九話 枷との決別(中)
本日は二話投稿があります。本話はその一話目です。
ルピスがアセビの奴隷となって一ヶ月。
滞在する宿の次に見慣れた場所であるサファイア家の屋敷。
曇天の空。
うすら寒い風が吹く中、ルピスはアセビと共に屋敷へ向けて足を進める。
この先にいるのだ。ルピスが越えなければならない最大の壁が。向き合わなければならない過去の象徴であるお祖父さまが。
そう考えるだけで、唾を飲んでも飲んでも次々と湧き上がってくる。
それでもその足は止めない。
ふと右手が温かい感触に包まれた。
右手の温かさに身を向けると、ルピスの手をアセビの手が包んでいた。
「今のおまえなら大丈夫だ」
ニッと笑うアセビの顔を見ると、少し気分がマシになる。
――ぼくはもう一人じゃない。
屋敷の玄関が見えたとき、その前に仁王立ちする青年――カーカスの姿がそこにはあった。
赤みがかった金髪に、鋭く大きな碧色の瞳をもつ美丈夫。眉間によった皺と一文字に固く結ばれた唇が、そこに厳めしさを加えていた。
カーカスは何も言わず、近づく二人を腕を組んでただ睥睨している。
声の届く距離まで歩み寄る。
アセビが手を離したことを合図に、ルピスが前に進み出た。
《お祖父さま。今日は別れのあいさつにきました。ぼくはお祖父さまの決めた人とは結婚しません。ぼくはアセビと一緒にいます。これまでお世話になりました》
ただ端的にルピスはそう用件を伝えた。
カーカスは苛立たしそうに、
「それで?」
《……それで?》
それ以上はない。
ルピスとしては、これで引いてくれればこれ以上に言うことはないのだ。
カーカスは足を一度大きく踏み鳴らした。
それだけで、魔力の余波でルピスの白髪は後ろへと舞い上がる。
憎々し気な瞳を隠そうともせずに、
「それを言うために、わざわざここまでの騒ぎを起こしたのか? よりにもよってこの帝都で」
わかっていた。目の前の祖父とは話し合えないことは。
「お前はとことん疫病神だな。愚息も大概だが、お前はあれに輪をかけて愚かだ」
わかっていた。目の前の家族が自分を家族として見ていないことも。
「どうやって屋敷を抜け出したかは知らないが、愚息のように姿をくらませば良かったものの……今こうして怒りに滾る私の前にノコノコと姿を現したのだ。無事で済むとは――思っておるまい?」
腕組みを解いたカーカスに、光が集まっていく。
それは今までに見たこともない光の奔流をともなって。
カーカスの赤みを帯びた金髪が重力に逆らって浮き上がる。
「そこの泥棒猫の力を借りて、屋敷の護衛に招集したドブネズミどもを退けて成長したつもりか? 私も舐められたものだ。二度と逆らうことができないようにその身に刻んでくれよう。真の魔法の力とファトス家の当主の威光を」
カーカスは無手のまま、弓の構えをみせる。
それはまさしく射法八節の六の節『会』。弓を引き、目の前の標的に狙いを定める姿勢。
構え終わったあとに、後から光の弓が形成されていく。それは雷の弓と弦。
そこに装填されるのは炎を纏った赤い雷。姿を現した獲物がバチバチと音をたてて空気を切り裂く。
ルピスは先ほどの冒険者たちと戦ったとき同様に、魔法の動きを見定める。
「射抜け<《雷炎の裁き>」
カーカスの右手が雷の弦から放たれる直前、
「避けろッ!」
はじめてアセビが焦ったような声をあげた。
考えるより早くアセビの声に従い、その場から転げるように身を翻した。
その直後、熱と空気を切り裂く激しい音が、ルピスが直前まで立っていたところを通り抜けた。
その魔法は見えなかった。否、目で追えなかった。
ただ音と熱の残響がその存在を教えてくれた。受けて立っていれば、無事では済まなかっただろう。
後ろを振り返れば、カーカスの一撃は庭園の草木を抉り、屋敷を囲う壁に穴を開けて、どこまで貫通したのか図り知れない。それだけの威力があった。
