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「はぁ……っ、――はぁ、」


 相手が1人で俺が防戦と足止めに徹していたおかげか、俺は〝緑〟となんとか互角と言えるレベルでやり合っていた。


 期待に違わず、彼女は強い。楽しくて仕方がない、この時間がずっと続けばいいのに。

 銃撃の手を止め、荒い息を吐く。


 これは戦い始めてからわかったことだが、お互いがお互いの弾を見切れるほどの能力を持っていると戦闘の間合いが極めて近くなる――自分の戦闘スタイルと合っていて、俺にとってはありがたかった。


 そんなわけで表情が確認できるほど近くにいる〝緑〟も、急に動きを止めた俺を警戒してか撃つのをやめた。が、別に俺にはそんな目論みがあるわけではない。


 手の甲で鼻の下を拭うと、べったりと血が付く。思ったよりも早いが、副作用が明確に出始めたらしい。意識した途端、視界がくらりと揺れて頭がガンガンと痛み始めた。身体能力の向上自体は切れていないものの、これではもう先ほどまでのようには戦えないだろう。


 つまり、時間切れだ。お互い手傷は負っているが、決着がつくほどではない。しかし俺の弾薬には限りがあり、原理は不明ながら〝緑〟の光学兵器には補給が必要ない。薬が切れるのが先か、弾が尽きるのが先か。いずれにせよ時間の問題だった。


 しかし、それでも俺はまだ動ける。違法・脱法系薬物につきものの幻覚も、幸いにしてこの薬にはないらしい。


 であれば、問題ない。やるべきことは、ギリギリまで粘って最後の1発で自決するだけだ。


 拭ってもなお垂れてくる鼻血が、ビルの床にぽたりと落ちた。


 まさか、というような顔をした〝緑〟に、俺は笑いながら言った。


「敵の身がそんなに大事かよ?」


 もう少し長く『まともに』戦えたらよかったのに。狂おしいような、駆り立てられるような気持ちはまだ俺の心を焦がしているが、冷静に考えて今の俺には勝ち目がないことくらいわかる。


 さて、具体的にどうするか。


 しかし次の瞬間、〝緑〟の後方、数ブロック先――おそらく、薬の感覚増幅のおかげで辛うじて見えている――に予想外の人物を見つけて思考が止まった。ハイになっていた気分も少しだけ冷めてしまう。どうして、あいつがこんな所にいる。


 俺の言葉に言い返せず黙り込んでいる〝緑〟には、まだ気づかれている様子はなかった。


 あいつは、何をしに来たんだ。本来の領分とは違う場所にわざわざ出てくるくらいだから、あいつに限って無策ということはないだろう。しかしあいつに策があったところで、おそらく通信機を持っていないので俺には伝わらない。


 向かって左側を指差す彼の口元にじっと目を凝らす。


『合流するぞ』


 落ち着いて話がしたい、ということか。目の前の〝緑〟をこの状態で撒いてこいとは、わかってはいたが中々に無茶を言う奴だ。


 不敵な笑みはそのままに、俺はわざとらしくため息をついた。俺の質問に対する〝緑〟の沈黙に答えるように言う。


「……なら、仕方ないな。俺は自愛してさっさと逃げることにしよう。もう邪魔はしねぇから、死にかけの薬中に構ってねぇであっちの連中を追いかければ?」


 こう言ってしまえば、おそらく〝緑〟には俺を追いかける理由はなくなってしまうだろう。放っておいても死ぬ1人と、今まさに逃げおおせようとしている7人。どちらを追うべきかなんて、言うまでもない。これでもし俺がピンピンしていたら、何かしようとしているのではないかと疑う余地はあるかもしれないが。


 戸惑うような顔をしたまま止まってしまった彼女に背を向け、屋上の塀を乗り越えた。


 〝緑〟が追ってくるような気配はない。


 疑われなかったのはありがたいが、それにしてもあいつはこの状態の俺に何をさせる気なんだろう。


 しばらく進んでから振り返ると、俺が通った場所には点々と血が垂れていた。やろうと思えば追うのは容易だろうが、その気なら彼女はもう来ているから、多分問題ない。


 2、3ブロック先の屋上で、辺りを見回した。あいつには俺みたいなショートカットはできないだろうから、俺から出向いた方が効率がいい。


 全てのものが二重三重にブレて見える中で、辛うじて俺の目がその姿を捉えた。


 あと少し、と重い体に鞭打ってそこまで〝跳ぶ〟。さすがに軽やかに着地とはいかなくて、前に転がって衝撃を殺した俺はそのまま床に身を投げた。


「……何か、考えがあってのことだろうな、参謀様。――兄さんって、呼んだ方がいいか?」


 寝転がったまま聞くと、そいつ――俺と瓜二つの彼は、不機嫌そうに答えた。


「考えはある。が、お前に兄さんだなんて呼ばれると反吐が出るな」


 いくら血縁があるとはいえ、普段はほぼ会うこともない仲。それでも、誰が見たところで双子の兄弟だとわかってしまうのは皮肉と言うべきか。


「〝緑〟はあっちに行った。何かする気なら……早くしねぇと、今のあいつらじゃ撤退が間に合わねぇよ」


 それに、俺が本当に動けなくなるまでの時間もあとわずかだろう。わざわざ〝緑〟の足止めをやめておいて、何もできませんでしたでは洒落にならない。戦犯どころか裏切り者と言われても文句は言えない ――兄ではなく、俺が。


