23
目が覚めてしまったときには、まだ外は薄暗かった。
昨夜も流れで紫音さんの研究所に泊まることになったのだが、横になっても延々とあの青年の声が頭の中をループしていた。2日目とはいえ慣れないベッドのせいもあって一睡もできないかもしれないと思っていたが、いつの間にか寝入ってしまったらしい。
眠れただけまだマシだったものの、夢見は最悪だった。内容を詳細に覚えているわけではないのが唯一の救いだろうか。あの青年が出てきたということだけ、はっきりと覚えていた。
こんなに早く目が覚めてしまったのも多分そのせいだ。きっと、酷くうなされていただろう。
頭が痛くて起き上がるのも億劫だったが、また寝れば悪夢の続きを見てしまうような気がして眠い目を擦りながら顔を洗いに行く。
「――啓さん」
「眠れなかったのかい?」
先客は、既に出かけられそうな恰好をしていた。
「……朝、早いんですね」
「僕も氷雅と同じさ。今日辺り何かありそうな気がして、どうにもじっとしていられなくてね」
意外だ。いつも泰然として周りのことなど気にしていない風に振る舞っている啓さんにも、眠れないことがあるなんて。
「今失礼なこと考えてるだろ」
「……あ、紫音さんと同じこと言ってる」
やはり紫音さんは啓さんに似たんだろうか。年上の2人のことだから俺が言うのもおかしいが、微笑ましい気分になってしまう。
どうにも浮かない表情をしていた俺がやっと笑ったのを見たからか、啓さんは顔をしかめながらもそれ以上の追及はしなかった。
「紫音も大概やりすぎだよね。うっとうしかったら遠慮なく言っていいからね? あいつはちょっとやそっとのことじゃへこたれないからさ」
確かにあの人は、鋼の精神を持っていそうだ。この前の屋上での話――紫音さんの過去、主に父親の死についての話――のことを考えれば案外弱いところもあるのかもしれないが、むしろそれ故に他のところでは揺らがないのかもしれない。
「いや、ちょっとそれは……」
しかしだからと言って遠慮なく接することができるかというと、俺はそれほど図太くない。
「今はそれでも構わないさ。そのうち、ね」
紫音のことだからそれでも喜びそうだけど、と小声で付け足されたのは、聞かなかったことにする。
「2人って仲良いですよね」
「そうだね、何だかんだ言って出会ってからもう10年以上経つ」
そもそも記憶があるのが1年と少しの俺には、それほど長い付き合いは全く想像がつかない。
「紫音さんから聞いた話だとさんざんこき使われてるみたいな印象なんですけど、啓さんはどう思ってるんですか?」
「どう、って?」
とぼけたように聞き返されて、言葉に詰まった。答えられないのをわかっていてそんな風に聞き返す啓さんはやはり性格が悪い。
「ええと……」
「ごめん、ちょっと意地悪だったかな?」
自覚はあったらしい。啓さんは楽しそうに笑った。
「紫音がどう思ってるか知らないけど、僕にとっては貴重な友人だからね。それに色々やらされるとはいえちゃんと限度は弁えてるし、僕の方からも色々便宜を図ってもらってるからイーブンだよ」
その後も気を紛らわせるようにだらだらと会話をしているうちに、いつもの起床時間になってしまった。
「そろそろ着替えた方がいいんじゃないかな?」
「あっ」
話の間だけでも他のことを考えないでいられたのはありがたいが、今から準備をしていたらこの研究所から徒歩では遅刻してしまう。
「……送ってもらってもいいですか」
「構わないとも」
車の助手席に乗って、流れていく景色を眺める。外にはどんよりとした雨雲が垂れこめていて、こちらの気分まで沈み込むようだった。
「今日は降るかもね」
そうですね、と俺も小さく答える。
天気のせいか、それとも他に何かあるのか。わからないが、車の中の空気はどうしようもなく重かった。そんなことも知らないラジオDJの無駄に明るい声だけが響くが、それで雰囲気が変わることはない。
「着いたよ」
結局最後までそれ以外の会話はほとんどなく、ぼーっとしているうちに学校の前まで着いてしまった。
「助かりました」
啓さんは「どういたしまして」と笑った後、真面目な顔になって言った。
「……気をつけてね。僕の勘は当たるんだ」
「わかりました。啓さんも気を付けて」




