十話 別れと未来(中)
本日二話目の投稿になります。
ルピスは光の世界に立っていた。
見渡す限り白一色の世界。
柔らかい無垢な光がルピスを包んでいた。つい今まで晴天の下で魔法協会の天井の上に立っていたというのに。
はたと周囲を見渡すも、世界一面が白色に覆われていた。隣に立っていたはずのアセビの姿もここにはない。
目の前の白い空間がぐにゃりと歪む。
拳ほどの歪みが次第に大きくなっていく。
その歪みが等身大ほどまで広がると、今度はそこから染み出るように人の姿が現れた。
歪みにより引き延ばされた人影の全貌が、歪みから出るにつれて明らかになる。
《――うりゃあああーー》
何とも可愛らしい声を最後に人影は歪みから完全に抜け出し、歪みは最初からなかったかのように姿を消した。
現れたのは可愛らしい声の持ち主らしい可愛らしい容姿の少女。外見年齢はルピスと同じくらいだろうか。
今も十分可愛らしいが、将来はきっとすごい美少女、美女になることを約束されたような容姿の持ち主。
炎を彷彿とされる赤みがかったオレンジ色の髪と瞳。外にはねた髪は腰まで伸びており、くりくりとした大きな瞳は好奇心に輝いていた。
《またあったな同胞!》
旧知の仲のように声を掛けてきた彼女に対し、
《えっと、もしかして赤竜?》
半信半疑で言葉を返したルピスに、彼女は大きな犬歯が見える綺麗な歯を見せながら近づいてきた。
《もしかしなくても赤竜である!》
彼女はまな板の胸を大きく張ってみせた。
《驚いた……。竜って人型になれるんだね》
《変なことを言うんだな。竜人族がいるのだ。竜が人になれて当然であろう!》
竜人族とは、全種族の中でも基礎体力、魔力が最高位を誇り、大陸で最強種族の筆頭に挙げられる種族。
彼らの特徴して、竜を彷彿されるような魔法を使うことでよく知られていた。中でも、一部の者は竜化という文字通りその身を竜に変化させることができ、過去の戦争で彼らはたった一人で戦況を覆してしまった実績があるほどであった。
竜と聞いて、竜人族の次にある生物を思い出す。
《飛竜も……?》
《むぅ……。我らをトカゲどもと一緒にするでない!》
途端にむくれる目の前の少女。
飛竜とは人族にとって最も身近な竜。
身近な災厄でもあるが、それと同時に貴人や王国上層部では家畜化に成功し、国防の一端を担っている存在である。
竜騎兵、と言えば、彼らに跨る誇り高き騎士。それゆに彼らは恐れであり、同時に憧れの存在でもあった。
《ワタシは寛大だからな。一度は許そう! 我らと彼らは確かに繋がりはある。だが、それは人と猿の関係のようなもの。似て非なる者ぞ。気位の高い竜だとその言葉で機嫌を損ねて町を焼き尽くしてしまいかねんな!》
その言葉にルピスは、肝を冷やす。
目の前の少女も許す! と言っておきながらも、その目は笑っていなかった。
居心地の悪さを感じたルピスは話題を変えることにした。
《ところでここは?》
《ここは世界の狭間、現世の裏。観測者の世界――現地であって現実ではない世界》
彼女は詩人のように朗々とそう述べた。
《現実であって、現実でない?》
ルピスはそのなぞかけのような答えに首を捻る。
その心境を察したかのように少女は歯をみせて笑い、
《ははは、人の理屈の外の世界じゃ。考えるだけ無駄じゃ!》
そういうものか、と考えることをやめたルピスは続けて、
《それでなんでぼくはここに?》
《なんでって、ワタシが呼んだからな! 前回はワタシの世界に呼び込もうとしたけど、失敗したからな! 同胞はどうやら目覚めたばかりのようじゃな!》
つまり、前回少女の世界とやらに呼び込もうとして失敗してルピスは気を失い、今回はその失敗の経験を活かして、この世界の狭間という空間にルピスを呼び込み、彼女もまた入り込んだということのようだ。
なんとなく事態を察したルピスであったが、まだ一つ気になることがあった。
《その、同胞って……?》
それは彼女のルピスの呼び名である。
何をもって同胞とするのか、それがわからない。だが、彼女は目の前に現れてから一貫してルピスを同胞と呼び、気安い態度を隠さないでいた。
