もろびとこぞりて 二
数ある写真の終いには奉書のような格調高い封書が忍ばせてあって、中にはあまり濃くない墨の色、たいへん伸びやかな筆跡で履歴のような一覧が表記されている。それがまた法制局職員の名から始まって、その参事官、外務省職員や民間の行政法学者。そしてしまいにはかつての官房長官の名まで記されていた。
それぞれは上から順良く写真の人物に対合していたが、旧官房長官の写真がない代わりに、お嬢様の知る昔の軍人の写真が挟まれている。上に乗せられた写真が普段着姿の身に合ったおっとりした奥さま風の女性でもあったので、その軍人の姿をよけいに際立たせるのであった。
これらが一体何を示すものなのか、いやもう、俺はうっかりこんなものを預かってしまって、どげんしたらよかと?
「おい慶将、これで俺たちに何をしろと?」
「いや、僕にもさっぱり。ミカンコさん、その古い軍人の方は?」
お嬢様は考え込んでいる。
「たしか、九州を守っていた第四十軍の参謀補佐の方だったと思います。ハンチさんの遠い叔父様とはいろいろ面識があったらしく…」
「なるほど、しかしわかりませんね。その古い写真がいったい何を示唆してくるのか」
希人である曽祖叔父と面識があるのなら、と思い、俺もその写真を横から眺めてみる。やや頬のこけた容貌には陰鬱な感じが漂っていたが、どことなく見覚えのあるような顔にもうかがえた。
不思議とその人物のことを知っているような気がしていたが、ミカンコがすぐに視線を遮ってくる。
「おいおい」
「ハンチさんは、あまりご覧にならない方が良いでしょう」
そう言ったきり、俺の手の届かないところにやってしまった。そして困り顔で、もう先生にお任せした方が手っ取り早いのでしょうと仰られる。
「ちなみに、その軍人の方のお名前は?」
慶将が尋ねる。
「三本 五路生。当時は大佐だったはずですよ」
「ほう、高級参謀ですね」
まあ、公安の資料にはそのテのものがいろいろ採録してあるのだろうし、そこで何か共通点を見出して、先生たちの方で月詠の意図を読み解いてもらうしかないのだろうな。
「月詠の総代が状況をいじくりまわすのを抑えているだけでも、苦労が絶えませんのに、こんな写真で現場を複雑にされては堪りませんわ」
お嬢様はきっちり閉じた封筒を持って、これから先生のいる東京へ向かうという。
「え、車で今から行くの? いくら鷺ノ宮っつったって、国の秘密基地みたいなところには入れてもらえねぇだろ」
「行くのは、里見さんの御実家の方ですよ。それに、あの小さな神さまへもひとこと苦言を呈させて頂きませんと、私、昨年からずっと避けられているようですので」
「なんか、やることだらけだな」
つまりは、ねちねちした不満を漏らすお嬢様の矢面に、これから、あのちびっこ神さまが立たされることになるわけだ。
いやはや、ご愁傷様―――。
森閑としたそのお座敷で、冷や汗まで掻いてお行儀よくするイオっちさまのお姿が、もう今から目に浮かぶようである。
その行きがけにミカンコが、なにか菓子折りのようなものを渡してきた。
「ハンチさん、どうぞこれを…」
「え、いいの?」
「もちろんですよ。お家に戻られましたら、真っ先にこれを机の上に乗せて、どうぞ開けておいてくださいまし」
お嬢様がまたなにか妙なことを申してくる。俺は不安な気持ちでいっぱいになった。
「なんかの儀式かよ。ちょっとまて、中身なんだ?」
「ふつうのお菓子に決まっているではないですか」
「ホントに?」
「天地神明に誓いまして」
それで一応、俺も箱に張り付けてある食品表示ラベルを確認したが、バームクーヘンと書いてあるだけで、たしかに怪しいものではなさそうだ。
「てか疑って悪いな、なんか高そうなもンを」
「いえ、多少なりとも運気の上がるものを―――それがあなたの助けになるのやもしれませんし」
そうした一連の会話には、慶将もあえて参加せず、笑っているだけで済ませていたが、
「ミカンコさんの護衛は向日葵さんにしてもらうとして、ハンチくんはどうしましょう。この彼は、日に二度も三度も平気で不幸に見舞われる凶運の持ち主のようですし」
