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その奇譚(きたん)、叶えるのは難あり  作者: あみの よもやま
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もろびとこぞりて 四

 帰宅すると、今日は夕飯をすこし早めに取るよう、母さんに言われた。

 なんでも、父さんの会社の知り合いの人たちが家に来るという。

「ふうん、珍しいね」

「地方の子会社からお父さんの会社に出向してきた人たちで、今度、また地元に戻るっていうの」

「へえ」

 つまりはその送別会ということか。

 まあ俺と違って気さくな父さんのすることだ、あちらこちらに様々なコミュニティでもできているのだろうな。


 幼少より、父さんたちに来客があると、部屋に入って大人しくしていなさいと言われていたから、もう俺も(わきま)えたものである。

 それで幼い頃には、よく子供部屋がめちゃくちゃになっていた。我が家のちいさな公主(こうしゅ)こと陽葵(ひまり)ちゃんが、そこで癇癪(かんしゃく)を起こしてくれるからである。

 そうしたときに、俺が何かつまらないことを言うと、かわいい姫君のお顔はますます赤くなった。だから俺はいつもそのおままごとを手伝ってやることに決めていた。きっと陽葵は、窮屈で寂しくてたまらなかったのだろう。ふだんなら、家の領地を自由に走りまわれるものだから。


 そうして、当時から妹の気持ちを大事にしてやらなかったら、今ごろは俺も「近くに来ないでっ」と邪険(じゃけん)にされていたのかもしれない。全国のお兄ちゃんにも心当たりがあると思うが、思春期真っ盛りの女の子とは、そういうものなのである。

 ところが、そんな過渡期であるにも関わらず、陽葵ちゃんは俺の机で自分の宿題をやっている。中学生のお姉さんになっても、まだまだ妖怪かまってちゃんは発動するらしいのだ。


「なんか、わからねーことでも、あんのか?」

「ちょっと数学が…、お兄ちゃん、教えて」

 妹が手で可愛く三角を作っておねがいをしてくる。

「数学、ね」

 それは別にかまわないが、ひとつ腕を組んで考えて込んでしまった。なにせ俺の一番苦手な科目がそれだから。

 それでも中学の範囲でならばと、もとより手伝ってやることに決めていたので、制服のまま陽葵ちゃんの後ろに立って、行き詰ったところに試行錯誤、あれこれ式を書き添えてやる。

 これをあの(みどり)ちゃんに言わせると、妹は最強の調教師でもあるという。なぜなら、妹がそのおねがいで俺に仕込めない芸当はないからである。



 さて、妹の宿題も終わり、少し早い夕食をとった後、ふたたび自室に戻った。

 スマホを手に取ると、慶将(ちかまさ)からのメッセが届いていた。俺はまじめな顔つきになって、扉に背を向けてベッドに横になる。この態勢ならば、不意に扉を開けられても慌てずに済むからである。

 こうして定報のように慶将もメッセを寄こしてくれたが、なにか不味い事態でも起きてやしないかと、俺はそのメッセが来るたびにいつも恐れていた。読みたくはないけれど、騒動の中心人物たるこの俺にその拒否権はないのである。俺はかるくため息をついて、メッセを開いた。


 今宵(こよい)は静かで平和であった。


 目下のところ、海洋魔人は日本海溝にでも深く沈み込んでいるのか、沿岸監視所、水中固定聴音装置、ならびに館山航空基地のヘリ部隊でも目立った動きは補足されていなかった。

 横田の在日米海軍司令部と横須賀を母港とする第15駆逐戦隊の間においても、緊要(きんよう)な交信など一切なく、その内容も平常業務を越えるものではないという。

 部隊間で交信が増えるということは、それはなんらかの突発的な事案が発生したということであり、そこからまた極端に減るのなら、それは無線封鎖をして戦闘に備えている(あかし)だと推察できる。

 外国人による基地周辺の土地所得に国がああも敏感になるのも、そうした状況を読み解かれる恐れがあるためで、この日本では、公安がすでに把握しているだけでも、某国の電波間諜所などが民間を装って今も複数置かれていた。



