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 遠くで、爆発音が響くのが聞こえる。〝あちら〟が派手に騒いでいるのだろう。


 対照的に俺たちは、足音一つ立てず影に紛れるように行動していた。


「最下層制圧、ここも違う」


 本国から出発する前に渡されたUSBメモリのような機器でファイルサーバの中身を読み取りながら、通信機の向こう側へ伝える。


 気絶した研究員の横を通って、上の階にいた残り2人と合流。裏口を抜けて、次の候補へ――。


『ゼロっ!』


 そのときトランシーバーの向こうから、酷く慌てた声が聞こえた。


 ヴィスタがこんなに取り乱すなんて珍しい。嫌な予感がした。


『〝緑〟はいるんだけど〝赤〟が見当たらない!! ……そっちに行ってるかもしれない、気をつけろ』


 あちらが陽動だと看破された? まさか、早すぎる。


「――了解」


 一瞬言葉を失いながらも辛うじて返答し、警戒を強めて建物の裏を走る。付いてくる2人は何も言わなかったが、その動揺は十分伝わってきた。


 次の角を曲がった瞬間、


「――っ!!」


 俺は目の前に現れた彼女の眉間に躊躇なく発砲した。


 鉢合わせてしまった〝赤〟は、虚を突かれたような顔をしている。しかし、それでも俺の放った弾丸は彼女には当たらなかった。


 相変わらず化け物じみた反射神経と運動能力をしている、と心の中で毒吐く。


「走れ!」


 どこへ、とかどうして、とかが全くない俺の言葉の意味を、しかし後ろの2人はきちんと汲み取った。


 彼女が我に帰る前に、この場から逃げないといけない。


「――あっ」


 俺自身も身を翻して逃げようとすると、戦場には不釣り合いなほど呆けた声が聞こえた。間髪入れずに真紅の光線が飛んでくるが、射撃の芯がブレている。


 精神的に隙があるのは、強すぎる能力にあぐらをかいているからだろうか。そこを積極的に突けば8人なら勝機があったかもしれない、と走りながら思うが、そんなことを今さら言ってももう遅い。


「ダメだ、一旦合流するぞ! そっちも下がれ!!」


『了解、撤退指示を仰ぎます!』


 通信機に向かって怒鳴ると、即座に返事が返ってきた。


 〝赤〟の死角に入ったメンバーが、走る俺に援護射撃をしている。が、その程度では彼女は止まらないらしい。多少やりにくそうにしているものの構わず連射される真紅の光線が、顔のすぐ側を掠めて空気を焦がした。


 陽動部隊に合流するのであれば、〝赤〟を撒いてからにしたい。ヴィスタの部隊の動き始めと同時に大規模なサイバー攻撃を仕掛けているらしいので、カメラからの探知は気にする必要はないだろう。とはいえ逃げ切れるかどうかは運の要素が強いし、その確率は決して高くない。


 上手くいってもいかなくても、合流した後は上の撤退指示と回収班待ちになる。普段はほぼ即座にレスポンスがあるのでほぼ意味がないシステムなのだが、今回の任務はどうにもきな臭い。そのことにはヴィスタも気がついているようで、


