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庭師は、旅に出る

 朝。


 ロルフが荷物をまとめていた。


 種の入った袋。鍬。水筒。


 それだけだった。


 フィンが覗き込んで、目を丸くした。


「……それだけですか」


「必要なものだけでいい」


「いや、でも、地脈の深部に向かうんですよ? 最低限これと、これと——」


 フィンが自分の荷物から器具を二つ取り出して、ロルフに押しつけた。


「これは地脈の強度を測るやつで、これは深部の温度を計るやつです。絶対に必要です」


「……わかった」


 ロルフが受け取った。


 フィンが「よかった」とほっとした顔をした。


 次にロルフはシオンの荷物を確認した。


 持ち上げた。


「多すぎる」


「何が多いですか」


 ロルフが中を開けて、三つ取り出した。


「これとこれとこれ」


 シオンがすぐに戻した。


「それは必要です」


「なぜ」


「これは解毒薬の材料で、これはロルフさんの腕の包帯の替えで、これは——」


「……わかった」


 ロルフが折れた。


 フィンが「シオンさんの方が強いですね」と小声で言った。


 シオンが「当然です」と小声で返した。



 リゼットを呼んだのは、朝食の後だった。


 ロルフが一枚の紙を渡した。


 リゼットが受け取った。


 広げた。


 びっしりと、細かい字で書いてある。


 大根の追肥のタイミング。トマトの誘引の方法。毒果樹の収穫量の目安。水やりの頻度。堆肥の切り返し。白い土の経過観察の記録の仕方——


 リゼットが黙って、最初から最後まで読んだ。


 読み終えた。


「……全部、書いてあります」


「心配だから」


 リゼットが少し間を置いた。


「……ロルフさんでも、心配するんですね」


「農夫だから。自分の畑が心配なのは当たり前だ」


 リゼットがメモを胸に抱えた。


 下を向いた。


 少しだけ、肩が揺れた。


 すぐに顔を上げた。目が少し赤かった。でも、泣かなかった。


「……帰ってきたら、大根食べさせます」


「楽しみにしてる」


「大根だけじゃなくて、シチューも作ります。シオンさんの好きなやつ」


「それも楽しみにしてる」


 リゼットが、小さく笑った。



 テオが来たのは、荷物を玄関に出した後だった。


 腕を組んで、仁王立ちで立っている。


「俺も行く」


 リゼットが即答した。


「駄目です」


「なんでだよ! 俺だって役に立てる! 土の声、聞けるようになったし!」


「学校があります」


「そんなの——」


「テオ」


 ロルフが言った。


 テオが口を閉じた。


「畑を頼む」


 テオが「……畑?」と聞いた。


「リゼットだけじゃ、手が足りなくなる。東の区画の土は、まだ固い。毎朝確認してくれると助かる」


 テオがしばらく黙った。


 唇をとがらせた。


「……わかった」


「ありがとう」


「でも」


 テオが、ロルフをまっすぐ見た。


「絶対帰ってきてよ」


「帰ってくる」


「約束?」


「農夫は、自分の畑に帰ってくる」


 テオがまた黙った。


 今度は、少し長く。


「……それ、約束ってことだよな」


「そういうことだ」


 テオが鼻をすすった。


 リゼットが「テオ」と言った。


 テオが「泣いてない」と言った。


 誰も何も言わなかった。



 マルタが来たのは、村の入口へ向かおうとした時だった。


 息を切らせて、小走りで来た。


 手に、布で包んだものを持っている。


「旅に出るって聞いた」


「誰から」


「リゼットさんから。……これ、道中で食べな」


 ロルフが受け取った。


 ずしりと重かった。


「保存食だ。日持ちするやつを選んだ。シオン様によろしく言っといて」


「ありがとう」


「礼はいらない。——早く帰ってきな。うちの土壌改良、まだ途中なんだから」


 マルタがくるりと背を向けて、歩き出した。


 振り返らなかった。


 ただ、片手だけ上げた。


 ロルフはその背中を見ながら、包みを荷物に入れた。



 村の入口に、村人たちが集まっていた。


 老婆の村長。ヨハン。子供たち。マルタの言葉を聞いて来たのか、昨日の農家の人間も何人かいる。


 フィンが地脈図を広げて、説明し始めた。


「ここから地脈に乗ります。地脈の流れに意識を合わせる感じで——最初は少し感覚が掴みにくいですが、コツを掴めば——」


「やってみればわかる」


「大雑把ですね」


「説明より経験の方が早い」


「それはそうですが……」


 フィンが何か言いかけて、止めた。


「……まあ、ロルフさんなら大丈夫ですね」


「シオンは?」


「シオンさんは、むしろ僕より上手くできると思います」


 シオンが「そうですか」と言った。


 フィンが「毒の感知能力がある人は、地脈を読むのが得意なので」と言った。


 シオンが少し考えてから「やってみます」と言った。


 ロルフが頷いた。



 出発の前に、シオンが村の方を振り返った。


 豊村の畑が、朝の光を受けて広がっている。


 大根の葉が青く茂っている。


 トマトが真っすぐ上を向いている。


 毒果樹が、朝露に濡れて鈍く光っている。


 (……帰ってくる)


 ここは、僕たちの庭だから。


 シオンは前を向いた。


「ロルフさん」


「うん」


「行きましょう」


 ロルフが頷いた。


 フィンが「じゃあ、地脈に——」と言い始めた。



 三人が地脈に乗る直前。


 ロルフは一度だけ、振り返った。


 畑を見た。


 土を見た。


 リゼットが、テオと並んで立っていた。


 テオが手を振っている。


 リゼットは手を振っていない。


 ただ、真っすぐ、こちらを見ていた。


 (……待ってろ)


 ロルフは前を向いた。


 地脈の流れが、足の下を走っている。


 深く。広く。


 ロルフは鍬を肩に担いだ。


 庭師の旅が、始まる。

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