 息も絶え絶えにそう告げる俺に、彼はなお不機嫌そうな顔でさっさと立てと言った。本当に人使いの荒い奴だ、この参謀様は。


「で……何する気なんだよ、聞かせてもらおうか――ごほっ」


 もうほとんど力の入らない足で立ち上がりながら言う。


 口元を押さえた指の隙間から、血が滴った。俺の肌が冷たいのか、血が熱いのか、どちらだろうか。真っ赤な液体は火傷しそうなほどに熱かった。


 しかし、彼は俺の問いかけに答えない。不審に思った俺が顔を上げると、満足そうに歪められた口元が見えた。


「さすが、詳細は不明と言っておきながら時間ぴったりだ」


「何、が……?」


 返答の代わりに響いたのは、銃声。それでも俺は、何が起きたのかしばらく理解できなかった。


 ぐらりと傾いた身体が背後の壁に寄りかかるように座り込んで、否応なく上を向いた視界に拳銃を構える兄が映って、痛いと思ったのは一番最後だった。


「難しいな。実戦で撃ったことがないとこの距離でも狙った場所に当たらないか」


 ブレる視界の中で、目の前の銃口だけがいやにはっきりと見えた。


 どうして……いや、その前に逃げないと。そう思っても、もう身体が動かない。薬の副作用のせいか、撃たれた傷のせいか。


 俺、このまま死ぬんだろうか。兄に殺されて。


 それが確かな実感として訪れた途端、一気に動悸が速くなるのを感じる。この気持ちは……なんだろう。


「ほら。こうしたら、誰もオレとお前が入れ替わったって気づかないだろ?」


 気づけば、彼が外見において唯一俺と違うはずの黒い右目が、俺と同じ蒼になっていた。その無表情も相まって、目の左右こそ違うもののまるで鏡を見ているかのような感覚を覚える。


 その光景は言い表せないほど不気味で、今すぐにでも目をそらしたいのに、吸い寄せられた視線は離せない。


「どう、して……?」


 もうこのまま殺される他にないのか。そう悟った俺が、せめて理由を、と思わず呟くと、今にも引き金を引こうとしていた兄の指がぴたりと止まった。


「わからないかよ……いや、そうだよな」


 ため息を吐いた彼の表情は、俺を嗤っているようでいてしかし今にも泣きだしそうな顔だった。


「いいぜ、オレもたまにはB級映画のすぐに退場する悪役みたいに語ってやるさ」


 銃口はこちらへ向けたままに、ゆっくりと目を細める。


「お前はさ――覚えているか? あの日のことを。オレたちがこんな地獄に足を踏み入れるきっかけになった、あの出来事を」


 唐突な話題に戸惑った。


 確かに覚えている。今でも、昨日のことのように思い出せる。


 あれは、よく晴れた日のことだった。俺たちがまだ〝ごく普通の幼い双子〟でしかなかった、そんなある日のことだった。


 ――が、それが、何だって言うのか。そう思ってもわざわざ口を挟むような余裕はなく、俺は語る兄の口元をただ見つめていた。


「父さんと母さんが、死んだ日のことだ」


 そう。あの日、両親は殺されたのだ。そして俺は――、


「――お前は、2人を殺した奴を殺した。オレの、目の前で」


 家に、ショットガンがあった。どうやったかとか、詳しいことはよく覚えていない。が、俺がやらなくちゃいけないと、そう思ったことは覚えている。


「もう大丈夫だって振り返った血塗れの姿が、瞼の裏から離れないんだ。軍で別々の道を歩んだ後も、今この瞬間でさえ」


 あれから数年間全く顔を合わせずとも、それは褪せることはなかった、と。兄はそう言った。


 理由は、なんとなくわかった。


 その後も度々言われることがあったのだ。お前は異常だ、と。人を殺して何も感じないのか、と。しかし、俺が疑問を覚えることはなかった。……上官が、「気にする必要はない」と言ったから。ただ命令に従うだけの兵士に、それは必要ないから。


 あの瞬間、敏い兄は幼いながらにそんな俺の異常性に気がついてしまったのだろう。俺の中には何もないということに、気がついてしまったのだろう。


 どうしてと、死にたくないと、未だ本能は悲鳴を上げていたが、俺は心のどこか奥底で納得していた。


「……お喋りは、もういいだろう?」


 一度離した引き金に、再び彼の指が掛かる。自身の乱れた呼吸と、速まった心臓の鼓動が、思い出したように耳の中に響き始める。


 兄が最後に小さく呟いたその言葉が、何故かはっきりと聞こえた。


「オレはただ――お前が、怖かったんだ」


 そのとき彼が浮かべていた表情は、きっと俺と同じ――そうか。恐怖っていうのは、きっとこういう気持ちなんだ。


 銃声。そして、暗転。

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