第十八話 夢見た家族
「キリアン、クリスティーヌ、大変だったね!」
「無事でよかったわ!」
キリアン様の手を借りてトールから降りると、お義父様とお義母様が駆け寄ってきた。本当はもう少しフォリの町に滞在する予定だったが、大公城に戻って体を休めるべきだとキリアン様が譲らなかったのだ。
「ご心配おかけしました、お義父様、お義母様」
「父上、母上、早くクリスティーヌを休ませたいのです。話はあとにしてもらえませんか?」
キリアン様の手が私の腰を抱く。その様子を見たお義父様とお義母様は、「おや」というように目を少し見開いた。
「ふむ。一大事ではあったけれど、旅行に行った甲斐はあったようだね」
お義父様がにやりと笑う。キリアン様はそっぽを向いてしまった。
「あの、キリアン様はこれからどうなさるのですか?」
「父に今回の件を詳細に報告して意見をもらおうと思う」
「お義父様に、ですか?」
「ああ。グルドガルド帝国との戦いに度々出征されていた人だからな。なにか知恵を借りられるかもしれないと思って」
「私も同席してもよろしいでしょうか?」
私の申し出に、キリアン様は目を見開いた。
「いいや、クリスティーヌは休むべきだ」
「でも、国のことなら、私も大公夫人として知っておきたいのです」
「しかしだな……」
「それにキリアン様の傍が一番休まるのです」
「なっ……!」
キリアン様のお顔が耳まで赤く染まった。わなわなと唇を震わせたあと、何か言いたげに口を開閉させる。しかし結局言葉が出てこなかったのか、キリアン様は困ったように眉を下げた。
「まったく……。クリスティーヌには適わない」
「それじゃあ!」
「ああ、同席してくれるか? だが疲れたらすぐに言うのだぞ?」
「はい! ありがとうございます!」
城に入って、キリアン様の執務室へと向かう。キリアン様の侍従がお茶を淹れてくれたところで、キリアン様は今回の件をお義父様に話した。
「グルドガルド帝国か……」
向かいに座るお義父様が、顎に手を当てて思案するように俯く。隣に座るキリアン様は、まっすぐにお義父様を見ていた。
「恐らくフェンリエ公国の狼騎士を見て真似るつもりなのだろう。森狼の能力の高さは、彼らは戦場で嫌というほど見てきただろうからね」
「……やはり父上もそうお考えですか」
お義父様の言葉に、キリアン様はぎゅっと拳を握った。
「今までの密猟もグルドガルド帝国が裏で糸を引いている可能性がありますね」
「そうだね。けれど森狼と絆を結べるのはフェンリエ公国の騎士だけだ。一体グルドガルド帝国は、どんな方法で森狼を従えるつもりなのだろうか……」
そのまま二人とも、黙り込んでしまった。密猟の件をグルドガルド帝国に公式に抗議しようにも、帝国が関わっていたという目に見える証拠が得られていないのだ。
――私が捕まったときに、何か証拠を掴めていたなら。そう思うと悔しかった。
「なんにせよ、今以上に森狼の森の警備を強化しなければならないな」
お義父様の言葉に、キリアン様が頷く。
「いっそ森の近くの国境に沿って、壁でも建てられればいいのですが……」
「……あの、一つよろしいですか?」
どうしても気になったことがあって、私は小さく手を上げてキリアン様に声をかけた。
「今回の事件で、連れ去られてしまった森狼はいるのでしょうか?」
「いや、ライアンからの報告では、野生の森狼たちの協力もあって未然に防げたそうだ。陽動していた者たち、密猟をしていた者たちのどちらも無事に捕らえている」
「そうでしたか。よかった……」
「けれどこれでグルドガルド帝国が諦めるとは思えないね」
キリアン様の言葉にほっと胸を撫でおろしたのも束の間、お義父様の言葉に心臓が跳ねた。
「また捕らわれてしまう子が出るのでしょうか……」
口輪をはめられ、太い鎖でつながれたキリアン様を思い出す。どの森狼にも、あんな窮屈な思いをさせたくないと思った。