などと言って、可笑しがる。
この俺も、いろいろ身に覚えがあるだけに、口をほろ苦く歪めて言い返した。
「ガキじゃねーんだから、一人で帰れるっつーの」
このままひとりで帰ると言い張る俺を、慶将は意固地だと評していたが、学校を一歩外に出れば、もうそれはいつものボッチスタイルとなんら変わりはないのである。
さて、無事に家へ着くとあの翠ちゃんが遊びに来ていた。母さんに招かれて、居間で陽葵と一緒にお茶をしていた。
脇を通りがかると、
「お兄さん、お帰りなさい。その古風な顔つき、素敵ですね。自画像も修正なしで浮世絵が描けてしまうほどですよ」
とまあ、その悪態もいつもどおりの平壌運転なのである。
俺が歯をむき出しにして威嚇すると、翠ちゃんは陽葵に甘えて、きゃあと抱きついた。
まるで本物の姉妹のように仲のよろしいふたりである。
「大丈夫だよ、翠ちゃん。うちのお兄ちゃん、噛みついたりしないから」
「でも、どさくさに、お尻を触ってくるんでしょう?」
てめぇ、親もいんのに、なんてこと言いやがる。
そんなんでも、通りがかりのことながら、そこはかとなく、なにか明るい感じを受けたせいか、ついこの前まで鬱悶としていた俺の心も、だいぶ解れてきたように感じられる。
ま、これも良い傾向なのだろうな。
「お兄さん、それ猿ですよ、猿」
「だまらっしゃい」
まったく人が感傷に浸ってんのに、誰が猿やねん。
「そもそも、猿はPCなんか、直せねーだろがよ」
そのPCというのは、学校へ行けなかった妹に、両親が通信教育でもさせるつもりで購入したのだが、今や妹たちのゲームマシンと化している。
このふたりがよくフリーズさせてくれるので、そのたびに俺が修理をやらされることになるわけだ。
「じゃあ、PC 猿人」
「そんな古いモン、よく知ってんな」
翠ちゃんの悪態の手際には、ほとほと感心させられた。
自分の部屋に入ると、机の横に鞄と菓子折りの入った紙袋を置いて、さっさと着替えることにした。うかうかしていると、パンツ一丁のときに妹たちがやってきて、俺の立派なネオアームストロング様に恐れ慄いてしまうからである。
夕飯前には風呂にも入るのだろうし、それまでは学校のジャージでだらしなく過ごすことにして、俺ははっとした。
「ああ、そっか、バームクーヘン…」
それでお嬢様に言われたことをそのままなぞるように、俺は金色の羅字で描かれた黒い上等そうな包装紙をびりびり破って、一切れずつ包装された菓子の箱を、丁寧なつもりで机の上に供えるのだった。
はて、あとは何をすればよいのかしら。
日本人のアニミズムがすっかり廃れかけているこのご時世に、この俺なんぞが拝んでみせるというのもおこがましいが、一応は手を合わせてみる。
すると、さっそくご神託が下された。
「希人よ、となりにミルクティーを添えるのじゃ、あと砂糖はみっつな」
おや驚いた。
神々しい光を纏って、ほんとうに神さまが降りてきたではないですか。
その神さまは、人知を超えた至高の存在でもありながら、神格などは皆目、むしろお調子者でルーズな少々しまりのないお稚児様のような印象すら受けるほど。
「なんでイオっちが俺ンちにいんだ?」
「来ていただいて恐悦至極にございます、じゃろ~」
俺の鼻を摘みながら、なにか偉そうに物申してくる。
「遊びにきてくれたのは嬉しいんだけどよ、たしかミカンコが会いに行ってたはずだぞ?」
それな―――と頷くイオっちは、その虫の知らせを受けるや、慌てて芹沢邸から飛び出てきたのだという。
というのも、清泉に浮かぶひとひらの花弁の如く、座敷の中で身じろぎもせずにただ端然と、そしてただ黙然と凝視してくるミカンコ嬢のご御稜威に、とてもじゃないが耐えられそうもなかったので…。
「ちなみにその虫とは、カメ虫じゃ」
「冬でもいんのかよ」
「部屋をあっためてゲームしとると、たまあに出てくるんよ」
その神さまが、恐れ多くも今はお菓子の前で涎をたらしていらっしゃる。
「いやあ、まさかバームクーヘンにありつけるとはのう。これも日頃の行いというやつじゃろか」
