九話 枷との決別(前)
アセビに連れられて訪れた屋敷に、ルピスは驚きを隠せないでいた。
ルピスの身柄を欲する貴族の屋敷というのが、ルピスが依頼で足繁く通っていた屋敷であることに。
《うそ……。ぼくの婚約相手って、サファイア家のお嬢様?》
「――だとしたらどうする?」
カーカスが画策している婚約相手とはサファイア家の次期当主パパラチア・サファイアだったのだ。
ルピスは奴隷となってから、いまだに彼女に会ったことはなかった。
ただ依頼先の屋敷の家の者が婚約者だったとは。世界の狭さに驚きを隠せない。
それでも、
《ううん。なにも変わらないよ。ぼくはアセビと一緒に行くんだ》
隣に立つアセビを見上げてそう言い切った。
アセビは満足そうに歯をみせると、
「いい返事だ――なら、ぶっ壊しに行こうか。ルピスの中にある心の枷を」
二人揃って、閉ざされた正門へと足を向けた。
二人が近くづくと剣呑な雰囲気の来訪者を察してか、正門の隣にある通用門から人がぞろぞろと出てくる。
通用門から出てきた男たちの服装、装備は、ファトス家の私兵のように統一されていなかった。
彼らはカーカスが魔法協会へと出した依頼を受けた冒険者たちのようだ。
その中には見覚えのあるいつぞやの剣士たちの姿もあった。
「の、”理不尽の権化”!? お、お前がなんでここに!?」
ルピスの誘拐を試みて、アセビに成敗された中級冒険者たちはアセビの存在に気がつくと、目に見えて狼狽えていた。
アセビも彼らのことは記憶にあったようで、
「おー、三下。お前たちも屋敷の警護の依頼を受けていたのか。これはちょうど良かった。ルチルから聞いてんだ。お前、ルピスを公安に売ったそうだな?」
「う、売ったというか何とか言うか、その人探しを手伝っただけと言うか……」
ごにょごにょと言い訳を始める剣士の男。
アセビと彼らの格付けは既に済んでいた。
彼らはアセビと決してその視線をアセビとは合わせようとはしない。
ルピスがアセビの前に進み出た。
嬉しそうに背後で口笛を吹くアセビ。
剣士の男とその仲間は眉を顰めた。
「……白髪頭、何の真似だ?」
《お前たちは、ぼくが倒す》
ルピスの宣言にピキリとわかりやすく青筋を立てた剣士は、
「お前、だぁ……? ”理不尽の権化”の奴隷だからって、お前まで強くなったと勘違いしてねぇか?」
腰の得物を抜くと、鼻息荒く大股で前に進み出る。
ほんの少し前であれば、怒気を露わにする目の前の男に、恐怖で動けなかったことだろう。
あの日のようになにもできずに、ただ誰かにただ救われるのを待っていた過去の自分。
でも、今は違う。
《アセビは見てて》
「わかった。任せるよ。ただ――ぶちかませ」
ルピスはその言葉に振り返ることなく、ただ力強く頷いた。
目の前の剣士に集中する。
外見の年齢だけで言うなら二十代半ばの働き盛り。鋭い目つき、鍛え上げられた体。使い込まれた両刃の剣。
剣だけではない。革の靴も、その身のこなしにも目の前の男の経験が詰まっていた。
中級冒険者だと言うだけある。町ですれ違う一般の人々にない風格まであった。
剣士の男の周囲に漂っていた光が、その体に吸い込まれたかと思うと、体が光を帯びる。
何かしらの魔法を使ったようだ。剣士と言うことを考慮すれば、その魔法はおそらく強化魔法であろう。
ルピスはいっそう警戒を強くする。
――が、あっという間に、剣士はルピスへと肉薄した。
これが強化魔法、心の中で瞠目した。
すべての人が持っていると言われる金属性の代表格の魔法――強化魔法。
魔法とは強化魔法に始まり、強化魔法に終わると豪語する者もいるほどその奥は深い。
魔法使いならずとも、冒険者の間でも広く浸透していた。この魔法がときに自身の何倍もある魔物に立ち向かうことを可能にした。
体格差と言う不利をなくす、万能とも評価される魔法なのだ。
ルピスはこれをすんでのところで回避する。
しかし、すぐに返す刃が迫る。
これは躱しきれない。
刃の軌道を見つめながら、両腕で顔を庇う。
剣士の男には獰猛な笑みが、勝利を確信した笑みが浮かんでいるのが見えた。
でも、そうはさせない。
――お願い!