「――クリスティーヌ、大丈夫だ」
私があまりにも不安そうにしていたせいだろうか。キリアン様が微笑む。そして膝に置かれた私の手をぎゅっと握ってくれた。
「密猟の黒幕が分かったのだ。森狼たちのことは必ず守る」
「キリアン様……」
力強い言葉に、自然と胸が軽くなる。微笑んで頷けば、向かい側からゴホンと咳払いが聞こえてきた。
「すっかり仲良くなったようだね。実に良いことだ」
視線を向ければ、お義父様がにやにやしながらこちらを見ていた。キリアン様は私から手を離し、睨みつけるようにお義父様を見る。
「そういえば父上。もう一つ報告が」
「なんだい?」
「この度、クリスティーヌのおかげで、無事に成獣になることができました」
「わあ! それはおめでたいね! 今夜は宴だなあ! オルタンスも喜ぶよ!」
「なっ、大げさなことはおやめください!」
グルドガルド帝国との問題はまだ解決していない。それでも今こうして、キリアン様が無事で笑っていてくれることが一番だった。
「僕はキリアンが成獣になったことをオルタンスにも伝えてくるよ!」
「あっ、父上!」
お義父様が勢いよく立ち上がる。キリアン様が伸ばした手は届かず、お義父様はそのまま執務室を出て行ってしまった。
「行ってしまわれましたね」
「まったくあの人は……はしゃぎすぎなのだ」
キリアン様は照れくさそうな顔をして頭を掻いた。口調は困ったようでも、本当は嬉しいのだろう。そんなキリアン様を見ていると、抱きしめたくなった。
「それほどキリアン様のことを想っていらっしゃるのです。微笑ましいですわ」
口元に手を当てて笑えば、キリアン様がその手を取った。そして優しくも力強く握ってくる。その表情は眉根を寄せていた。
「クリスティーヌ。もしかしたらこれから、グルドガルド帝国との戦いが始まるかもしれない」
「……はい」
握られた手を握り返し、私は真っ直ぐにキリアン様を見た。
「そのときは私も大公夫人としてできることをやります」
「頼もしいな。でも、怖くはないか?」
「……正直に言うと怖いです。でもキリアン様がいれば私は強くなれますから」
「クリスティーヌ……」
キリアン様がもう片方の手で私を引き寄せ、そっと抱きしめてくれる。私はその温度に甘えるように、キリアン様の肩口に顔を埋めた。
「君のことは私が守る」
「はい。私もキリアン様をお守りいたします」
抱きしめられた体が熱い。最初は政略結婚だと思っていたのに、今はこんなにも互いを想って抱きしめ合っている。
今の優しいお顔とは違う、結婚当初のキリアン様のしかめ面を思い出して、私は小さく笑った。
「クリスティーヌ?」
突然笑った私を不思議に思ったのか、体を離したキリアン様が首を傾げた。
「ふふ。初めてお会いしたときのことを思い出してしまって」
「……それは忘れてほしい思い出だな」
「『君が私を愛することはない』でしたっけ? 間違っていましたね」
「……勘弁してくれ、クリスティーヌ」
キリアン様が片手で顔を覆ってうなだれる。その耳は赤くなっていた。
「人の姿でもフェンリルの姿でも、キリアン様が愛しいことには変わりありませんわ」
顔を覆っている手をそっとはがして、キリアン様の額に口づけを落とす。キリアン様ははっとしたように顔を上げた。
「クリスティーヌ。今――」
キリアン様が何かを言いかけたとき、執務室の扉の向こうから小さな声が聞こえてきた。
「ああ、オルタンス。少しだけ。少しだけだから」
「こら、ルイ。見ちゃだめよ」
「ち、父上!!」
「わあ!」
キリアン様が立ち上がって、扉の方へ大きな声を出す。お義父様の慌てるような声がしたあと、走っていく音が聞こえた。
「まあ! お義父様ったら!」
――夢見たとおりの家族がここにいる。
クリスティーヌは今日一番の笑みを浮かべ、声を上げて笑った。




