第八話 熱に浮かされる心
結婚式から二週間。私たちは毎晩一緒に眠った。夜になると子フェンリルになってしまうキリアン様は、すっかり私のブラッシングを気に入ってくださったようだ。
「旦那様、おはようございます」
「ん、おはよう……もう朝か」
朝になると必ずキリアン様に抱きしめられた状態で目覚める。いまだにキリアン様は顔を赤らめる。しかし今朝は、その赤さがいつもと違っている気がした。
「旦那様? お顔がいつもより赤い気がします。もしやお加減がすぐれませんか?」
「……いや、大丈夫だ。朝食に行こう」
キリアン様がベッドから立ち上がる。いつもより動作が緩慢な気がする。私は呼び鈴でアンヌを呼んだ。
「おはようございます、クリスティーヌ様」
「おはよう、アンヌ。朝の準備をお願い」
「かしこまりました」
「それから――」
「キリアン様の様子を見ておいて」と、アンヌにキリアン様の従者への伝言を頼んだ。……何事もなければいいけど。
朝の準備を終えて食堂に向かうと、既にお義父様とお義母様がいらっしゃった。朝の挨拶を交わす。席に着いた私たちに、一番に声をかけたのはお義母様だった。
「キリアン、あなた……随分と顔が赤いわね?」
「……そう、でしょうか?」
「体調が悪いのかい? 朝食は食べられそうか?」
「父上も母上も心配しすぎです。はやく食事を始めましょう」
ぎゅっと顔をしかめてキリアン様は朝食を促す。なんとなくいつもよりお顔が険しい気がする。
朝食を食べ始めたものの、キリアン様はほとんど食事に手をつけていない。やはりこれはおかしい。マナー違反を承知で、私は椅子から立ち上がった。
「ど、どうした?」
ずいっと近づいた私に、キリアン様が目を白黒させる。私はそんなキリアン様のお顔を両手でむぎゅっと挟み込んだ。
「……!?」
手のひらに伝わる体温はいつもより高い。額をコツンと合わせれば、こちらまで焼けそうなほど熱かった。
「旦那様! やっぱり熱があります!」
「それは……っ」
「アンヌ! すぐにみんなでキリアン様を夫婦の寝室に運んでちょうだい!」
「まだ政務が――」
「旦那様? 私の部屋に運ばれるか、夫婦の寝室に運ばれるか、どちらがご希望ですか?」
「ど、どちらもダメだ! 君に熱がうつったらどうする!?」
「分かりました。では旦那様のお部屋ですね。――アンヌ、お願い」
キリアン様が何かを訴えるようにこちらを見る。しかめ面をしているが怖くなどない。駄々をこねる子どもにしか見えないのだから。
「もう、キリアンったら。すぐに無理をしようとするんだから」
使用人たちに部屋へ連行されるキリアン様を見送りながら、お義母様が呆れたようにため息をついた。
「慣れないことをしていたからじゃないか? ここ数日、ずっと庭師と――」
「ルイ!」
何かを言いかけたお義父様を、お義母様が呼び止める。不思議に思って首を傾げれば、「なんでもないのよ」とお義母様は笑った。
「旦那様、熱が上がってないといいけど……」
「クリスティーヌ。朝食が終わったら、あの子の様子を見てきてくれるかしら?」
「もちろんです。心配ですもの」
朝食を終えて、キリアン様の部屋へと向かう。ベッドに横たわっているキリアン様の額には汗が滲み、乱れた呼吸を繰り返していた。
いつもなら眉間に深いしわを刻んでいる顔が、今は苦しげに歪んでいる。こんなキリアン様を見るのは初めてだった。
「キリアン様、随分とお辛そう……。はやく元気になっていただきたいわ」
「横になられた途端、熱が上がったようでして……」
「私が見るわ。代わってちょうだい」
従者を下がらせてから、キリアン様の額に乗せられたリネンの布を手に取る。すっかりぬるくなったそれを、サイドテーブルに置かれたたらいの中に浸した。
「まあ、氷だわ」
急いで準備したにも関わらず、たらいには氷水が用意されていた。布を固く絞ってキリアン様の額に乗せる。冷たさに驚いたのか、キリアン様が小さく身動ぎをした。
「旦那様……はやく良くなってくださいね」
ふと、キリアン様が薄目を開ける。熱に浮かされ、そのゴールドの瞳にはうっすら涙が滲んでいた。
「旦那様? 大丈夫ですか?」
「……体が、熱い……」
「随分と熱が高いようです。もう少ししたら、お医者様がいらっしゃいますからね」
キリアン様が口を開きかけてやめる。何か言いたいことがあるのかと思って、口元に耳を寄せた。
「どうかしましたか? 何かほしいものでもありますか?」
「……手を、」
「え?」
「手を……握っていてくれないか……?」
潤んでいるゴールドの瞳がいつもと違って見えて、思わず見入ってしまった。はっと我に返り、キリアン様の手を探す。熱くなった自分の頬を誤魔化すように、彼の手をぎゅっと握った。
「わ、私がお傍についております、旦那様」
「……ああ、安心する……」
そのままキリアン様は目を閉じてしまわれた。私の耳にはいつもより速い自分の鼓動が聞こえる。
なんだろう。いつも夜に甘えているキリアン様を見慣れているはずなのに、今は胸が苦しい。ぎゅっと締め付けられているのに、それでいて甘く疼いていて……。
「……私にも、熱がうつってしまったのかしら?」
そう呟いても、胸の鼓動は収まらない。つないでいる手が、ただただ熱かった。