 海洋魔人が現れないのなら、俺たちのすることは何もなかった。一番良いのは、米軍さんがきれいに駆除してくれることである。今の俺にできることは、スマホの呼び出し音に気を配ることくらいがせいぜいか。


「ま、面倒だけど、気楽なことには違いねーわな…」


 俺は束の間、ぼんやりしていた。目覚ましの秒針だけが、目の端でくるくる回っている。

 その秒針が、だんだんとゆっくりになり、やがて止まった。俺は目覚ましを片手でつかみ上げて、何度か振ってみた。

「こりゃあ、接触不良じゃねえな。マジで電池、切れてやがンのか?」

 それでベッドから起き上がりかけたが、なんだろう、頭が風邪でもひいたように重たく項垂(うなだ)れるのだ。


 やっべ、人の多いどこかで流行り(やまい)でも移されたのかしらん―――そう(いぶか)る俺の耳に、やがて幼いような声が聞こえてきた。「もし、もし――」俺はぎょっとして耳をそばだてる。

 前触れもなく突然に聞こえてきたその声音(こわね)、しかし数秒待てども、部屋はしんと静まり返ったまま、なんの反響も得られない。


「最近の悪霊は、部屋が明るくても平気で出てきやがんだな」

「呪いますよ」


 怖じけた自分を励ますつもりの独り言だったので、その返事だけでも十分に俺を卒倒させることができていた。俺は全身を針のようにさせて、どんな変化も見逃さないよう、部屋の隅々にまで目を走らせる。


 まずは机が目に入った、ノートが散らばったままの、参考書を山ほど載せた机である。その背後の白い壁には、かつてお嬢様から頂いた霊験あらたかな御守りをぶら下げていたピンの跡があった。イオっちに貸し出したまま、無残にも焼失してしまったが、やっぱりあれが無いと、こんな奇妙な心霊現象も起きてしまうものなのか。

 となりの本棚には雑誌や漫画、久場から拝借した模型の雑誌もいくつかあった。その雑誌の間に納まるように―――人形があった。その人形はどこから持ち込まれたものなのか、姫さまカットの長い髪に、特徴ある幾何学模様の紅い着物、白い顔に目鼻は描かれていなかったが、そこからは眼をぱっちりさせて俺を値踏みしてくるような気配すら感じられる。


 人形―――それがただの人形でないことくらい、こんな俺でも容易(たやす)くわかる。


 俺がじっと目を凝らしていると、その人形は聞き覚えのある舌足らずな声で喋ってきた。

「こんばんは、希人さん」

 そのひと声で、俺の神経はカチっと繋がった。いま()のあたりに()る人形は、あの伏見宮(ふしみのみや)ミカンコ幼女の立ち姿にあまりにも酷似(こくじ)している。

今宵(こよい)は、あなたにお会いしていただきたい方がおりますの」

 なんだよ(やぶ)から(ボーン)に―――とした俺の抗議の声はふしぎと聞かれなかった。


「今から私がご案内いたしますが、この神洞をくぐりますと、すぐにある種の声が聞こえてきます―――ですがお気になさらずに、私の背中だけをじっとご覧になっていてください。そして私が手を上げましたら、視線を下へ向けたまま、きちんと立ち止まるのですよ。ぜったいに周囲を見てはいけません。さもないと、恐ろしいものを見ることになりますから」

 そこへ、ふいに自分の声が聞こえてくる。

「そんで、もし攻撃(こん)されたらどげんすると? 下ば向いたままじゃ、身ば守ることなんぞできんぜよ」

 それは確かに俺の声であったが、あきらかに自分が発したものではなかった。

「私の目の届くところに、攻撃してくるような(やから)はおりませんよ」ミカンコ幼女は笑って言った。「仮に守るものがあるのでしたら、それはあなた自身のお心ではないでしょうか」