彼女は首を一度だけ傾け、それをすぐに戻すと、
《同胞は同胞じゃ。我らの世界を見る者。その呼び名は古来より様々。妖精の愛し子、選ばれし者、運命の担い手――》
《それがぼくだって言うの?》
仰々しい呼び名にたまらず口を挟む。
《今代の同胞はそこまで言わないとわからないのか?》
その言葉が答えだった。
《選ばれたとか運命だって……。急に言われてもぼくにはわからないよ》
《案ずるでない。運命はいつもそこにあるのじゃ。同胞が気づこうが気づかまいが。運命は既に始まっているのじゃ》
《ぼくはどうすればいいの?》
《それを決めること。それが同胞の運命じゃ。自ずと決断を下さねばならぬときがくる。いずれに転ぶにせよ、決断を下すこと。それが同胞のすべきたった一つのことじゃ》
《決断を下す……》
《うむ。何に影響されもよい、負けてもよい、挫折してもよい――ただ最後はほかでもない自分で決断を下す》
そこで言葉を区切ると、その可愛らしい顔つきに似合わない大人びた笑みを浮かべる。
《なにやら前回会ったときより、同胞の輝きが増している。なにか運命を乗り越えたのであろう?》
《あっ……》
ルピスはカーカスの存在を思い出した。
ファトス家の当主であり、ルピスの抱えていたトラウマの象徴。アセビの助力を得て、他でもない自分自身で乗り越えた過去の枷。
目の前の彼女はルピスの反応に、まるで姉のようにただ優しく微笑みをみせると、
<おっと、時間のようじゃな》
《じか――?》
視界がぐらりと揺れた。
白の世界が、目の前の彼女の姿が歪んで見える。明らかに体に異変が生じていた。
風邪を何倍にも拗らせたような倦怠感もこみ上げてきた。
《今の同胞はこの世界に長居すべきではない――帰れなくなるからな》
《それって、どういう?》
突如として、二人の頭上が歪みはじめた。
彼女が現れたときのように、小さな歪みは次第に大きな歪みへと広がっていく。
《お迎えじゃ》
大きく広がった歪みから現れたのは――竜の腕。
赤の鱗に覆われた腕、そして、ルピスの体がやすやすと収まる大きな手。
人を容易く切り裂く爪をもつその手を前にしても、ルピスには不思議と恐怖心は沸いてはこなかった。
手のひらを上に向けて、降ってきた手はルピスの後ろで止まった。
ルピスはその手のひらに身を躍らせると、それを感じ取ったのか手は小さく椀の形を取り、ゆっくりと上昇を始める。
閉じられた指の隙間から、徐々に遠くなる彼女を見つめる。
その視線の先で、彼女は笑っていた。
《君の、君の名前を教えて!》
歪みに吸い込まれていく手のひらの上。ますます小さくなるその姿に向かって念波を飛ばす。
彼女はその言葉に大きく目を開くと、くすぐったそうに笑った。そして――
《ブティア》
頭上の歪みはルピスのすぐそこまで迫っていた。
《ブティア……。ぼくはルピス。またね、ブティア!》
ブティアの反応を見る前にルピスは歪みへと呑み込まれていくのであった。
◆
ルピスは魔法協会の天井の上に立っていた。
頭上には晴天が、眼下には街並みの景色が広がっている。
しかし、つい先ほどまでその狭間で存在感を放っていた赤竜は、忽然とその姿を消していた。
《夢……?》
白の世界も、竜の存在も、竜の話した内容も白昼夢だったのか。
そう自分を疑っていると、背中に軽い衝撃が走った。
ルピスが慌てて振り返ると、
「驚いたか? なら夢じゃないな」
そこには悪戯っぽく笑うアセビの姿があった。
《ブティアは――赤竜はどこにいったの?》
その問い掛けにアセビは肩をすくめると、
「さぁな。ただいなくなったことだけは確かだな。さっさと報告して帰ろう」
顎で竜が開けた屋根の穴を示す。
穴の中からは、急に消えた威圧感への安堵と戸惑いの声があがっていた。
二人が屋根の穴から室内を覗き込むと、ちょうど天井を見上げていた支部長と目が合う。
顔を真っ赤にして声を張り上げはじめた支部長の姿に、二人は顔を見合わせるとどちらからともなく笑みが零れた。
「帰るか」
《うん!》
アセビは横抱きにルピスを持ち上げると、室内に続く穴へとふわりとその身を躍らせるのであった。
次話で完結です。




