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19:恋人デート -前編-


 翌朝。起き抜けのベッドの上でスマホが震えたことに気づいて、それを手に取ると画面を確認する。


『おはよう』


 届いていたのは短いメッセージで、送り主は確認するまでもなく千蔵だった。たった四文字の見慣れたメッセージだが、俺は思わず口元がニヤけてしまうのを感じる。これだけの単純なことで最高の一日がスタートしていく。千蔵という男は、一体どれだけ俺のことを翻弄すれば気が済むのだろうか。


(つーか今日、どんな顔して会えばいいんだ……?)


 俺たちは今度こそ正式に両想いになった。別にべったりとひっついてバカップルのようなことをする必要などないので、自然体でいいはずなのだが。寝癖はついていないだろうか。恋人とはどんなことをすればいいのだろうか。そんなことを考え続けながら、家を出た俺は今日も決まった時間に到着する電車を待つ。


(学校帰りとか、遊びに誘ってもいいのか……?)


 友人関係であっても遊びに誘うくらいは日常茶飯事ではあるのだが、付き合うことになってから出掛けるのは初めてのことになる。


(デート、とか……別にそんな大げさなもんじゃねーけど……!)


 誰にともない言い訳を頭の中でしている俺の前に、見慣れた車体が滑り込んでくる。


「おはよ」

「……はよ」


 開いたドアの向こうには千蔵の姿があって、混雑する電車内でドア横に立った俺に、半ば覆い被さるみたいな形で千蔵が立つ。いつもの光景であるはずなのだが、以前よりも少しだけ距離が近いような気がする。


(……意識しすぎかもしんねえけど)


 ぱちりと目が合った千蔵が蜂蜜みたいにとろける笑みを向けてきて、胸を撃ち抜かれた気がした俺は、視線のやり場に困って足元を見る。


「ねえ、橙。週末って何か予定あったりする?」

「え……なんもねえけど」


 急な問い掛けに少しだけ顔を上げると、内緒話をするみたいに千蔵の顔がすぐそばにあってドキリとする。


「じゃあさ、二人で出掛けない?」

「……!」


 まさか千蔵の方から遊びの誘いがあるとは思わず、少しだけ以心伝心のような気分になって頷く。


「いいな、どっか遊び行こーぜ」


 けれど千蔵はさらに顔を寄せてきたかと思うと、耳元に触れそうな距離で唇が動く。


「デートだからね?」

「なっ……!?」


 わざわざ釘を刺すようにそう言われて、思わず顔が熱くなってしまう。


「……ンなこと言われたら、変に意識しちまうだろうが」


 昨日のようにまた悪い勘違いを起こさせるようなことをしたらどうしてくれるのか。そんな抗議の意味で伝えたはずなのに、当の千蔵は悪戯っぽく笑って続ける。


「意識してほしいから言ってるんだよ」


 もう何度目かもわからないほど、心臓が跳ねたのがわかる。こんな状態でデートなんて、俺の心臓は果たして持ってくれるのだろうか?


 贅沢な不安を抱えたまま週末を迎えるのはあっという間で、千蔵に連れられて到着した先は有名な水族館だった。


「デートに水族館って、なんかベタだな……?」


 別に不満があるわけではないのだが、千蔵という男が選ぶにしてはベタすぎるという感想が真っ先に浮かぶ。特別魚が好きだという話をしたわけでもないからなおさらだ。


「ベタな方がデートって感じがしていいでしょ。それに、中は暗めだからあんまり人目を気にしなくていいかなって」

(まさか、俺のこと気遣ってここ選んだってことか……?)