『最悪指示が来ないかもしれない。もうダメだと思ったらそのときはこちらの判断で撤退しよう、回収班にもそう伝えて』


 勝手に撤退したとなれば帰ってからが面倒だ。しかし無理に留まってそれ以上の損害を出したとなれば目も当てられない。


 その辺は現場で判断するしかなかった。


「〝緑〟はどこにいる?」


『現在地点から西なのはわかりますが、詳しい位置は不明です――ぐっ!』


 〝緑〟は優秀なスナイパーである。彼の声を聞いていた誰もが、撃たれたのだと即座に察した。


『ヴィスタだ、〝緑〟を捕捉した。今撃ったのは、ほぼ真西にあるあの2番目に背が高いビル、かな』


「了解、撃たれた奴は動けるか?」


『――戦闘行動は不可、です』


 八分の一。痛い損害だ。


 この部隊には元々補給という概念はなく、今回の作戦も速攻で叩いて終わらせるつもりだったので、弾薬などの物資の持ち込みもそう多くはない。機動性を重視した結果だった。


 圧倒的に格上の相手と想定外に撤退戦をする羽目になったことで、条件はほぼ最悪だ。


「っ……全員、『攻撃する』ことは考えなくていい! とにかく時間を稼ぐのが優先、で――」


 言い終わるか終わらないかのうちに、背後から轟音が聞こえた。


 振り向かずとも視界の端に映るその色は、鮮やかな赤。


 撒いたかと思っていたが、いつの間にか後ろへ回り込まれていたらしい。


 その後は、もう無我夢中だった。とにかく走って、行けると思えば弾丸を叩きこむ。それすらも牽制にしかならないのが皮肉だった。


 今自分の側にいるのが誰だかもわからなければ、通信機に向かって叫ぶような余裕もない。


 気がつけば、かなり離れたところまで移動していた。


 〝赤〟からの射撃は、一時的かもしれないが止んでいるらしい。


 他の奴は、どこにいるのだろう。弾む息を必死で殺して、通信機の向こうへ呼び掛ける。


「……こちら、ゼロ。そっちは何人やられた? どうぞ」


『ヴィスタだ、2人もう戦えないがまだ誰も死んでないし自分で動けない奴もいない。不幸中の幸いかな。撤退指示は? どうぞ』


 まだ出てません。その言葉に舌打ちした。


 半ば予想はついていたとはいえ、やはりここで撤退許可が出ないのは辛い。


 背後の壁に寄りかかってずるずると座り込んだ。


 どうして、〝赤〟はこちらに来たのだろう。冷静に考えようとしても、ただ一つの可能性が頭から離れなかった。


 ――誰かが、情報をリークした。


 疑心暗鬼に陥りそうな思考を、何とか引き戻す。他の奴もきっとほとんどが同じことを考えているだろう……が、この状況で仲間を疑うなんて馬鹿なことをしている暇はない。


 誰が、とか勘繰る前に、今は他に考えるべきことがある。


 1人でも多く無事に帰すために、俺が今するべきことは何だ。じわりと汗が滲む掌をぎゅっと握って、ただ考えた。落ち着いてなんていられない。が、考えるのをやめるわけにはいかなかった。


 焦りのせいで、背後への警戒が疎かになっていたのだろうか。


「――っ!?」


 背筋がぞわりとした次の瞬間、俺の頬を淡い緑色の光線が掠める。咄嗟に飛び退いて振り向けば、身を預けていた壁には小さな穴が空いていた。


 この壁をいとも簡単に抜けるなんて、威力が滅茶苦茶すぎる。


 ――次は、外さない。


 そんな声が、彼女のいるあのビルから聞こえる気がした。


 〝赤〟はどこにいるかもわからず、部隊員のうち少なくとも俺は〝緑〟に捕捉されている。この状況では新たに何をしようとしたところで悪い方向にしか転がらないだろう。


「……総員後退。意識のない奴はいないな? 作戦の遂行を断念する。生きて帰ることだけを考えろ。以上」


 そう決断して小声で告げる。撤退指示なんか今さら気にしていられるか、と半ば自棄になっていた。


 遮蔽物にもならない廃ビルの影を一気に飛び出して、〝緑〟の射線に身を晒す。通常のボルトアクションライフルではありえない速度で連射される光線に当たらないように、ランダムに向きを変えながらただひたすら走った。


 せめて、俺が引き付けている間だけでも他の奴に銃口が向かないように。――という考えは、完全に甘かったらしい。俺の方に飛んでくる以外に、動き始めた他のメンバーの方にも光線が伸びるのが視界の端に映って絶望する。


 まさか。今のが、他の奴を炙り出すためのブラフだった?


