21
青年は名乗らなかった。俺も、わざわざ訊ねようとは思わなかった。
2人、横並びに座って空を見上げる。
どうして幽霊の振りなんかしていたんだと聞くと、彼は楽しそうに笑った。
「噂が広まった方が人探しをする上で楽だからね。あとは、日本の学生でちょっと遊んでみたかっただけだよ」
なるほど確かに、噂がなければ俺と彼が出会うのは大分遅くなっただろう。
その後は、彼の話に俺がひたすら相槌を打つだけだった。どうせ、俺から話せることは何もないのだ。
彼の話は、〝とある年下の友人〟のものばかりだった。
その集まりで最年少の癖に一番の実力者で、誰かに弱いところを見せることは一切なく、最も親しかったその青年にさえついぞ頼らなかった、左右で瞳の色が違う少年。
「ついぞ、って……もう、付き合いはないのか?」
俺のわかりきった問いに、彼は気の抜けた笑顔で答えた。
「もう、俺と彼は……あのときのようには、話せないんだ」
青年は、その友人が裏切ったという話はしなかったし、恨んでいるようなそぶりも見せなかった。
きっと、彼にも彼の事情があるのだろう。俺には、その辺を知る術はない。
「……そっか」
彼と再会したときからの微妙な違和感は、いつの間にか絞めつけるような頭痛に変わっていた。
この痛みには、覚えがある。
確かあれは、俺が精神的に一番追い詰められていた――記憶がなく、自分が誰かがわからなくて思い悩んでいた時期のことだ。無理に思い出そうとしたら酷い頭痛がして、それでも考え続けた挙句倒れたんだっけ。
馬鹿なことをするなと、怜たちに随分怒られた。
「大丈夫か?」
痛みを堪えて背後の柵にもたれかかると、隣の彼に心配そうな声を掛けられた。
「ああ――すぐ、収まるから」
深く息を吸って、落ち着いて、頭の中を空っぽにする。不意にこの頭痛に襲われたときは、そうしてしばらく待てば収まる。
だから、長い沈黙の後に青年が何と言ったか、一瞬わからなかった。
「……残念だな。最期に、もう一度〝彼〟と話ができたらいいと思っていたのに」
唐突に今までの柔らかさが消えた彼の言葉に、理解が追い付かなかった。
「ごめん、ゼレイド。最初からその気だったわけじゃないんだ……でも、今、やらないと。くだらない未練に引きずられて、お前を……殺せなくなりそうだから」
いつの間にか俺を向いていた銃口と、金髪の隙間から覗く今にも泣きだしそうな瞳。直後に響く、銃声。
しかし、弾丸が俺の脳天をぶち抜くことはなかった。
銃声の次の瞬間……いや、もしかしたら直前だったかもしれない。視界が真っ白に染まって……それから、何が起きた?
「やっぱり、ダメか」
目の前で、青年が大きく飛び退っていた。弾が当たらなかったのは、銃口がぶれたからか。
俺たちの間に、淡い緑色をした光の残滓が舞っていた。
「……感謝すべきなのか、恨むべきなのか、わからないな」
気がつけば、俺の前には長い黒髪の彼女――凪がいた。飛び込んできた勢いをそのままに、真っ白な拳銃を抜いて青年を追撃する。
「感謝されても恨まれても、私のすることは変わらない」
ほとんど抑揚がついていない、突き放すような声なのに、何故か安堵が押し寄せた。
「そうだよな。暗殺者は……それくらいの気概がないと、務まらないよな」
もう一つ大きく後ろへ跳んで屋上の柵の手すりに乗ると、彼は寂しそうに笑った。
「じゃあな、また会おう。次は……ゆっくり話す暇も、ないかもしれないけど」
そのままふらりと上体を後ろに倒す。あ、と声を上げたときにはもう遅かった。
何かを噛みしめるような彼の声だけが、俺の耳にいつまでも残っていた。
その場に座り込んだまま動けなかった俺と違って、凪はすぐに屋上の端に駆け寄った。見下ろして数秒、顔を上げた彼女は俺に向かって首を振る。青年は、忽然と消え去ってしまったらしい。
黒髪の少女はそれ以上彼を探す素振りを見せず、気がつけばふっと姿を消した……と思ったら数秒後には何事もなかったかのようにその場でギターケースを肩に提げていて、俺はいつの間にと思わず二度見してしまった。
