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「おはようございます」


 紫音さんの声に、ぱちぱちと瞬きしながら答える。


「あれ、もう終わったんですか」


 起き上がって、きょろきょろと辺りを見回す。


 あの後啓さんに連れられて入った部屋は、研究所にあるという点を除けば手術室と言うべき場所だった。何が始まるかと待っていれば、右目を紫色にした――自らの星彩(スターライト)を発動した紫音さんに息がかかるかという距離で真っ直ぐ見つめられて……そう、確かそのまま意識を失ったのだ。


 あれから、数秒と経っていないような気がした。


「うん、ちゃんと成功したわよ」


 紫音さんが鏡を向けてきたので、映った顔をまじまじと見つめた。コンタクトを付けている感覚がないのに右目が黒いのは、少し変な気分だった。


 鏡を畳む紫音さんの、今は共に緑色の両目をじっと見る。そういえば、俺の記憶を消したのも彼女の能力だと言っていたっけ。だとしたら彼女の星彩(スターライト)の性質は、


「精神干渉系、ですか?」


「あら、よくわかったじゃない。ご褒美あげたいところだけど、さっき啓にも怒られちゃったしまた今度ね」


 なんだか嫌な予感がしたので、後ででも必要ないと丁重にお断りしてから、立ち上がって伸びをした。特に変わったような気は――いや。


「気がついた?」


 首を傾げる俺に、紫音さんが問いかける。


「何か……うまく言えないけど、気持ち悪い感じです」


 今までと違うというのはわかるのだが、言葉にするのは難しい。不快、とまではいかなくてもなんとなく気持ち悪いような感覚だった。


「最初はみんなそうだから大丈夫よ。首の後ろの辺りと、そこから循環する〝流れ〟みたいなイメージを持って。氷雅はセンスあると思うからそれですぐ慣れるはず」


 紫音さんの言葉に従って、首と後頭部の中間に手を当ててみる。彼女の話によると、この辺りにメインとなるチップが入っているらしい。目を閉じて数秒集中すれば、〝流れ〟の感覚が掴めてきたような気がした。


「ん、なんとなくわかったと思います」


「よろしい。ならば君に、その力を解き放つ禁呪(コマンド)を教えてあげよう」


 芝居がかった言い回しで一瞬惑わされたが、おそらく凪が言っていた『増幅(ブースト):○○』のことだろう。すっかり頭から抜け落ちていた。あの中二病じみたセリフを俺も言わなくてはいけないのかと考えると、正直気が重い。


 顔をしかめる俺をよそに、紫音さんは大仰に咳払いをして自信満々といった顔で宣言した。


「氷雅の星彩(スターライト)は……『凍結彗星(フリージングシューター)』です」


「……いや。なんで彗星をシューターって読むんですか。シューティングスターは流星でしょうが」


 余程酷くない限り黙っていようと思っていた俺の決意は、呆気なく散る。


「だってコメットって響きが好きじゃないんだもん! 嫌でーす!! だって流星も物によるけど彗星が撒き散らした岩石の欠片なのよ! 別にいいじゃないのよ!」


「なら素直に流星(シューター)にすればよかったじゃないですか……」


「……もう公式登録しちゃったしっ。変えられないしっ」


 まるで幼い子供のように駄々をこねる紫音さんに、俺はため息を吐くしかなかった。この人にいつも付き合わされている啓さんも、中々苦労人だ。


「言わないっていう選択肢は?」


 彼女の意思を変えさせるのは無理そうだ、と早々に見切りを付けた俺が冷めた視線を投げかけながら問うと、紫音さんはますます頬を膨らませた。


「ダ・メ・で・す。声に出すことで切り替えを身体に覚えさせて、スムーズにするって意味がちゃーんとあるんだから。そこは譲れません」


 何も考えずにやらせてたわけじゃないんですね、とはさすがに言えなかった。


「今失礼なこと考えてたでしょ……って違うのよ、こんなことしてる暇ないの。今回は話そらしたの氷雅なんだから!」


「すいません」


 素直に謝る。紫音さんはそれ以上追及せずに、その雰囲気をがらりと真面目なものに変えた。


「ま、今ので緊張もほぐれたでしょ。その他必要な情報は全部チップに入ってるから自分の(データ)に訊ねなさい。元々氷雅は身体のスペックも高いし、センスも経験も申し分ない。強いて言えば1年のブランクは気になるけど、動いてればきっとすぐ思い出す。そうね、あと伝えたいことは……」


 確かに緊張はほぐれたが、それも全て計算尽くの発言だったのだろうか。普段の態度は不真面目な癖に、そういうところがあるからこの人はよくわからない。それでいて何故か信頼できるのは、本人の人徳が為せる技なんだろうか。


 俺がそんなことを考えていることも知らず顎に手を当てて唸っていた紫音さんは、「あっ」と手を叩いた。


〈そう、これ忘れてたんだった。聞こえる?〉


 次の瞬間、突然頭の中に直接声が響いて、俺は思わず椅子の上で飛び跳ねた。


「今の、なんですか」


 多分紫音さんの声だったと思う。しかし、目の前で耳に手を当てている彼女の口は、全く動いていない。またただ音声が流れるのとは少しばかり違う感覚で、一番近いのは……自分で考え事をしているとき言葉になっている部分、だろうか。明確に言葉になってはいるのだが、最初と最後にタイムラグがないような感じ。


星彩(スターライト)間の通信? とりあえず真似してやってごらんなさい、ほら〉


「信用した俺が馬鹿だったって言われたら何も言い返せないんですけど……紫音さん、説明不足だってよく言われません? 本当にこれ普通の生活送れるんですか?」


 大丈夫だいじょーぶ、と安請け合いする紫音さんにわざとらしくため息をついて、見えないイヤホンを押さえているような彼女の動作を真似してみる。やろうと思えば、やり方は自然にわかった。


〈あ、あー。うわ、自分でやるとさらに気持ち悪い……これ、距離制限とかあるんですか?〉


〈はい、合格ね。基本的にはこの街の中なら届くくらいの範囲はカバーしてるわ。だから何かあったら連絡ちょうだい、他の子にも繋がるし〉


 満足げに笑って、紫音さんは耳から手を外す。


「うん、今私から言えることは多分これで全部。何か質問は?」


 大丈夫です、と。そう答えようとして、俺は言葉に詰まった。


 その一言で、もう後戻りできない戦いが本当に始まってしまうような気がした。後戻りできない、という意味ではもうとっくに一線は越えてしまっているのだが、ならどうしてそう思うのか。何か、自身でも気がついていない心残りがあるのだろうか。


『あの、紫音。少しいいですか。氷雅さんに、お話が』


 声を出そうと吸ったはずの息をただ吐き出した俺に、遠慮がちに言葉を掛けたのはジュリーだった。

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