「は?」
その声を漏らしたのは、剣士の男かその仲間たちか。はたまたアセビだったのかもしれない。
剣士の振るった剣がルピスの腕にぶつかると、粘土細工のように剣が崩れていったのだ。
しかし、その衝撃までは逃せなかったようで、ルピスの体が地面を転がる。
隙だらけとなったルピスであったが、そこに追撃はなかった。
なんとか立ち上がり、剣士に視線を送る。
その視線の先で、剣士は柄と僅かばかりの刀身を残すだけになった自身の剣を呆然と見つめていた。
目と口を開けて固まっている剣士を見て、
――うまくいった……!
それは賭けであった。
魔法というものが光を体内に取り込み、取り込んだ光を己がものとして行使するのであれば、光に直接体へ入ってもらえばいい。
ルピスの願いを聞き取った光はこぞってルピスの腕へと入り込み、反対に剣士の手にした剣へと宿っていた光は、どこかへと飛んでいってしまった。
光――妖精たちを体内に取り込むという賭け。
効果があるのかも、成功するかもわからない。
それでも、信じた。この瞳に映る妖精を。そして、なにより自分自身を。
その賭けに勝ったのだ。
剣士の男は目に見えて戦意を失っていた。剣士の命とでもいうべき剣を失ったのだ。
中級冒険者にまで上り詰めた実力者だ。剣を用いない戦闘の術も熟知しているだろう。
だが、行動に起こさない。起こせない。戦闘中にもかかわらず立ち尽くすのみ。
「無茶しやがって……」
チラッと一瞬だけアセビに視線を送ると、彼女は腕を組みながら苦笑いを零していた。
勝利の代償がないわけではなかった。
倦怠感と頭痛がルピスへと降りかかる。それでも今は戦意が勝る。
目の前では剣士の危機を察してか、それまで後ろで控えていた彼の仲間たちが動き出した。
重戦士。弓兵。盗賊。あの日のルピスの恐怖が形になって迫ってくる。
――いくよ?
今度はお願いしなかった。
この場にいる彼らとはもう心を通わせたから。
体内に彼らを取り込んだ影響か、以前よりもはるかに光が鮮明にみえた。
迫りくる冒険者たち。
彼らを前にしても、もう少しも心配はしていなかった。
地面から突如、轟音と共に人ほどの大きな土の棒が飛び出して来たかともうと、次々と冒険者たちが跳ね上げた。
それを逃れた後続の冒険者たちが目の前の惨状に驚き、屋敷の壁まで下がると、今度は壁から棒が生えてきて背後から冒険者たちを吹き飛ばす。
冒険者たちも負けてはいない。
「<火球>!」
「<水弾>!」
「<雷掌>!」
「<風刃>!」
口々に魔法を唱えると、視界に世界が鮮やかに色づく。
赤、青、黄、緑。ここが戦場でもなければ目を奪われてしまいそうな美しい光たち。
冒険者たちの光が四方からルピスへと降り注ぐ。
しかし、ルピスは動じない。
次々と迫る光たちに恐れることなく手を伸ばす。
その小さな手が触れた瞬間。魔法はまるでそれ自体が幻影であったかのようにふっとその姿を消した。
火も、水も、雷も、風も。誰もルピスを傷つけない。
その瞳に映る世界は幻想的であった。
ルピスは光に包まれていた。
「なんだよ、それ……」
ルピスを見つめる瞳に映るのは、絶望であった。
倒れていた弓兵が身を起こすと、
「ま、魔法がダメなら物理で……ッ!」
手にした獲物を素早く構え、ルピスへと凶弾を放った。
真っ直ぐに放たれた凶弾。
中級冒険者というだけあって、その狙いは正確であった。
矢じりこそ潰されていたが、頭にでも直撃すれば戦闘不能に追い込まれることだろう。
しかし、それが届くことはない。
凶弾がルピスの体に触れる直前。放たれた凶弾は宙でピタリと静止した。
驚愕に顎を落とす弓兵。
それどころか、ぐぐぐ、と宙で止まった矢がしなったか思うと、今度は一直線に弓兵へと時間が戻っていく。それはルピスに向かうときと比べても、より速い速度で。
戻ってきた矢に額を打ち抜かれた弓兵は、もんどりうって倒れると意識を失ったようで、起き上がることはなかった。
ルピスの瞳だけがその理由を知っていた。
緑の光だ。緑の光たちがルピスを守る壁のように矢を留めてみせたのだ。そして、友を傷つけようとしたお返しとばかりに、飛来したとき以上の速度で送り返したのだ。
世界がルピスの味方をしていた。
立て続けに見せられた奇跡のような所業に、冒険者たちはすっかりと戦意を失っていた。
冒険者たちはすぐに自然に呑まれていく。残った者も逃げ出す始末。
もはやルピスの前に立ち塞がる者はいない。
アセビへと振り返ると、
《行こう……!》
屋敷の敷地へ向けて足を踏み出したルピスの前に立ち塞がる者はいなかった。