「ケース、狙撃点に置いて来てたから取りに」
ギターケースのように見えたのは、銃のケースだったらしい。彼女は俺の疑問に答えるように呟くと、これまたいつの間にか傍らに置いていた純白のスナイパーライフルを片付け始める。
なるほど、さっきの初撃は狙撃だったのか。
しかしそのケースは、外から見る分にはどうみてもギター以外のものが入っているようには見えない。よく考えるなあ、と感心した。
銃を片付け終えた凪は、膝から力が抜けてしまって立ち上がれないでいる俺に手を差し出す。
「大丈夫?」
ありがとう、と彼女の手を取りながら、俺は凪のことをまじまじと見つめた。
三つ編みにした横髪を後ろに持って行って束ねることで、後ろ髪をまとめているのは普段通り。しかし、その左目は黒いまま、右目だけが濃い緑色に変わっていた。
俺の視線に気づいたのか、彼女ははっとした顔をする。
「増幅:終了」
ごく小さなその呟きと同時に、緑色の瞳が黒に戻った。
なるほど、今のがこの前紫音さんが言っていた『能力のスイッチ』か。
「……初めて見た?」
無表情のままそう聞いた彼女が詳しく教えてくれたところによると、増幅には音声によるコマンド入力が必要らしい。
曰く、増幅を終わるときは、『増幅:終了』。始めるときは、『増幅』の後ろに個人の能力名が入る、とのこと。
「星彩には各個人に固有の色があって、光線を撃つだけじゃなくてそれぞれ違う性質がある。例えば茜なら、いわゆる〝発火能力〟に近いことができる。……私は、そんな器用なことはできないけど」
その性質に応じて付けられた名前が、凪は『電離暴風』で茜は『日華紅炎』らしい。
名前を付けるだけならまだしも、能力を起動するタイミングで声に出すなんて何故そんな中二病じみたことを、と呆れた顔をしていたら、紫音さんが自分の趣味で付けた仕様だから勘違いするなと釘を刺された。
それにしても、『まともに生活する』ということは、普段彼らは普通の人と同じように生活しているんだろうか。そう疑問に思っていると、彼女が着ている見慣れない他校のブレザーが目に入った。確か、この街に2つあるうち私立の方の大学の附属高校のものだ。
「……凪って、高校生だったんだ」
「中学生に見えた?」
真顔で答える彼女は、俺と同じくらいの身長も相まってむしろ大人びて見える。
「いや、何ていうか……星彩? って、兵器なんだろ。思ったより普通に暮らしてんだなって」
「紫音さんは、そういうの大事にする人だから」
ちゃんと勉強しないと悲しそうな顔をしてきて卑怯だ、と彼女は微妙に顔をしかめた。
元々『兵器』と言われたところでそうは思えなかったし、今のでさらに親近感が湧いた。
「学年は?」
そう思って何気なく訊ねた……が。
「3年生」
前言撤回。受験生と兵器を両立する化け物がいてたまるか。部活だって早いところはもう引退しているだろうに。
俺のじっとりとした視線に気づいたのか、彼女は少し慌てた。
「私、附属だから。内部進学だから……受験戦争じゃないから。だからそんな目で見ないで」
なるほど、そういうのもありなのか。だからといってそれなら納得がいくかと言われると、そうでもないが。
「じゃあ、茜も?」
「茜は私とは学校が違うし、2年生。推薦狙ってるみたいな話を聞いた」
凪とは違って国公立の方だと彼女は教えてくれた。この辺の高校はほとんどが2大学への進学を謳っているから、その中で推薦を狙える茜はかなり優秀なのではないだろうか。
皮肉なことに、2人の強さが云々よりも、そちらの方が規格外なスケールがわかりやすい。
「……とりあえず、さっきのことは紫音さんに報告しなくちゃいけないから。研究所まで歩くけど、いい?」
無言で頷く。
立ち去る前に振り返った屋上には、彼が置いて行った空のペットボトルだけがぽつりと残されていた。




