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18/23

18:距離感


 昨日はほとんど眠ることができなかった。


 何をしていても浮かんでくるのは千蔵の顔ばかり。頭の中はパニック状態で、その後のことなんてよく覚えていない。ただ触れた唇の柔らかさだけが妙に鮮明に残っていて、思い出すたびに心臓が暴れては寝返りを繰り返していた。


「おはよう、(かぶち)

「っ……! はよ……」


 朝の電車。到着した車内に千蔵がいるのはもう見慣れた光景だというのに、ドアが開いた瞬間鼓動が跳ねる。一方の千蔵は普段通りの柔らかな表情で、こちらが拍子抜けするくらい自然体に見えた。


「そういえば今日って小テストあるよね、荒井先生クセのある問題出すからなぁ」

「あ、アイツ絶対引っかけやって楽しんでんだよ」

「橙はそういうの引っかかりそう」

「どういう意味だ」


 ごく普通の会話を繰り返すうちに、電車は学校の最寄り駅へと到着する。教室に向かうまでの道のりも特に代わり映えのしないもので、俺は妙な不満を抱えてしまっていた。


(両想いってこんなもんか……? ダチの時と何も変わらなくないか?)


 まるで自分だけがあのキスを意識しているみたいで、千蔵が普段通りでいる分いっそ間抜けにすら思える。


(いや、別にいいんだけどよ。付き合うってなったらもう少し、こう……)


 そこまで考えたところで、俺ははたと気がつく。


(……俺、千蔵に好きって言ってなくないか!?)


 誰もいない教室で、俺は確かに千蔵とキスをした。俺のことが好きだとも言われた。好意の無い相手とキスなんかしないんだからその時点で両想いだろうと思う。けれど千蔵はいつも通りの過ごし方をして、手のひとつも繋ごうとはしない。


(誰かと付き合った経験とかねえけど……これじゃあダチのまんまじゃねーか!)


 せっかく千蔵が気持ちを伝えてくれたのに、一方通行では意味がない。


(なら、俺も千蔵に好きだって言えばいいんだよな!?)


 両想いだとわかっているのだから怖気づくことなど何もない。千蔵にも両想いであることを認識してもらうだけの話だ。そう思って動き出そうとした俺は、想像以上に告白のタイミングが無いことを痛感することになる。


 教室には当たり前だがクラスメイトが大勢いるし、廊下や裏庭にも誰かしら人がいるものだ。いざ探してみれば案外二人きりになれる場所というのは難しく、かといって人気が無いからとトイレやゴミ捨て場で告白するのは違うだろうと、さすがの俺でもわかる。


 授業の合間の休憩時間や昼休み、放課後になるまでの間、タイミングを見失い続けてしまった俺はいよいよ帰り道に突入した。


(ど、どうすれば……いっそスマホで送るか……!?)

「……橙?」


 ぐるぐると頭の中で考えを巡らせていた俺を、隣を歩きながら不思議そうに見ていた千蔵は、さすがに不審に思ったようで声をかけてくる。


「っ……!」


 不意に、千蔵の手の甲が俺の手に触れた。そのほんの僅かの接触に驚いた俺は、反射的に手を引いてしまう。


「……あ、ごめん」


 何も悪いことはしていないというのに、俺の反応に驚いた千蔵は少しだけ寂しそうに笑って見せる。


「あ、いや、ちが……っ」


 拒絶をしたわけではない、意識をしすぎてしまったせいだ。だけど千蔵にはそんなことわかるはずもない。


「急にあんなことしたから、無理させてるよね」

「え……」

「昨日のことは忘れてくれていいから」


 あくまでも優しい口調で、俺のことを気遣うように目を伏せる千蔵にズキリと胸が痛む。


「ち、千蔵……っ」

「でもさぁ、あいつムカつくじゃん!?」

「わかるーっ!」


 誤解を解こうと口を開きかけた時、俺たちの横を通り過ぎていく見知らぬ生徒の声に言葉を飲み込んでしまう。こんな場所で千蔵を好きだなんて話したら、嫌でも注目の的になってしまう。


「ごめん、帰ろうか」


 そう言って背を向ける千蔵がそれでも別行動を取ろうとしないのは、きっと俺を一人で電車に乗せないためだとわかる。酷いことをしているのは俺の方なのに、こんな時でも千蔵は俺のことを考えてくれているんだ。


(それなのに、俺は……っ)


 このまま俺が訂正しなかったら、また夏休み前の二の舞になってしまうかもしれない。忘れてくれと言った千蔵は、自分自身もきっとその感情を忘れようとするんじゃないだろうか? そうなればこの関係も薄れて、二度とこの手は千蔵に届かなくなってしまう。


(そんなの……絶対に嫌だ……!)


 俺は千蔵の腕を掴むと、そのまま全力で地面を蹴って走り出す。


「ッ……橙……!?」


 向かった先は駅ではなく、以前紫乃(しの)に連れて行かれた公園もどきだった。幸いにも人の姿は見当たらないが、もし人がいたとしても関係ない。他に行き場が思い浮かばなかったのだから。大きな木の陰で足を止めると、乱れた呼吸を整える俺の耳に千蔵の困惑した声が届く。


「か、橙……急にどうしたの?」

「……俺のこと、嫌いになったか?」


 ゆっくり顔を上げた先で、千蔵が両目を見開いている。狡い問い掛けをしているとわかっていたが、そうせずにはいられなかった。


「そ、そんなことあるわけないだろ」


 はっきりと否定する言葉に緊張が解けて、代わりに千蔵を好きだという想いが溢れ出てくる。


「けど……オレは橙に無理してほしくないんだよ」

「おまえといて、無理なことなんか何もない」

「え……?」

「俺だって千蔵が好きだ!」


 どこか迷子みたいな顔をして俺を見る千蔵に、今度こそはっきりと自分の気持ちを言葉にする。


「す、好きって……橙、それどういう――」


 最後までは言わせなかった。人間としてでも、友達としてでもない。それを正しくコイツに伝えるために、俺は自分から押し付けるように唇を重ねた。


「っ……!」


 驚きに瞳を揺らした千蔵の頬が、徐々に色づいていくのが間近に見て取れる。多分、俺も同じくらい顔が赤くなっているのだろう。


「ホントに……ホント?」

「冗談でこんなことすると思ってんのか」

「いや、思ってない……」


 そのまま千蔵の両腕が俺の背中に回った……かと思ったのだが、なぜだか千蔵の腕は途中で固まって行き場を失っている。


「……?」


 どうしたのかと視線で千蔵に訴えかけると、少し悩んでから苦笑交じりに思いがけない言葉が返ってくる。


「なんか今、力加減ができなさすぎて……抱き潰しそう」


 一瞬、間抜けなほどの沈黙が俺たちを包み込む。この男でもこんな風になることがあるのかと、新しい発見に次第に笑みがこぼれていく。


「じゃあ……俺がやる」


 そうして千蔵を強く抱き締めた俺は、結局回された腕の想像以上の力の強さに驚かされることになるのだが。愛おしい体温を今度は絶対に離さないよう、窮屈なほどに俺たちは身を寄せ合っていた。


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