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本拠地と言うのだから、もっとこう、仰々しいものだと思っていた。
大学を中心にして建物が放射状に広がるこの街の、最外周部に程近い場所に、小さな研究所が建ち並ぶ一角がある。他の研究所と何も変わらないその建物の前で、啓さんは車を止めた。
「ここ……ですか?」
「うん。思ったより近いでしょ?」
啓さんが無駄に走らせたとはいえ三十分もかかっていない。最短距離を通れば、徒歩でも学校から二、三十分程度だろう。
俺が外観を眺めている間に、凪と茜は自動ドアの中へ消えていった。啓さんの後ろについて、俺もその建物の中に入る。
「なんか……セキュリティとか、思ったよりも甘いんですね。これで大丈夫なんですか?」
啓さんにそう聞くと、数歩先を行く茜が振り返って言った。
「あんた1人だったら絶対入れないわよ」
補足してくれた啓さん曰く、今日のことはもう俺が意識不明だったときから決まっていて、これから会う〝親玉〟が手を回していたらしい。随分とあっさり入れたな、と思ったのは気のせいだったようだ。
最初からわかっていたことなら、朝のうちに教えてくれればよかったのもを。
度々すれ違う職員らしき人たちが、啓さんたちに会釈していく。その度に啓さんは気さくに返事をするが、その後ろを歩く俺のことを気にする職員は誰もいなかった。彼らにも話が通っているということなんだろうか。
エレベーターに乗り込むと、凪が既に最上階のボタンを押していた。ドライブが気持ち良くてすっかり忘れていたが、これから会う人は……特殊部隊で一番上の立場の人なのだ、とふと思い出す。どんな人だろう。やはり、厳つい男性だろうか。しかし――茜や凪を見ていると、2人のように見た目と〝特殊部隊〟という単語が全く結び付かない人でもおかしくないような気がする。
「今から会う人って……どんな人?」
考えても仕方ない、と凪に訊ねる。
「……滅茶苦茶だけど、包容力があって、いざというときは頼りになる。でも、何を考えているかよくわからないし、たまに私たちも全く知らないところで悪だくみをしていたりする」
少し迷ってから困ったような顔をして語る彼女の言葉では、その人物像はあまり伝わってこなかった。聞く人を間違えたかな、と複雑な表情をしていると、
「全然間違ってない。その説明でわからなかったんだったら、実際に会った方が早いと思うわよ」
茜に小馬鹿にするように吐き捨てられた。
そうこうしているうちに、エレベーターは最上階に到着する。
3人の後ろに続いて一歩踏み出し、最初に目に入ってきたものは、壁一面に並ぶモニターだった。半分ほどにはこの街や今いる研究所内の監視カメラの映像と思しきものが映し出されているが、残りの半分には、
「青い鳥……」
それだけではない。SNS、動画サイト、イラストサイトなどが、およそ俺の聞いたことがあるものから初めて見るものまで、大量に映し出されていた。
全力でネットサーフィンしたいという欲望がとてもよく伝わってくるその部屋の主はというと、俺がモニター群に気を取られている短い間にぱたぱたとこちらに駆けてくる。止まる気配がないことを不審に思った俺がそちらを見た次の瞬間には、
「うわっ……!?」
痛い、と思ったら抱き着かれていた。後ろに倒れそうになりながら、かろうじて踏みとどまる。
俺の顔のすぐ隣で、白に近い金髪が揺れている。白衣の背中辺りまで伸びる緩くカールしたその髪から察するに、白人系の女性らしい。そうと気づけば、その人の髪からは微かにいい匂いがするし、あちらこちらが女性らしい柔らかさと丸みを帯びているのもわかる。
幸いにして肩の傷が痛んだのは最初の一瞬だけだったが……これは、どういう状況だろう。隣にいる啓さんに視線で助けを求めるが、彼は困ったように首を振った。茜と凪は、言うまでもなく。
「あの……」
仕方なく、おっかなびっくり声を掛ける。
「ごめんなさい……もうちょっとだけ」
俺の左肩に顔を押し付けた彼女は、申し訳なさそうに小声で言った。思いがけず流暢な日本語に少しだけ驚く。
「ふぅ……ごめんね、いきなり。ちょっと取り乱しちゃって……情けない」
数秒の沈黙の後、俺はやっと解放された。
さっきまで俺を思い切りハグしていたその人は、恥ずかしそうに笑っている。彼女の瞳は綺麗な緑で、俺は――多分、ではあるが――初めて見る碧眼に一瞬目を奪われた。
あれ、この人……泣いてる?
