維持しようとする何かがいると。それが、まだいると」
「……はい」
「白い野原が閉じたことで、その何かにとっては都合が悪くなったかもしれない。都合が悪くなれば、次の手を打ってくる」
「次の手が、真下からということですか」
「まだわからない。でも、フィンの報告が来たら、少し整理できる」
シオンはそれを聞いて、深く息を吸った。
「……また、どこかへ行くことになりますか」
「わからないけど、可能性はある」
「一人で行かないでください」
「その言葉」
「何度でも言います」
ロルフは少し考えてから言った。
「行くとしたら、シオンも必要だ。一人では行かない」
「……約束ですか」
「約束にしたいなら」
シオンは少し間を置いた。
「……約束にします」
それだけ言って、シオンは果樹の方へ歩いた。
手入れの続きをするつもりなのだろう。
ロルフは縁側に残って、土に手を当てた。
豊村の土は静かだった。ただ、静かさの奥に、遠く深い場所からの気配が薄くある。昨日と同じだ。変化はない。
変化がないことが、逆に気になった。
何かを待っているのか。こちらの出方を見ているのか。
どちらにしても、今日動く相手ではなかった。
ロルフは鍬を担いで立ち上がった。
今日の仕事は果樹の手入れだ。
フィンからの報告は、来る時に来る。
土の仕事は、今目の前にあることから始める。
それだけだった。