立ちあがった視線の先では、アセビがカーカスを睨めつけていた。
「お前……。いま殺す気だったろ」
「当主に逆らおうというのだ。殺されても文句は言えまい」
「それが家族でもか?」
カーカスははじめて表情を緩めると。
「家族? それが? ふふッ、面白いことを言う――私はそいつを家族だと思ったことはない」
冷たくルピスを突き放した。
手足を氷水に浸したかのような感覚に襲われる。
わかっていた。カーカスに肉親の情など期待できないことは。それでも面と向かって言葉に出されると辛いものがあった。
「へー。じゃあ、私が貰っても文句はないな?」
「いや、そうはいかない……。家族ではないが、それは我がファトス家の所有物。ファトス家の当主たる私の意思はファトス家の意思。よって当主の私が使うのは当然の理屈であろう」
「くそみたいな理屈だな」
「ドブネズミに高貴なるものの考えが理解できるとは思っておらん」
「……そーかい」
お互いが軽蔑した視線を投げ合うアセビとカーカス。
貴き血に生まれるということは、そう言うことだ。
ルピスは物心ついたときからそう厳しく教育されてきた。そして、それに答えようと精一杯努力をしてきた。
その結果が、家からの放逐。
その先でどうにか巡り合えた新生活に親しみ始めた途端、今度は一方的にその生活を取り上げようという圧倒的な理不尽。
アセビは”理不尽の権化”という二つ名を授かっているそうだが、ルピスから言わせれば貴族という存在の方がよっぽど理不尽である。
火のついた反骨精神を支えにルピスは立ち上がる。
――妖精さん! お願いッ!
ルピスの願いを答えるべく、光が動き出す。
冒険者たちを、ファトス家の私兵を、そしてアセビまでも捕らえた自然の攻撃。
大地はカーカスを呑み込もうと沈み、庭園の草木がその体を抑え込もうと絡みつく。
「――うっとおしい」
カーカスへと集った光が一瞬で霧散した。
「これか? お前が屋敷から逃げ出した方法は? これは誤算だ。お前、この私に力を隠していたのか?」
《ど、どうして……!?》
ルピスは動揺を隠せないでいた。
万能にも思えた妖精たちの力。カーカスにさえ届くと信じたその力。
それが目の前でかき消された。
「魔法詠唱せずに、魔法を行使できるなど聞いたことがない。お前は天与の才覚者なのか? サファイアめはこのことを知って……?」
再び妖精たちにお願いするも、今度は形になる前に集まった光たちが霧散する。
「無駄だ。魔力抵抗ができる一流の魔法使いにその程度の魔法干渉など効きはしない」
魔力抵抗。ルピスにもその言葉は聞き覚えがあった。
それは体内の魔力を体外に放出することで、他人からの魔力による干渉を防ぐ技。
高位の魔法使い同士の戦闘ではこれがないと話にならないとも。その理由がいまわかった。
つまり、ルピスの”お願い”による間接攻撃は無効化されたということを意味した。
目の前の強敵に自信のあった技が通用せずに、影が差す心。
――これまでなの……?
心が折れそうになる。目の前の困難から逃げたくなる。
チラリとアセビに視線を送ると、腕を組んで平然としているのがわかった。
彼女はルピスのいまこのときにも勝利を疑っていなかった。
――いや、まだだ!
自分を信じてくれる人がいる。たったそれだけのことで心が奮い立つ。
その期待を裏切りたくない。
もっと自分を見て欲しい、認めて欲しい。
――ちがう。認めさせるんだ。いまこの瞬間から。ほかでもない自分の力で。
ルピスに寄り添うように光が集まってくる。
覚悟は決まった。
間接的な攻撃がダメなら――ぶん殴る!
集まった光がルピスの体に吸い込まれていく。
みなぎる力と、ひどくなる頭痛。体の芯から燃えるような高揚感。
ルピスはカーカスに向かって一直線に駆け出した。