「甥っ子は?」また俺の声が尋ねた。

「そちらはご心配なさらずに。今のあの子には知るすべもないことですから」


 ここまで聞いて、俺はこの声の主を薄々ながらも察することができた。まちがいない、俺の遠い叔父である、本来の希人、その人のはず。


「そう怖がらないでください。ではこちらへ…」

 伏見宮(ふしみのみや)の人形は柔らかな物腰で、招いてくる。


 ―――いづくへ行かんとする道も、さながら霧に包まれ定かならざりし、まこと、辿り着くべき(しるべ)を見失ひて、惑ひ歩きたる月日は長かりき―――


 娘の(みやび)な唄声だけが、あたりへ幽玄に響くなか、そこかしこからする物音は、最初はおぼろげで、はるか遠くから聞こえてくる波音のように、地に吸われて消えるようだった。

 それが、ひとたび妙な空間に踏み入ると、徐々にはっきりした人々の声に変わってくる。

 俺の視界には足元ばかりが映っていたが、ほんの一瞬、うしろを振り返りかけていた。それからまた下に落とされると、うねるような色彩の上を歩く着物姿の背面だけを見つめて、よけいなものを見ないよう努力していた。


 今や周囲から湧き上がる声は、(わめ)くような怨嗟(えんさ)にとって代わられる。それは、ときおり断末魔のような恐ろしげな声にかき消された。俺のすぐ後ろからも、おぞましいすすり泣きの輪唱(りんしょう)が聞こえてくる。耳の中ではその音響が幾重にもこだましていたが、ふしぎと、頭の芯が麻痺したように、俺はまったく怖れをしなかった。


 ふいに、前を歩く伏見宮(ふしみのみや)の娘は手を挙げた。

 視界が、すこし跳ねる。

 つい先ほどまで無機物の人形にすぎなかった着物姿の娘は、今やぐっと背が伸びて、しっかりとした尻の厚み、美しい目鼻も整えて、熱鉛(ねつえん)のごとき血脈を得たその唇からは、美しい声が洩れ聞こえる。


「これら嘆きは―――あなたの苦悩を育んでゆく()まわしいもの、というても、他の者にとっては如何(いか)にとも、なし(がた)いことなのですが」


 そして振り向いてきたその面輪(おもわ)、これこそが容顔美麗(ようがんびょうり)というものか。


「その愚にもつかないご良心、まことに結構なことですが―――皆、あなたが()つるところの者ですよ。万物を摧伏(さいふく)して我欲(がよく)()く。今更、何をか恐れんや」


 ここでも美しい少女はよく笑った。妖異な幽谷(ゆうこく)にまで立ち入って、そして(こころよ)い態度をありのままに振舞うことのできるその娘は、あの鷺ノ宮のミカンコ嬢と瓜二つの顔かたちをしていた。

 外の俺は苦笑した、そして内部の俺は、たしかに驚愕していたが、身体と心の層がいっぺんにずれ動いたような、そんな奇妙な錯覚をおぼえていた。


 お嬢様そっくりの伏見宮の娘は、袖口より取りいだしたる神楽鈴をひとつ、シャランと鳴らす。すると、()し寄せていた怨嗟の声はぴたりと止んだ。

「もう、いいですよ」

 その声のあと、視界が左右におおきく揺れ動いた。叔父があたりを見廻しているのだろう、遠く景色を現しつつあったおぼろげな影の隙間から、見えない樹木を透して、(ほの)かな明かりが頬に差してくるのを感じていた。


 俺の頭の神経は目覚めていたが、それに感情が伴わなかった。おかげで冷静な目で物事を見つめていられる。このことを誰かに伝えたかったが、漠然とした理由から俺は大人しくしていた。