このイオっちは、叱られることにとことん弱い。そしてまた、美味しいお菓子にもきわめて弱いのである。俺のもとへやってきたのも、ここならば匿ってくれると思ったのか、ついでに何かのご相伴に預かる下心があったのかもしれないが。
「ゲームやって菓子食って、もうなんだか自由だな」
俺は笑ってそう言った。
ただ見ているだけならこのイオっち、童話の挿絵にもなるようなお姿で、たいへん微笑ましくも愛らしい。
こんな希少なちびっこ神さまを独占していても、全国の法師たちは芹沢家を気高い殉教者のごとく認めており、だれひとりとして利己的だと非難する者はいなかった。
それには世の侮りをいっさい受けない周到な身構えが芹沢家にあって、また神さまの方も唯一、それを認めていたからである。
「でもイオっち、いつから先生のところに居候してるんだ?」
「つい最近じゃな。それまでにもいろいろ因縁はあったものじゃが」
「ふうん」
けれども、そのいろいろは内緒だそうだ。
そんな話をしていると、家の小さな庭の方から、なにか陽葵たちの騒ぐ声がしてくる。
続いて、したの廊下に続く足音――
「ねえ友則、外に大きな鳥の死骸があるのよ。気持ち悪いから、あれ何とかしてくれない?」
はて、どこぞの鳶でもお亡くなりになられたのだろうか。
母さんからそうお声がかかると、月並みながらも鳶ではなく鶴の一声で、イオっちはちっちゃなお手々でよく喋る口に蓋をした。
それで部屋は一刻、しいんとする。
俺は笑って声をかけた。
「お菓子、先に食ってなよ。あとで紅茶でも持ってきてやっから」
それで、イオっちはひとつ頷くと、口の蓋をゆっくりどけながら、小声でとんでもねーことを申すのである。
「いやな、来る途中、ちょうどおまえの家の屋根のところに鳥のカタチをしおった若い魔人がおってのう。あんまりにも聞き分けがないもんじゃから、腹が立ってついグリルに。バームクーヘンですっかり忘れておったわい」
「は? 魔人って…」
俺は慌てて下へ行った。夕刻まえの長閑なひととき、そんなことなどあるはずないとしつつも、事実、あっちまうのである。
突っ掛けを履いて外へ出ると、小さな庭の中心に、大型犬ほどの鳥の死骸が横たわっていた。
まばらに生えていた周囲の草は茶色に枯れて、焼け焦げた肉の臭いが漂っている。それだけの熱量をイオっちは放ったのだろう、近づくにつれ、未知なるものへの怖れが高まって、胃のあたりがきゅうっと絞めつけられてくるようだった。
生き返ってとつぜん暴れ出しやしないかと、まずは塀の隅に転がっている枯れ枝を拾い、恐る恐る突いてみたが、イオっちの申した通り、きちんとグリル焼きにされていた。
よく見ると、翼の奥にある鱗には、いまだキラキラと微細な蒼い光の粒子まで纏わっていた。頭部には嘴などなく、その輪郭はいやにのっぺりと、まるでヒトの頭のような形状で、猛禽の姿を模したものながら、死骸になってもなお、猛禽とは比較にならない名状しがたい雰囲気をその身に宿しているのだった。
「これ、やばくね?」
イオっちのいない間に、こんなものに出くわしでもしたら、俺なんかひとたまりもなかっただろう。
妹たちも遠くからおっかなびっくり覗いてくる。その正体を知られないうちに、今はいそいで処理するしかない。まずは近くにいる公安の人たちに連絡を取って―――。
それでふと、二階の窓を仰ぎ見た。
最初こそ、神社のおみくじくらいに軽く考え、机の上に菓子を広げて置きさえすれば、なにかこう、霊験あらたかな御利益が、俺の死んだ五十年後くらいに巡り巡って来るものとばかり思っていたが。
「ひょっとしてあいつ、このこと初めから分かって…」
お嬢様のバームクーヘンから始まって、この人面鳥の死骸にまでたどり着いたということは、彼女の予見視が、その途上で、さまざまな可能性を考慮しつつも、風の吹いた桶屋のごとく、その予見を次々と的中させたということでもある。
つまりこのグリル焼きは、彼女の予見視をきちんと最後まで的中し終えたという、その証にもなるわけだ。
「はぁ…、占いじゃなくて、ミカンコのやつ、もう予言って言っちゃえよ。マジ、パねぇな」
俺はもう舌を巻く思いで、ただただ呆れるのであった。