 そこまでしなくていいと思うのに、どこまでも俺を最優先に考えてくれる千蔵の気持ちが素直に嬉しい。


「……ありがとな、千蔵」

「いいよ。それに……人目を気にせず、橙にはオレのことだけ考えててほしいし」

「っ、なんだそれ」

「ほら、行こう。チケットは買ってあるからすぐ入れるよ」

「え……」


 千蔵のスマホの画面には、確かに入場用の電子チケットが表示されている。どこまでも用意周到な男だと思うが、俺は慌てて財布を取り出そうとする。


「半分払う、いくらだっけ?」

「いいよ、今日はオレが誘ったから」

「いや、でも……」

「早く、急がないと置いてっちゃうよ?」


 俺の言葉を待たずに入場口へと向かう千蔵に、置いていかれては入場できなくなると俺も後を追いかける。結局チケット代は甘えることになってしまったが、館内を回り始めると申し訳なさも徐々に薄れていった。休日ではあるが思ったほど混み合っておらず、のんびりとしたペースで展示された魚を鑑賞することができる。


「あ、ねえ見て。あそこの魚、ちょっと橙に似てる」

「え……どれだよ?」

「ほら、あそこの端で泳いでるやつ」

「……似てねえだろ、どこがだよ」


 小さな水槽を見る千蔵の指差す先を追うと、黄色みがかった魚が一匹泳ぎ回っている。どう見ても顔が似ているとも思えなくて、髪の色だけで判断しているだろうと指摘すると、千蔵は悪戯が成功した子どものように無邪気に笑う。


「なら……あっちはおまえだな」

「え、もしかしてあの黒っぽいやつ?」

「おう。色と……あと動きもちょっと似てる」

「いや、オレあんな動きしてないでしょ」


 抗議しながらも俺の指差した魚を目で追い続けている千蔵の、楽しそうな横顔をこっそり盗み見る。千蔵の想定した通り水族館の中は薄暗い場所が多くて、男二人で多少距離が近い状況でもこちらを気にする人間はいない。


「そうだ、もう少しでイルカショーが始まるらしいんだけど、見に行く?」

「せっかく来たんだし、そりゃ行くだろ……っ」


 時計を確認した千蔵の提案に移動をするかと動き出した時、俺の手に何かが触れる。それが目の前の男の指だと気づいた時には俺の指はゆるく絡め取られていて、驚いて千蔵を見ると反対の指を口元に当てて「内緒」と言うように微笑む。


「……っ」


 離そうと思えば難しいことなどなくて、少し力を入れればすぐにでも指は解けていくだろう。だというのになぜか甘い拘束を抜け出すことができなくて、明るい場所に移動するまで俺たちは密かに指先を繋いだままだった。


 そうして訪れたイルカショーの会場は、屋外ということもあって先ほどまでの雰囲気とは一転し、活気もあって賑わっている。最前列には家族連れやカップルも多く着席していて、なんとなく場違いなのではないかと思いつつ、俺たちも前方の席へと腰を下ろす。


「こういうの、ガキの頃ぶりかも」

「オレもそうかも。あ、始まるよ」


 準備が整ったらしく、進行役の女性がマイクを使ってショーの始まりを知らせながら、巨大な水槽の中を泳ぐイルカを器用に操っていく。軽快なBGMと共に様々な芸を見せるイルカに夢中になっていると、さほど長くないショーが終盤を迎えるのは想像以上にあっという間だった。


 不意に、俺たちの両隣りや前方に座っている客たちが、大きなビニールやタオルのようなもので遮蔽を作っていることに気がつく。


「……あ」


 それが何を意味するのか思い至った次の瞬間。目の前の水槽でひと際豪快に跳ね上がったイルカが、こちらに向けて盛大な水しぶきを飛ばしてきた。


「うわぁっ!?」


 イルカショーといえば定番ともいえる一芸だ。想定していなかった俺たちにそれを避ける術などなく、俺も千蔵もまとめてびしょ濡れ状態になってしまった。


「っ、あはは……! すっごい濡れたぁ」

「マジかよ、滴ってんだけど……!」


 モロに水を食らった俺たちの姿を見て、周囲の客が笑っているのがわかる。けれどそれが気にならないほど、俺たちは互いの顔を見合わせて笑っていた。びしょ濡れの状態でいるわけにもいかず、俺たちはひとまず土産コーナーへ足を運ぶと、そこで売られていたTシャツを購入してトイレで着替えを済ませる。


