17:文化祭 -後編-
「やっぱ真宙かよ! うっわ、別人になってるから最初気づかなかったわ」
俺だと確信した日高がニヤついた顔でこちらへ歩み寄ってくる。中学時代も陽キャの部類ではあった男だが、高校生になって髪は茶色くなり、ピアスもジャラジャラでますます派手な見た目になっていた。
(なんでここにいるんだよ……!?)
「へぇ、金髪似合ってんじゃん。つーかなにそのカッコ、まさか女装癖に目覚めちまったとか?」
「ち、ちげーよ。クラスの出し物で……」
「まあでも、陰キャのおまえにはお似合いのカッコかもな!」
ギャハハ! と声を上げて笑う日高に屈辱と苛立ちを覚えるが、あの日の電車での光景がフラッシュバックして、思うように言葉を発することができない。
「あの時はマジで無理って思ったけどよ、今のおまえなら一回くらい付き合ってやってもいいわw」
「ッ……!」
小馬鹿にした口調で好き勝手に言葉を投げつけてくる日高は、無遠慮に距離を詰めてきたかと思うと、俺の顎を掴んで品定めするような目を向ける。
(なんで……こんな奴を一瞬でも好きだとか思ったんだ)
今はもう不快でしかない男の顔を見たくなくて、強く腕を払いのけると日高は驚いたように目を見開く。
「おまえなんか死んでも願い下げだ」
「っ……んだと?」
俺から拒絶を受けると思っていなかったのか、日高はみるみるうちに額に青筋を立てていく。
「願い下げはこっちのセリフだ陰キャのゲイ野郎が! テメェみてえなゴミが選べる立場だと思ってんのか!?」
周囲の状況が目に入っていないらしい日高は唾を撒き散らしながらヒートアップして、近くにいた生徒や客たちが何事かと集まってくるのが見える。
「ナヨついたゲイの女装でゲロ吐きそうだっつの! 不愉快罪で今すぐ慰謝料払ってもらいてえなぁ!?」
理不尽な悪意を向けられていると理解できるのに、同時に指先がスッと冷えていくのを感じて、俺は懸命に周りから意識を逸らそうとする。けれどそれを許さないとばかりに畳み掛けてくる日高に、呼吸が浅くなっていくのを感じた時。
『覚えておいて』
千蔵の言葉が脳裏を過ぎる。こんな奴を相手に一人で解決もできないのかと笑われてしまうかもしれないし、そもそもこの場に千蔵はいない。けれど俺は自然と後ろ手に片手のひらを見せると、親指を内側に握り込むようにした。
(誰か……っ、千蔵……)
次の瞬間、俺と日高の間に一つの影が割って入る。顔を上げた先にいたのは、エプロンを着けたままの千蔵だった。
「っ……!」
一度だけこちらに笑いかけた千蔵はすぐに真剣な表情に変わり、日高に向けて自身のスマホをかざして見せた。
「今の、侮辱罪が成立すると思うけど」
どうやら千蔵は、今のやり取りを俺の後ろで黙って動画に収めてくれていたらしい。画角に俺の姿は映っていないが、日高の姿は顔まではっきりと映し出されている。
「はぁ? なんだテメェ、邪魔してくれてんじゃねーぞ!」
「不愉快なのはどっちだろうな、何の騒ぎかと思えば好き放題して」
聞いたことのないような低い声で返す千蔵に、俺までもがゾクリと背を震わせてしまう。
「俺がソイツをどう思おうが俺の勝手だろうが!?」
「頭の中なら自由だけど、わざわざ口に出すのはゲスの極みだよ」
「ハッ……そんだけ庇うってことは、もしかしておまえらデキてんのか!? ゲイ野郎でも需要あんだ――」
――――ダンッ!
