忘却の雨
木漏れ日の落ちてくる光はノヴァの上にも降り注ぐ。髪は光に当てられたところからシルクのように輝き、長いまつ毛から覗く瞳はキラキラと宝石のように透き通っていた。
キリが魚を追いかけてバシャバシャと飛び跳ねる音が、少し離れたところから聞こえる。
ノヴァは船べりを背にもたれ掛かり、カバンから一冊の本を取り出すと、パラパラとめくり写真の挟んであったところで手を止めた。
そこにはノヴァに似た小さな赤子を腕に抱き、愛おしそうに見つめ微笑む女性の姿があった。
ノヴァに幼い日の記憶はない。
浅くなった湿地に差し掛かったところで、ノヴァを乗せた船は止まった。
この湿地で取れる黒い大きな貝はキリの好物の一つだった。
「キリ、ここは俺たちが初めて出会った場所だ」
「キュ?」
ーーー群れからはぐれたキリは、まだ魚もうまく取ることができない雛鳥でひどく弱ってた。
”お前、ここに置いていかれたのか?”
ノヴァは網からいくつか貝を取り出し、腰にしていた小刀で開くとキリの口元へと運んでやった。
キリは腹を空かせていたが、警戒してすぐに食べようとはしない。ノヴァがその貝を目の前で開き、食べて見せてやると、その姿をしばらくの間見守り、痺れを切らしたキリは目前に置かれた貝に勢いよく喰らいついた。
”たくさんあるから。好きなだけお食べ”
ノヴァは、キリが自分の手から次々と貝を食べるのが嬉しかった。
次の日も、その次の日も、キリはその場所にいた。
”どうして南へ渡らないんだ?”
ノヴァはキリを観察しながら独り言のように呟く。怪我をしている様子はない。
”お前、帰る場所が思い出せないのか?”
そう問いかけた彼も、この場所からずっと離れられずにいた。
覚えていること何一つない。あるのは1枚の写真だけ。そこに写る女性は、自分のことを探しているかもしれない。そんな淡い期待を胸に、ずっと待ち続けていた。
降り続く雨は、記憶とともに深い水底に沈んでゆく。
はるか古代の記憶から、誰にも語られなくなった歴史がそこに眠る。
ーーー




