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 どれくらい、その場にいただろう。眠っているかのように穏やかな青年の顔を、俺はじっと見つめていた。


 傷口はもう『痛い』ではなく『熱い』に変わっていたが、降りしきる雨の冷たさがちょうどよかった。もしかすると、俺ももうダメなのかもしれない。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、誰かが階段を上ってくる音がしてふと我に返る。このタイミングは、きっと――。


「――ゼレイドっ!!」


 ばたんと乱暴に扉を開けたのは、やはり兄だった。急いでこの屋上まで駆け上がって来たのだろう、肩で息をしながらこちらを睨みつけている。


 その怒っているような、それでいて恐れているような表情は、俺を撃ったあの日見せたものによく似ていた。


「……慌てるなよ」


 俺は目を閉じて、苦笑交じりに呟く。


 はっと息を呑む気配が伝わってきた。そういえば、俺は彼に無表情以外の顔を見せたことがなかったかもしれない。


「――いや。そんなことよりも……っ」


「死んだよ」


 彼が聞きたかったであろうことを、先回りして答える。


「……は?」


「ヴィスタは、死んだ」


 目の前の彼にではなく、自分に言い聞かせるように。


 なるべく感情を声に乗せないように淡々と言ったはずなのに、雨ではない熱い雫が頬を伝ったような気がした。


「あいつは――、死んだんだ……っ!」


 なおも呆然と立ち尽くす兄に、俺は堪えきれなくなって怒鳴った。


「俺が、殺したんだよ……っ‼」


 気圧されたように一歩下がる彼。「嘘だろ」と、小さな声が雨音に紛れて聞こえてきた。


「嘘じゃ、ないさ」


 震える指で、もう動かない――冷たい青年を指差す。そちらに視線をやった兄は、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。


「なあ……オレのせいなのか? オレが、殺したのか? 『頼む』って、『オレにはできなかったから』って。そう、言ったせいなのか……?」


 そのあまりの取り乱しように、今度は俺が驚いた。俺が知る兄は、とことん自己中心的で、我が身が一番可愛くて、他人がどうなろうと気にしない奴だったはずだ。


「……俺を、殺しに来たんだと思ってたのに」


 だから、そう思っていた。けれど、まさか。


「急に、通信が切れたんだ。丁度雨が降ってきた辺りで。『ありがとう』って声が聞こえて、それっきりだった」


 彼は、〝ヴィスタのために〟ここに来たと言うのか。


「『まさか』と思ったが――そう、か。オレは……あいつを、殺したのか」


 ヴィスタは、それがわかっていて……俺に、あんな言葉を託したと言うのか。


「……あいつが、お前に伝えてほしいって。『別にお前のせいじゃない。ただ少し巡り合わせが悪かった。それだけだから、気にしないでほしい』、って」


 兄は俯いたまま答えない。気まずい沈黙に、気休めにもならない言葉が零れる。


「通信してたなら、自分の口から……言えばよかったのにな」


 返事はない。彼はただ、魂が抜け落ちてしまったかのように放心していた。その目尻で、何かが光った気がした。


「お前は。――もう、〝ゼレイド〟じゃないんだな。あの、空っぽだったあいつは、もういないんだな」


 しばらくの沈黙の後返ってきたのは、全く脈絡のない言葉。


「オレがやったことは何だったんだろうな。杞憂で親友を殺して、挙句の果てに理由まで見失って。オレは――何が、したかったんだろうな」


「ヴィスタは死んだ。もう、戻ってこない。……けど、お前がそう思うなら、あいつも報われるんじゃねぇか」


 それが――兄を止めることが、青年が自らの命と引き換えに望んだささやかな見返りなのだから。


 不思議と、彼を責める気にはならない。俺を陥れたことも、ヴィスタを殺す原因を作ったことも。両方、俺にだって責任の一端はあるのだ。


 ――さて。


 大きく息を吐いて、ゆらりと立ち上がる。


 ヴィスタの言葉は確かに伝えた。まだここで感傷に浸っていたいのはやまやまだが、俺には為すべきことが残っている。



 俺を待っている人のところに、帰らなくてはいけない。



 視界の端はブラックアウトして、眩暈が酷く足元はおぼつかない。血を流しすぎたからか力を使いすぎたからかわからないが、増幅(ブースト)はもうとっくのとうに切れている。それでも、帰らなくてはいけない。


「おい、待っ……どこ行くんだよ、そんな身体で」


 非常階段の扉を開けると、兄の焦ったような声が聞こえてきた。


 振り向くことすら億劫で、その場に立ち止まって素気なく答える。


「俺には……帰る場所が、あるから」


 ――今倒れてしまったら、もう二度と目が覚めないかもしれないから。


 錆びたドアの軋みながら閉まる音が、やけに大きく響いた。それでも俺は、もう振り返らない。

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