 意図せずペアルックのようになってしまったのは恥ずかしいが、この際水族館を存分に楽しみに来たのだと開き直るしかない。


「はー、災難だったな」

「タオルも売ってて良かったね」

「こういう想定で売れるって思われてんのかもな」


 ずぶ濡れになったことでテンションが下がってもおかしくないと思っていたのだが、それどころか楽しいという気持ちが尽きない。こうしたハプニングに見舞われる時間も、千蔵とだから特別なものだと感じられているのかもしれない。


「こんなに楽しいなら、もっと早くデートしたら良かった」

「それは同意だな」

(夏休みも勿体ないことしちまったよな……、あ)


 そこまで考えて、俺はまだ千蔵を避けていた時期のことをきちんと謝罪していなかったと思い出す。


「そういや、千蔵……悪かった」

「ん? なんの謝罪?」

「期末試験の後から、その、一方的に距離置いてたから……」

「ああ、そんなの気にしてないよ」

「……マジで気にしてねえ?」


 念のためにともう一度問いを向けると、千蔵の口元から笑みが消える。次いで長い指がそっと俺の頬に触れた。


「……うそ。ホントは寂しかった」

「ッ……!」


 まるでしょげた犬が飼い主を見つめるような、そんな顔をして千蔵は小さく言葉を落とす。いつだってニコニコと愛想を振りまいているというのに、おまえはそんな顔もできるのか。


「っ……千蔵」

「あのぉ……」


 その時、見知らぬ女性二人組に声をかけられる。正確にはその二人は、千蔵の方を見ているのがわかった。


(あ……これってもしかして)

「さっき一緒のショーを見てたんですけど、お二人で来られてるんですか?」

「あたしたちも二人で来てて、良かったらご一緒にどうかなって」


 もしやと直感した通り、これは俗にいうナンパというやつだ。俺自身は初めての経験なのだが、千蔵にとっては今に始まったことでもないのだろう。


(男なら普通は喜ぶトコか? けど、俺らは今日は……)

「えっと、悪いんだけどパートナーは間に合ってるんだ」

「えっ……?」


 断りを入れると同時に、千蔵は俺の手を取るだけでなくしっかりと握り締めてくる。


「ごめんね」


 女性二人が呆気に取られている隙に、俺を連れて千蔵はその場からスマートに離れていった。女性を相手に誤魔化すわけでもなく、はっきりパートナーだと口にした千蔵に、ムズムズとした感覚が込み上げてくる。


「勝手に答えてごめん、橙。けど、食い下がられても面倒だから」

「いや……俺は別に、いい」

(隠さなくていい関係だって思ってる、ってことだよな……?)


 暗がりではないので、女性たちが見えなくなると繋いだ手は離れてしまったけれど、不思議と満たされた気持ちになる。それと同時に、千蔵はモテる男なのだというわかりきった事実に少しだけモヤつきも感じたりして。


「……おまえって、いっつも女に声かけられてるよな」

「そうかな? まあ、そういう時もあるかも……?」


 特別他者と比較したこともないのだろうから、肯定できないのも仕方のないことかもしれない。それでも少しくらいは自覚をもってほしいとも思う。無意識にモテ続けるこの男が、いつか他の人間に奪われてしまわないとも限らないのだ。


「……妬いた?」

「ッ……!」


 どこか嬉しそうな問いを向けられて、図星を突かれた俺はすぐに言葉を返せずに無意味に口を開閉させる。


「どれだけ声をかけられても意味ないよ」

「モテ男の余裕か」

「違うよ。相手が橙じゃなきゃ、オレにはなんの意味もないってだけ」


 当たり前のように言ってのける千蔵の言葉に、顔からぶわっと熱が吹き出したのを感じる。


(なんでこう、こっ恥ずかしいことをさらっと口にできるんだコイツは……!)


 何度も何度も、千蔵に心臓を持っていかれてしまう。居心地のいい猫ちぐらの中にあるのは、平穏だけではないのかもしれない。


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