 このままだと、全滅する。そう直感した俺は、何故か逆に頭が冷えていくのを感じていた。


『ダメだ、〝赤〟が来る。――追いつかれるぞ、ゼロ』


 俺と同じことを考えたらしいヴィスタの言葉を聞きながら思いついたのは、どうして今までわからなかったのかと思うような簡単なこと。いつもと同じようにするだけのこと。


「なら……ヴィスタ。後は頼んだ。片方……そうだな、〝緑〟がいいか。そっちは俺がなんとかする」


 俺がこれからしようとしていることを知ったら、間違いなく〝赤〟は激怒するだろう。いつもと違って、死ぬかもしれないのだから。


 しかし彼女を怒らせることも、死ぬことも、別に構わないと思った。所詮、俺は他の奴らとは違う正真正銘の『人形』でしかないのだ。


『何とか――? お前……まさか〝アレ〟使う気か!?』


 数個取り出した錠剤は、確か難しい名前が付いていた。が、そんなことはどうでもいい。今の俺にとって大事なのは、その効果だけだ。




 服用者の身体能力を、効果が続く間大幅に強化。甚大な副作用の可能性有。副作用の詳細不明。




 おそらくこれがあれば星彩(スターライト)に対抗できるだろう、と胡散臭い研究者に言われた。誰かを生贄にして実戦データと副作用の記録を取りたいというのが彼らの本音なのだろうし、そんな思惑の通りに動くのは癪だが、生憎今の俺にこれ以上失うものはない。


「こういうときのために、持たされたんじゃないのか?」


 がりっ、とそれを噛み砕いた音は、通信機の向こうまで聞こえただろうか。


 それがわかる前に、無理矢理通信を切断した。


 どれくらい稼げばいいだろうか。回収班が待機している場所はそう遠くないはずだ。全員が離脱するまで、〝緑〟を押さえられればそれでいい。


 ひらりと身体を翻して、〝緑〟から逃げる方向ではなく近づく方向へ。俺の動きに気づいたところで〝赤〟はそう早くは来ないだろうから、そちらは気にしなくても構わない。


 走るうちに、疲れから来る倦怠感が嘘のように消え去った。


 飛ぶように駆ける俺は――実際に、屋上から屋上へと〝跳んで〟、こちらを狙う光線を全て躱して、なお駆ける。


 自然と、口の端が釣り上がっていった。


 跳べる。見える。身体の隅から隅まで、思い通りに動く。


 足止め? とんでもない。今なら〝緑〟とだっていいセン行くに違いない。


 いつの間にか〝緑〟の射撃は止まっていて、俺は悠々と彼女の目の前に降り立った。


 人間離れした動きをしていたのに、呼吸は少しも乱れていない。


「……どういうつもり?」


 隙もなく俺を睨みつけるその視線すら、そよ風のように心地よく感じられる。


「さて、何が?」


「急に攻め込んできたこと、貴方だけ戻ってきたこと、貴方の身体が今異常なこと。全部」


 真剣に問う〝緑〟に、俺はくすくすと笑った。


「まず1つ。お上の方針について俺が知ってるとでも思ってんのか?」


 可笑しくて仕方がない。


 その無駄な質問が。答えは全てわかりきっているのに。


「でも、」


「上には上の事情があんだろ。俺は、知らねぇよ」


 拒絶するように吐き捨てる。


「で、2つ目? 見ればわかんだろ、(ヤク)キメてんだよ」


 はっと息を呑んだ彼女の、怯えたような顔。


 その顔が恐怖に、苦痛に歪んだら――制圧して、征服して、蹂躙して、凌辱して――ああ、想像するだけで、堪らない。


「馬鹿じゃないの!? どうして、そこまでできるの……?」


 どうして。おかしな質問もあったものだ。


「躊躇う理由なんて、ねぇじゃねえか」


 そもそもここに来たのはどうしてだったか。


 だが、そんなことはどうだっていい。


 目の前の彼女と戦って、ぐちゃぐちゃにして。早く速く疾くはやくハヤく――。


 その後にどうなろうと構わない。他のことは、何も考えられない。


「せいぜい楽しませてくれよ。これで最後かもしれないんだからさ……ッ!!」

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