第十七話 真実の愛
「クリスティーヌは私が守るんだ――!」
キリアン様の切実な叫びが聞こえた。その瞬間、キリアン様の体がむくむくと大きくなり、鎖が弾け飛ぶ。
「なんだ!?」
「うわあ!」
男たちは飛んできた鎖の欠片に身を怯ませる。そして目の前のキリアン様を見るなり、床に尻もちをついた。
「なっ、なっ」
「ひぃぃぃ!」
キリアン様はトールよりも大きい、成人が優に三人は乗れそうなほど巨大な成獣のフェンリルになっていた。
「――ちっ」
軍服の男は分が悪いと察したのか、舌打ちをして小屋を出て行く。
「キリアン様! 帝国人が逃げます!」
「クリスティーヌ、耳を塞げ!」
戸惑いなく両耳を塞いだ。その瞬間、地響きを伴うような咆哮が聞こえた。空気がビリビリと痺れ、耳を塞いでいても頭がクラクラする。目の前の男たちは泡を吹いて気絶していた。
「キリアン様……!」
咆哮の余韻が消えると同時に、キリアン様の胸元に抱き着く。ふわりとした毛並みと温かな体温に包まれた。
「よかった……! 連れて行かれなくてよかった……!」
「クリスティーヌ、危険な目に遭わせてすまなかった……」
キリアン様の体が徐々に小さくなっていく。小屋の外は夜が更けているにもかかわらず、キリアン様は人の姿になった。
「君を失わなくてよかった……!」
キリアン様がぎゅうっと私を抱きしめてくれる。その力強さが心地よくて、気づけば涙が止まらなくなっていた。
「クリスティーヌ……」
キリアン様が私の肩口に顔を埋める。私はキリアン様を抱きしめる腕に力を込めた。
「……あーっと、クリスティーヌ」
少し間を開けて聞こえてきたのは、戸惑ったような声。どうかしたのかと顔を上げてキリアン様を見れば、彼は顔を赤くして視線を左右にさまよわせていた。
「その、私は今、裸なんだ……。見ないようにしてくれるか?」
「……!!」
私の顔がボッと音を立てたのが分かった。そのとき地面が揺れるような音がして、森狼たちの荒い息遣いが聞こえてきた。
「大公閣下! 公妃様!」
これはライアン卿の声だ。ライアン卿たちが助けに来てくれたんだわ!
「閣下! ご無事ですか!? 遅れて申し訳ありません!」
小屋にライアン卿とローラ卿が駆けつけてくる。ローラ卿は無言で私たちに近寄ると、それぞれにブランケットを肩にかけてくれた。
「ライアン、今すぐ兵を散らせ。グルドガルド帝国の軍人が近くにいるはずだ」
「はっ」
ライアン卿がすぐに踵を返す。小屋の前で待機させているらしい騎士たちに指示を下している声が聞こえた。
「私たちが公妃様のお傍を離れなければ……申し訳ありませんでした。いかような罰でも受けます」
ローラ卿が床に膝をつき、頭を下げる。私はそんな彼女の肩に手を置いた。
「ローラ卿たちのせいではないわ。あれは私の判断ミスだったの。心配かけてごめんなさい」
「公妃様……」
「さあ、立ってちょうだい、ローラ卿」
「……ありがとうございます」
ローラ卿の手を取って立ち上がらせる。そのとき唸り声が聞こえて、小屋の入口からトールが顔を覗かせていた。
「グルル……」
「トール、心配かけたな」
「トールも私たちを探してくれたのね、ありがとう」
キリアン様と小屋の外に出てトールと向かい合う。トールは心配そうに鼻先を私の腕にこすりつけた。
「大丈夫よ、トール。キリアン様が守ってくれたわ」
――本当にキリアン様を失わなくてよかった。
トールを撫でるキリアン様を見て、心からそう安堵した。
ライアン卿にグルドガルド帝国の軍人の捜索を任せて、私たちはローラ卿とともにフォリの町へと戻った。
「ああ……! クリスティーヌ様!」
涙を流しながら私を抱きしめるアンヌ。どれほど彼女に心配をかけたのか、痛いほど伝わってきた。
「ライアン卿たちに伝えてくれたのね。ありがとう、アンヌ。心配をかけてごめんなさい」
「心臓が止まるかと思いましたよ! でもご無事で本当によかった……!」
過保護なまでに私の傍を離れようとしないアンヌに手伝われ、ゆっくり湯浴みをする。今日は一歩も外に出てはならないと言われる始末だった。
キリアン様は後始末で忙しくされている。ライアン卿たちが素早く捜索したが、グルドガルド帝国の軍人を捕らえることはできなかったそうだ。
――そして夜。
「こうして人の姿で夜を迎えられるなんて夢みたいだ……」
寝室のベッドの上に座りながら、キリアン様はご自分の両手をまじまじと眺めながら感慨深げに息を吐いた。
「これも全部君のおかげだ。ありがとう、クリスティーヌ」
「もう子フェンリルの姿を見られないなんて、少し寂しいです」
「えっ。……その、大きいフェンリルでは嫌か?」
キリアン様が眉を下げ、自信なさげに尋ねてくる。その姿が子フェンリルの姿と重なって、思わず笑みが零れた。
「いいえ、どんな姿でも好きですわ」
「よかった……!」
キリアン様の顔が近づいてきて、額に口づけが落ちた。
「……なぜ額なのですか?」
正直に言うと、少し物足りない気持ちだった。
「いつか父上が言っていたのだ。額への口づけは深い愛情を示すのだと」
「まあ」
そう言われて思い出したのは結婚式の誓いの口づけだった。あの日から、たしかにキリアン様は私を愛してくれていたのだ。そう思うと、胸が熱くなった。
「ク、クリスティーヌ? なぜ泣くのだ? 口づけが嫌だったのか?」
見て分かるほど、キリアン様がおろおろしている。その手は、私の涙を拭っていいのかどうか、躊躇っているようにも見えた。
「……いいえ。キリアン様の愛情を感じて感極まっただけですわ」
「私の気持ちが伝わっているのか?」
「ええ、とても」
キリアン様の手が伸びてきて、そのまま腕の中に閉じ込められる。ドクンドクンと、キリアン様の鼓動は少し速かった。
「ああ、クリスティーヌ。やっと言える。私は君を愛している」
「私もです、キリアン様。これからも一緒に生きていきたいです」
「――クリスティーヌ」
ゴールドの瞳と視線が交わる。ゆらゆらと熱っぽく揺れる瞳に吸い込まれそうだ。
そっと顔を寄せ合って口づけを交わす。これ以上の幸せはないと思えるほど、満ち足りた瞬間だった。