千蔵が俺から離れたと思った直後、片足を振り上げた千蔵は日高の背後にある壁を思いきり蹴りつけた。
「ッ……!?」
予想外の行動に驚いたのは俺だけではなく、成り行きを見守っていた野次馬も言葉を失っている。
「それ以上の侮辱はオレが許さない」
ひと際怒りの篭った低い声で告げる千蔵の気迫に、日高は冷や汗を滲ませて動けなくなっていた。
「それに、周りもドン引きしてるよ」
「あ……?」
脚を引っ込めた千蔵の言葉に初めて周囲を見た日高は、自分たちを取り囲む野次馬が皆一様に冷めた目で彼を見ていることに気がつく。
「ああいうの普通に引くよね」
「文化祭なんだからメイド服は出し物ってわかるじゃん」
「不愉快罪ってこっちのセリフだよねw」
「っ……クソが、テメェらなんざ相手にしてられっか!!」
捨て台詞を吐くが早いか、空気に耐えられなくなった日高はぶつかるように野次馬の間を掻き分けて駆け出していく。俺は千蔵に腕を引かれて更衣室として準備された教室へと避難することになった。まだ文化祭の真っ最中ということもあって、教室の中には誰の姿も見当たらない。
「……悪い、千蔵。変なのに巻き込んじまって」
意図せずとはいえ面倒事の巻き添えにしてしまった。野次馬の視線が俺ではなく日高にだけ集まっていたのは、千蔵の立ち回りが視線を誘導してくれたからだろう。
あんなことをさせて、もしかしたら野次馬の中には千蔵に対して悪い印象を抱いた人間もいたかもしれない。やはり距離を置いて正解だった。そんな風に思われていたらと不安を感じつつ、俺は千蔵の様子を窺う。
「勝手に割り込んでいいか迷ったんだけど……彼が元凶だったんだ?」
「え……あぁ」
結果的に見る目の無かった己を恨むしかないのだが、よりによって千蔵に恥ずかしい姿を見られてしまった。それが俺にとっては一番悔しいことかもしれない。
「助けられてばっかで情けねえよな……自分でどうにかしろって、自分でも思ってんだけど」
「……オレは嬉しいよ、信頼されてるってことでしょ」
こちらに向き直った千蔵は、ついさっきあれだけ怖い顔をしていたとは思えないほど、優しい笑みを浮かべている。
「信頼ったって、限度があんだろうが」
「橙が頼るのがオレだけなら、もっと嬉しい」
「そ、そんなの……ダチだからって、迷惑だろ」
俺が喜ぶようなことばかり言う千蔵に、喜んではダメだと思うのに、気づけば視界には影が差していて。目の前には真剣な瞳で俺のことを見つめている男の顔がある。
「友達だと思ってない」
「え……?」
いつの間にか驚くほど距離を詰めていた千蔵に、俺の視界が埋め尽くされていく。
「オレは橙のことが好きだから」
「…………!」
告げられた言葉の意味を、俺にとって都合よく解釈してしまっているのではないだろうか。その好意は俺の中にある千蔵への想いとは、別の種類の好きなんじゃないだろうか。
「言っとくけど、人間としてとか友達としてって意味じゃないから」
そんな俺の最後の抵抗すらも見透かしたみたいに、千蔵はあっさりと絡め取って逃げ場を失くしてしまう。
「こんな格好、本当は誰にも見せてほしくなかったんだよ」
装着したままのヘッドドレスに触れる指先が、そのまま愛おしそうに髪を撫で下ろして頬に触れるのがくすぐったい。
「橙……かわいい、すごく」
「ッ……ち、千蔵………」
可愛いなんて言われて嬉しいはずがないのに、俺の手を取る千蔵の手が熱を帯びているのが伝わってきて、心臓が今にも飛び出しそうなほどに騒いでいる。絡まる指が俺を逃がすまいとしているようで、これまでにない距離の近さに頬がじわじわと熱くなっていくのがわかる。
「オレ、今すごく橙にキスしたいから……嫌なら抵抗して」
最後の最後で俺の意思に委ねるみたいに逃げ場を与えてくるこの男は、本当に狡いと思う。……そう思うのに。
どうしよう。この唇を避ける理由が見つからない。




