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14:期末試験 -後編-


 そう自覚してからの一夜は瞬く間に過ぎていって、朝を迎えた俺は朝食もまともに喉を通らないまま登校することとなる。


「おはよう橙」

「っ……はよ」


 いつも通りの時間。いつも通りの電車。いつも通りの朝の風景。同じ乗り場から電車内に乗り込んできた千蔵を前に、俺だけがいつも通りではいられなかった。


「あれ、ココ寝癖付いてるよ」

「えっ……?」


 並び立って吊り革を掴む俺の後頭部に、恐らく千蔵の手が触れている。コイツにとっては何気ない動作なのだろうが、俺の脳内には昨日の別れ際の光景が鮮明に浮かび上がってきて、思わず呼吸すらも止めてしまう。


「ふふ、可愛い」

「ッ……!」


 千蔵の手はもうとっくに離れていったというのに、そこに集中した意識を引きはがすことができない。


(なっ、なに意識してんだ俺……! 寝癖からかわれただけだろうが!)


 似たようなやり取りは多分今までに何度もあったはずだ。だというのに、気持ちを自覚した途端にどう接していいかわからなくなってしまう。俺だけが不必要に意識しすぎているのだとわかっているのに、じわりと手汗を滲ませたまま降車駅まで揺られ続けていた。


(いつも通り、いつも通り……いつも通りってどんなだ?)


 千蔵が視界に入るだけで世界がキラキラと輝いて見える。千蔵に想いを寄せている女子たちも、同じような世界が見えているのだろうか? それとも俺の頭の中がお花畑になってしまっただけなのだろうか?

 試験勉強に集中しなければと思うのに、少し気を抜けば頭の中には千蔵の顔が浮かぶ。


(褒美、って……なに欲しいんだろうな。メシ? 服? それか、ピアスとか……?)


 きっと他の奴らは知らないアイツの舌の上に、俺がやったピアスが乗っている。そんな姿を想像するだけで、深まっていく秘密が知らず独占欲を満たしていくのを感じた。


(……いやいやいや、妄想先走らせすぎだろ!!)


 ただ自覚をしただけ。それなのに、俺は想像していた以上に自分の頭の中が千蔵でいっぱいなのだと、嫌でも気づかされることになる。


(特別って、どういう意味なんだ? 聞いてもいいのか……?)


 悶々とした気持ちを抱えたまま、俺は気を紛らわせるように試験に臨むしかなかった。







 そうして怒涛の速さでやってきた試験最終日。不安の残る箇所もあったとはいえすべての科目から解放された俺は、これでようやく褒美の答えを聞けるのだとウキウキしていた。


(千蔵のことだから点数出るの待つまでもねえだろうし、さすがに教えてくれるだろ)

「オイ、橙。ちょっと職員室まで来なさい」

「ゲッ……」


 解放感に浸ろうとしたのも束の間、俺は担任教師に名指しで呼び出されてしまう。


「おい橙~、おまえ何やったんだ?」

「うっせぇな、なんもしてねーわ!」


 こちらに憐みの視線を向けてくる塚本やクラスメイトをひと睨みし、続けて千蔵の方を見る。


(……あ)


 クラスメイト同様に俺を見ていた千蔵は、こちらを指差すようにした両手をくっつけて、そのまま前に出す。


――――一緒に行く?


(あの野郎、面白がってやがる……!)


 覚えたての手話でそう伝えてくる男の顔はどこか意地悪く見えて、返すのに適切な手話がわからなかった俺は、からかうなの意を込めて「い!」と歯を見せる。


「っ……ふふ」


 千蔵が顔を逸らして笑った様子を見て勝った気がした俺は、教室を出て職員室へと向かった。


「失礼しまーす」


 職員用のデスクに向かう担任は険しい顔で何かを手にしている。近づいてみればそれが昨日のテストの答案用紙だとわかって、まさか早々に赤点が発覚でもしたのかと身体が強張った。