 叔父がなにかひとこと喋る。

 端麗な面ざしの娘はなにも応えずに、ただ指先で示すのみ。


 そこには、意地の悪いような若い男性の陽に焼けた顔が浮かんでいた。

 戦友である下鶴(しもづる)三飛曹の姿も見えた。

 自分をよく気にかけてくれた毬栗頭(いがぐりあたま)の整備班長が、機体の下から笑顔をのぞかせて、消えたりした。

 そして、(はかま)(すそ)を足首のところで絞った娘が、ひとり焼野原を歩いて、明け六つの晨光(しんこう)を追いながら寂しげに歩く姿が見えた。


 その娘を見つけたとたん、不思議な感覚が―――動いた。


 半身を意識の中に、そして半身を意識の外に出しながらも、東の空に昇る淡紅(うすあか)(ほのお)をめざして、俺は走り出していた。

栞雫(かんな)さん!」

 追いついた娘の背に、手が触れた。

 とたん、その(たお)やかな身体は濃い煙となって、千切れたように、ぼろぼろとさゆらぐ。

 そしてまた少し離れたところに、栞雫(かんな)嬢は同じ姿のまま、現れるのである。

 俺はそれらの現象すべてを見ていた。

 それでも叔父は諦めずに、諸手(もろて)(かすみ)に触れるようにして、背後から自分の胸に栞雫(かんな)嬢をやさしく抱きとめる。こんどの彼女は崩れることをしなかった。


「彼女は、まだまだ完全ではありません」

 伏見宮(ふしみのみや)の娘は続ける。

「その彼女は、あなた自身が見つけたひと欠片(かけら)、五感にすら捉えられず、概念(がいねん)の内でしか存在し得ないもの。それでも彼女はそこにいる。かつてあなたの(おい)を助けたように、いちど従者(ズサ)となった法師であれば、その概念だけでも現実へたやすく干渉することができるのです」


 この静謐(せいひつ)な、紫がかった水晶のような透明な雰囲気のうちに、女の知力のほどよく均衡のとれた口調でそう説かれていると、こんな途方もない話でも、自ずと信用できるような気持ちになってくる。


一水四見(いっすいしけん)―――たったひと(すく)いの清水さえ、人はそれを飲み水と思い、魚は住処と(とら)え、悪鬼においては我が身を焼き尽くす(ほのお)のようにも見えると申します。ゆえに皆が栞雫(かんな)さんへ寄せる印象も、各々異なるものでございましょう。(しか)れども現実にあっては(ただ)一人の女の身―――もし彼女を真実の姿に(かえ)さんと欲するならば、その散り散りなる概念の欠片、すべてを拾い集めねばなりません」


「概念の欠片? いったいどうしよる?」

 栞雫(かんな)、の名を伏見宮(ふしみのみや)の娘が口にするごとに、叔父は話に引き込まれ、勢い込んで問う。

「幸いなるかな、今の私たちならば、それを供する用意が整うております。いまだ何物にも染まらぬ、無垢なる魂の欠片を――」

「つまり、俺に何ば手伝わせたいっちうとか」

 伏見宮の娘はやんわりと微笑んだ。

 自分の説いた言葉を、素直に受け入れて、いち早く(ゆだ)ねてくるその姿勢には、彼女も快く思っていたようである。


「じつは、思いの(ほか)(はかど)っておりました宗徒たちの工作も、今やすっかり(とどこお)っておりますの。当初、あまり乗り気でないと思われた異国勢までもが、はからずも賛意を示してきたことには、私たちも驚かされましたが、これに力を得た宗徒らは、いよいよ意を強くして、向こう見ずな挙動に及んでしまい、それが、今や彼ら自身の手にも余る事態となり果てたようなのです」

 伏見宮の娘は、うちとけて、まるで相談をもちかけるような態度だった。

「ふむ、外洋の方は、何やらえらいことになっとるたい」

「あれほどの執着では、必ずや、あなたの下までやって来ることになるのでしょう」


 海洋魔人の姿は見失ったものの、哨戒部隊の接敵地点を中心にコンパスで円を描けば、今もすぐ近くにじっと身を(ひそ)めて、好機を(うかが)っているのは明白である。


「ですから、それをあなた方に(おい)てご対処願いたいのです。私どもはその対価といたしまして、概念の欠片となるべくそのすべての火廣金(ヒヒロカネ)を一時譲渡する所存でございます。相当な苦難を伴うものでしょうが、これら条件にて、あなたもご異存はありましょうや」

 伏見宮の娘は念を押すように訊いた。

「そりゃあもとより是非(ぜひ)もねえ。協力せんわけにはいかんめえ」

 叔父もすぐに受諾した。


 そこで、俺の意識はふっと遠のくのである。


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