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20:恋人デート -後編-


「うわ、スゲー綺麗……!」


 館内の照明がひと際落とされた暗闇の中。食事処で昼食を済ませた俺たちは、青い光が揺らめくクラゲの水槽の前に立っていた。ふわふわと水の中を漂うクラゲたちの動きは癒し効果を感じられて、普段はクラゲに微塵も興味の無い俺でも、多くの客がこの場で足を止める理由がわかる気がする。


「クラゲって半透明だから、照明が当たると綺麗だよね」


 薄暗く幻想的な空間の中は、他の場所とは時間の流れが異なるように感じる。ゆったりとした雰囲気を楽しみながら、ふと隣に立つ千蔵を一瞥した俺は無意識に口を開く。


「……入学した時は、こんな風におまえと過ごすことになるとか思ってなかったな」


 ぽつりと落とした声はしっかりと耳に届いていたらしく、こちらに視線を寄越した千蔵は微笑みながら控えめな声量で続ける。


「オレは、橙と一緒にいられたら楽しいだろうなって思ってたよ」

「え……そうなのか?」

「うん」


 それまで一度も直接話したことなどなかったというのに、まさかそんな風に思われていたなんて想像もつかない。王子と呼ばれてただでさえ目立つ存在の千蔵ならともかく、自分がクラス内でそれほど強い存在感があるとも思えず、認識されていたことも驚きなくらいだ。


(髪の色で覚えられてたのか……? けど金髪は他にもいるしな)


 水槽の青い光に柔らかく照らされる千蔵の顔は、これだけ照明が落とされた中でも整って見える。本当に綺麗な顔をした男だなんて、今さらのように再確認してしまう。


「橙、手話も随分覚えたよね」

「あー、まだ簡単なやつばっかだけどな」

「それでも覚えが早いと思うよ」


 初めて千蔵の家に行った時に手話を教わって以来、自分でも手持無沙汰なタイミングで新しい手話を覚える時間が増えた。ほとんどが挨拶程度の簡単なものではあったが、それが千蔵に通じるのが楽しくて、いつの間にか知っている手話の数も増えていただけの話だ。


(別に覚えたからって使う機会もないんだけどな)


 そんな話をしていると、最初に紫乃(しの)に会った時のことを思い出す。


「……そういえば、妹にやってたやつも手話だったのか?」

「ん?」

「初めておまえの家に行った時、なんかやってただろ。教えてくれなかったやつ」

「ああ……」


 俺の言わんとしていることを理解したらしく、千蔵は瞳を細めてこちらを見つめてくる。


「オレの好きな人、って伝えてたんだよ」

「っ……!」


 まさか自分の妹にそんな風に伝えていただなんて。それじゃあおそらく紫乃は、俺たちの今の関係についても察しがついているのかもしれない。


「……おまえさ、いつから俺のこと好きだったの?」


 尋ねてもいいものか悩みはしたが、今なら聞いても許される気がして思いきって問いかけてみる。千蔵は少し俯いてから水槽のクラゲに視線を落として、ゆっくりと言葉を紡ぎだす。


「……去年、母が事故に遭ったって話したよね」

「ああ……?」

「そこから少し……普通に生活はしてたんだけど、精神的に閉じこもってた時期があったんだ」


 俺の問いかけへの答えとしてすぐには話が繋がらなかったものの、千蔵という男の性格を考えれば、周囲に心配をかけまいとして過ごしていた姿が容易に想像できる。


「学校が始まって、なんでもないように振る舞ってたんだけど……本当は、自分でも知らず知らずのうちに限界がきてたのかな。人と接するのがちょっとしんどくて」

(千蔵がそうなるって……全然想像つかねえな)

「周りはオレの事情なんて知らないから、欲しい反応が返せないと残念がられたりしてさ。そういうのも慣れたつもりでいたんだけど」


 苦笑いを浮かべる千蔵に、俺は胸が締め付けられるような感覚を覚える。傍目には王子ともてはやされて羨む存在に見える男だが、実際本人が望んでそんなポジションにいるとは限らない。