「あの~、なんスか?」

「……橙。おまえ近頃は千蔵と一緒にいるみたいだが、その……どうなんだ?」

「は……?」


 どうなんだとは一体何を指す問いなのか、それだけでは俺に伝わらないこともわかるだろうに、担任はなんだか言いづらそうに言葉を選んでいる。


「どうって、別になにも……」

「近頃、少し千蔵の成績が落ちてるんだ」

「え……?」


 返された言葉と千蔵という人間がすぐにはイコールにならない。アイツの成績の良さは折り紙付きで、それこそ試験勉強なんかしなくたってそれなりの点数を取る男だと思う。けれど担任が手にしている答案用紙に”千蔵紫稀”と名前が書かれているのに気がついて、途端に嫌な汗が滲むのがわかった。


(嘘だろ……73点……?)


 これが俺の答案用紙ならば十分すぎる点数のはずだが、これが千蔵のものだというのだからにわかには信じがたい。


「こんなことは言いたくないがな、橙。つるむ相手は選んだ方がいい」


「っ……」


 これは俺を気遣っての言葉ではないことくらいわかる。交友関係に口出しするのは教師の役割ではないのだから、何か言い返してやろうかとも思った。


「……失礼します」


 しかし俺の口から出たのはそれだけで、震える拳を握り締めながら俺は職員室を出る。


(……俺に時間を割かせてるからか)


 千蔵は決して大変だなどと言わないし、自分の意思でそれを選んでいると示してくる。始まりはそうだったとしても、止め時を見失っている可能性はないだろうか? 正反対の俺たちが一緒にいることを疑問視する人間がいるのも知っていたし、千蔵がいいならそれで構わないと思っていた。それで千蔵が周りからどう思われるのか、見ないふりをしていただけだ。


『悪いことしてるわけじゃないし』


 そんな風に言ってくれたアイツの言葉は心強かったけど、それだけじゃダメな時があるのも俺は知っている。


『まさかずっと狙ってたわけ!?』


 不意に、忘れてしまいたい過去が頭の中に蘇る。いくつもの好奇の視線が突き刺さって、息の吸い方も吐き出し方もわからなくなって。


(俺の気持ちを伝えたら、千蔵は受け入れてくれるかもしれない)


 それはあくまでも、千蔵という男のことだけを考えた時の話だ。千蔵本人がいいと言ったとしても周囲は違う。千蔵にとって、俺という人間は相応しくないと判断する。


(いや、そもそもなんで受け入れてもらえる可能性があると思ってんだ)


 歩き出した廊下の先は、放課後の予定を立てる生徒たちの声で賑わっているのに、俺の耳にはやたらと遠く聞こえる。千蔵は優しい。その優しさに甘え続けているのは事実で、居心地の良さに慣れきってしまっていた。


(俺はまた(・・)、同じ過ちを繰り返そうとしてたのか)


 あまりにも学ばなくて自分という人間が心底嫌になる。帰り着いた教室の中にはもう他の生徒は見当たらなくて、千蔵だけがそこに残って俺を待ってくれていた。


「橙……! おかえり、どうだった? もしかしてお説教とか?」


「…………」


 立ち上がってこちらに歩み寄ってくる千蔵の顔を見ることができなくて、俺は千蔵の横をすり抜けて自分の鞄を取りに行く。


「橙……?」

「……言い忘れてたんだけど、ちょっと家の用事でさ。しばらくバタつきそうなんだ」

「え、そうなの? 大丈夫?」


 俺が鞄から取り出したヘッドホンを見て、千蔵が少し驚いたらしい空気が伝わってきた。


「ああ。待たせといて悪いんだけど……しばらく別々に帰る」

「……!」


 俺の不調を気遣って始まった関係だ。始めに戻るだけで、千蔵の負担だって軽くなるのだからお互いにとって悪い提案じゃない。


「……そっか、わかった」


 だから罪悪感なんて少しも感じる必要はないはずなのに、千蔵の声が少し沈んで聞こえてしまったものだから、俺はそこからどう帰ったのかも記憶にないくらい胸の苦しさに苛まれていた。


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