その碧眼に、涙が光っているような気がした。
しかし次の瞬間には、彼女はそんな素振りを全く見せず話し始める。
「改めて。初めまして、涼崎氷雅。私が〝特殊部隊:すばる〟部隊長の紫音よ。あっ、漢字表記だからそこのところよろしく」
この見た目で漢字表記、と言われても違和感があるが、わざわざ言ってくる辺り相当なこだわりがあるのだろう。
何て言っていいのかわからず、曖昧に頷く。
「うん。じゃあ、その辺の椅子に適当に座ってちょうだい。これからする話は結構長くなると思うから」
紫音さんが指し示す先には、背もたれとキャスターの付いた回転椅子が何個か。失礼します、と座ろうとすると、
『紫音! どういうことですか、これは!!』
大音量で響いたのは、ジュリーの声だった。突然の大きな音に、思わず肩をびくりと震わせる。
顔を上げると、大量にあるモニターのうち、ネット関連の表示になっているものばかりが一気に切り替わっていく途中だった。長いストレートの金髪に、真っ黒なヘッドフォン。ジュリーの顔のアップが、次々に現れる。
『仕事中に何やってるんですか、もう!』
「だって一段落したし……。これでもちゃんと仕事はしてるもの!」
『それはわかりますけど……この部屋を片付ける余裕があるんだったらこのがっつりプライベートな感じのモニターもなんとかしてください。示しが付きません』
普段は落ち着いた印象のジュリーが、口調こそ変わらないものの小さな子供のように怒鳴り散らしている様子は、かなり新鮮だ。
「だって氷雅が来るって言うから……いつものようにネットサーフィンしながら緊張をほぐすくらいいいじゃないのよ」
『「いつものように」って! 今「いつものように」って言いましたね!? ぜんっぜん反省してませんね!?』
「ジュリー。私たちはもうわかってるから、別にいいんだけど」
『そういう問題じゃないんです~!』
ぼーっとしながらその会話を聞いていると、啓さんに肘で突かれた。
「あの人たちああなると止まらないから、声掛けないといつまでもやってるよ」
「え……俺が言えと?」
そのときの俺は、露骨に嫌そうな顔をしていたに違いない。そんな俺を見て、啓さんは10人いたら10人が『胡散臭い』と言うような顔で笑った。
「僕が言うよりいいと思うんだよね」
こうなった啓さんには、何を言っても適当に言いくるめられてしまう。仕方なく、最早会話というよりは喧嘩に近いその言い合いに口を挟む。
「あの……いいかな?」
『よくないです!』
「ちょっとジュリー! ごめんなさい氷雅、今話戻すから」
ジュリーの鼻息も荒い――という表現は正しいのかわからないが――返答はまだ想定内として、紫音さんがすんなり聞き入れてくれたのは意外だった。
『ああ、その人氷雅さんにベタ惚れなんですよ』
怪訝な顔をしていたからか、ジュリーがつまらなそうな表情をしてそう言った。
「惚れっ……! 恋と萌えは違うの!! ジュリーにはわかんないでしょ!」
『はいはい、どうせ私には一生――永遠に理解できませんよっ!』
結局、収集を付けたかっただけの俺の言葉はさらなる混迷を招くことになったが、俺はそれどころではなかった。ジュリーの一言があまりに衝撃で、無表情のまま固まってしまう。
つまり……さっきのハグは……そういう……。
啓さんの方を見れば、彼はニヤニヤと笑いながらこちらにウィンクまで飛ばしてきた。
知ってたな、この人。
恨みのこもった視線を投げかけても、彼は涼しい顔をしている。
こうなったら、もう悟りの境地で乗り越えるしかない。結局、俺たちは女性陣の言い合いが収まるまでかなりの時間待つことになった。




