第九話 ピンク色の贈りもの
発熱から二日後。キリアン様はすっかり元気になられた。毎日手を握って差し上げたことが、少しでも役に立っていたならいいなと思う。
「クリスティーヌ様。旦那様がお呼びです」
「あら? 旦那様が? 珍しいわね」
昼食を終えたあと自室で読書をしていた私に、アンヌから声がかかった。そういえばキリアン様は朝から忙しそうにされていた。何かあったのだろうか。
「旦那様はどちらに?」
「私が案内いたします」
「あら? 一人で行けるわよ?」
「旦那様からのご指示ですので」
不思議な指示があったものだ。それになんだかアンヌの機嫌が良さそうに見える。とりあえず、言われたままに彼女について行く。一階に降りて、廊下を通って、連れて行かれたのは中庭だった。
「来てくれたか」
眉間にしわを寄せたままだが、ほっとしたような顔のキリアン様が出迎えてくれた。
「どうしたんですか、旦那様?」
「実は、君に見てほしいものがあって」
キリアン様がその場で一歩横に動く。そして手のひらで示した先には、色とりどりのピンク色の花で溢れ返っていた。
「まあ! 私の瞳の色ですわね!」
「……庭に君の色を咲かせたくて植え替えたんだ。ここなら、私たちの寝室からでも見える」
「素敵です……! こんなたくさんのピンク色のお花を見たことがありません!」
「喜んでくれたみたいで良かった……。それから、これを君に」
キリアン様が私に近づいてくる。そして背後から花束を取り出した。
「君に似合うと思って。それと看病してくれたお礼に……」
「綺麗……!」
ピンク色のジニアの花束を持つキリアン様の指先は、少し土で汚れていた。
花束を受け取ってキリアン様の顔を見る。眉は吊り上がっているが、目元が赤くなっている。今なら分かる。これは照れているときの表情だ。
「私のために……。ありがとうございます、旦那様」
それ以外に言葉が見つからない。花束に顔を近づけて、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。ハーブのような爽やかな香りが肺を満たす。
「こんな素敵な贈りものをいただけるなんて、想像もしていませんでし――」
改めてキリアン様の方を見て、思わず言葉が止まった。だってキリアン様が。あのキリアン様が、私を見てやわらかく微笑んでいらっしゃったから。
途端に目が合ったことが恥ずかしくなる。顔を隠すように花束を抱え直した。
「……どうかしたのか?」
「い、いいえ! 旦那様のお顔が眩しいなんてそんなことは――」
「私の顔が眩しいのか?」
「はっ! うっかり口に出してしまいました……!」
私の戸惑う様子がおかしかったのか、キリアン様が小さく声を上げて笑う。ゴールドの瞳が優しく細くなって、口角が上がっている。私の鼓動が、またうるさく鳴り出した。
「もっと君が喜ぶものを教えてほしい」
「え?」
「君にはたくさんのものをもらっているから、少しでもお返しがしたいんだ」
「そんな……私は何も……」
「……ああ、そうだ」
キリアン様が思いついたように咳払いをする。何事かと思って視線を上げれば、ためらうように視線を左右にさまよわせているキリアン様の顔があった。
「ええっと、なんだ。その……クリスティーヌ、と呼んでもいいか?」
名前を呼ばれただけなのに、全身にぶわっと鳥肌が立った。私の体は、一体どうしてしまったのだろうか。
「も、もちろんですわ! うれしいです!」
「……良かった。私のこともキリアンと呼んでほしい」
「キ、キリアン、様……」
「ああ」
名前を呼んだだけなのに、なぜかもどかしい気持ちになる。それでもキリアン様がうれしそうに笑うから、これでいいのだと思った。
「……クリスティーヌ、一緒に庭を歩かないか?」
「ええ、よろこんで」
キリアン様の手が差し出される。私はためらいなく、その手を取った。
ピンク色で囲まれた小道を、二人で手をつなぎながら歩く。胸が穏やかな気持ちでいっぱいになった。
そう、私は、こんな温かな夫婦になりたかったのだ。
隣を見上げれば、すぐに視線に気づいてキリアン様が目を合わせてくれる。眉は吊り上がったままだけれど、目尻はやさしく細められている。
――キリアン様と、一緒に幸せになりたい。
つないだ手をぎゅっと握れば、同じ力強さで握り返された。