 一部は理想像として千蔵に必要以上の期待を抱く。勝手に期待して、勝手に失望して。本当の千蔵という男を知ろうともしない。


「そんな時にクラスの人と話してた橙がさ」

「え、俺……?」


 急に自分の名前が出てきたことに驚くが、当時の光景を思い出しているのか、千蔵の表情はひどく柔らかい。


「うん。『おとぎ話の王子様は不眠不休じゃないとダメなのかよ』って」

「俺、そんなこと言ってたか……?」

「言ってた。『王子って職業はブラックすぎるだろ』とか」


 俺の記憶には残っていないのだから、クラスメイトとの会話の中で何も考えずに発した言葉だったのだろう。


「それ聞いて、もっと人間らしくいていいんだなって思えたんだよ」


 そんな何でもない言葉が、千蔵の中にはずっと残り続けていたらしい。


「オレは王子なんて呼ばれてるけど……オレにとっては、橙が王子様みたいなものなんだ」

「お……俺は、王子とかって柄じゃねえだろ」

「ふふ、じゃあヒーローかな」


 自分がそんな風に持ち上げられるのはむず痒い気持ちの方が強いものの、胸にじんわりと温かな感情が込み上げてくるのを感じる。


(俺も、千蔵の助けになれてたんだな)


 静かに喜びを噛み締めながら、それからも他愛のない会話を繰り返すうちに時間は無情にも流れていく。無数の魚たちが縦横無尽に泳ぎ回る巨大な水槽を前に、帰りの時間が近づいているのだと実感した俺はどうしようもなく名残惜しさを感じてしまう。


「……今日が終わってほしくないな」


 ぽつりと落とされた千蔵の言葉に、同じ気持ちを抱いていた俺は思わず隣を見る。どこか困ったようにも見える千蔵の笑みは、叶えようのないワガママを口に出してしまったことを気まずく感じているのかもしれない。


「また来たらいいだろ。デートできんのは今日だけじゃねえし」


 暗に同じことを考えていると伝わっただろうか。俺の返答を予想していなかったのか、驚いた顔をした千蔵はそっと俺の腕に触れる。


「千蔵……?」

「……今、誰も見てないから」


 ほとんど囁きのような声と共に、千蔵の影が近づいてくる。俺たちのすぐそばを通り過ぎていく名前もわからない魚を横目に、触れた唇は初めてのキスよりも長く重なっていた。


 すべての展示を回り終えた俺たちは、出口の手前にある土産コーナーへと立ち寄る。イルカショーの後にTシャツを買いにやってきてはいるのだが、その時は目当て以外のものをしっかり見ている余裕などなかった。


 箱入りの菓子類からぬいぐるみ、雑貨など多種多様な商品がずらりと並べられていて、特に目的があるわけでもないのに目移りしてしまう。


「あ、橙みたいなやついる」

「は? おまえソレまた色だけだろうが!」


 千蔵が手にしているのは、色違いが複数種類あるメンダコのキーホルダーだった。黄色に着色されたタコはどう見ても俺とは似ても似つかないのだが、千蔵は気に入ったらしくそれを買うとまで言っている。


「なら俺はお前に似てる方買うからな」


 そう言って黒色のメンダコのキーホルダーを手に取ると、抗議をしてくるどころか千蔵は目を丸くする。


「じゃあ……おそろいだね?」

「っ……!」


 そういうつもりではなかったのだが、これをお互いに買うとするならいわゆるイロチのおそろい状態だ。やっぱり別の物にしようかと頭をよぎったものの、目の前の男が思いのほか嬉しそうな顔をしているので、俺は結局訂正できないままそれを買うことになる。


 そもそも今日はペアルック状態で歩き回っているのだ、今さらキーホルダーがおそろいになったくらいで恥じらうこともない。


「チケット代出してもらってるし、これは俺が買ってくる。ここで待ってろ」

「え……じゃあ、お言葉に甘えて」


 差し出した手に渡された黄色のメンダコと共に、俺はレジへと向かう。支払いを済ませて千蔵を探すと、土産コーナーの隅で邪魔にならないよう俺を待つ男の姿を見つけた。


「千蔵ー、買ってきたぞ」


 小さな紙袋に入れられたキーホルダーを掲げながら近づいていくと、千蔵はどうやらスマホを眺めていたらしい。


(……あれ?)


 なんとなくその表情が強張っているように見えて、俺は思わず足を止める。


「……あ、橙。こっちだよ」


 けれど、俺が戻ったことに気がついて顔を上げた千蔵は特に変わった様子もなくて、気のせいだったのかと首を傾げる。


「ありがとう。それじゃあ、帰ろうか」

「おう」


 幸せの余韻に浸りながら、千蔵に促されるまま俺は水族館の出口へと足を向ける。心の内側にほんのわずか、小さな引っかかりを残して。


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