第七話 プラマイゼロの秘密基地
1
重機が跳ね上げる土煙の先、広大な地下空洞が広がっていた。
そこは、数十年前の旧世界都市がそのまま埋もれた巨大な廃墟――『プラマイゼロ』と呼ばれる、追手を逃れた子供たちの潜伏場所だった。
「降りろ、到着だ」
カムジ・チャモロが重機のエンジンを止め、操縦席から飛び降りる。
アキ・パパニカは、泥と油に塗れたポン・ペロペの身体を支えながら、慎重に荷台から地面へと降り立った。
「カムジ……お前、無事だったんだな」
「当たりめぇだ。あの程度の清掃マシン、俺の相手になるかよ。……それより、そいつの手当てが先だ」
カムジは地下街の奥、錆びついた電車車両を改造した「秘密基地」へと二人を案内した。
車内には、固いパンや汚れた毛布、拾い集められたガラクタが所狭しと並べられている。
カムジは古びた救急箱を取り出すと、消毒液と包帯をアキに放り投げた。
「使え。お前が巻いてやった方が、そのバケモノも安心するだろ」
「あぁ……ありがとな、カムジ」
アキは手際よくポン・ペロペの泥を拭い、傷口に包帯を巻いていく。
ポン・ペロペは痛みに耐えるように「ギ……ギィ」と小さな声を漏らしながらも、安心したようにアキの膝の上に頭を預けてきた。
「……カムジ、さっき『プラマイゼロ』って言ってたな。ここは何なんだ?」
アキが尋ねると、カムジは煙草の代わりに干し肉を齧りながら、暗い車窓の外を見つめた。
「『感情のプラスとマイナスをゼロにする世界』に対する、俺たちのせめてもの抵抗の場所さ」
「プラスとマイナス……?」
「統治機構のイカレた理屈だよ。人間が持つ『生きる喜び(プラス)』と『死にたい絶望』。それを全部システムで相殺して、世界を完璧なゼロ(平穏)に保つのがマクベスたちのやり方だ。そのためにお前らの感情は『減価償却』され、不要な残価としてそのナキリムシが産み落とされる」
カムジは胸元の真鍮製ペンダント――『ルラ & ・・』と削られた刻印を、愛おしそうに指でなぞった。
「だがな……感情がゼロになった世界なんて、生きてるって言えるか? 泣くことも、怒ることも、誰かを好きになることも許されねぇ世界なんて、ただの墓場だろ」
2
「……俺も、嫌だ」
アキは膝の上のポン・ペロペの手をギュッと握りしめた。
「俺は、ペロペの感情を取り戻したい。あいつが俺の代わりに食べてくれた『死にたいノイズ』も、あいつ自身の本当の名前も……全部奪い返したい」
「ハッ、口で言うのは簡単だがな。減価償却された記憶データは、この地下にはねぇぞ」
カムジは天井を指さした。
その指先が示すのは、厚い岩盤の遥か向こう――夜空に浮かぶ、冷たい灰色の天体だった。
「データはすべて、上空の『月面記憶銀行』へ吸い上げられている。地球上のあらゆるシステムを統御する、開かずの巨大金庫だ」
「月……」
「そうだ。記憶を取り戻したけりゃ、空を飛んで月まで行くしかねぇ。……イカれてんだろ?」
「イカれてなんか……ない」
アキは立ち上がり、カムジの目をまっすぐに見つめ返した。
「行こう、月へ。ペロペの……みんなの奪われた記憶を取り戻すために!」
ポン・ペロペも「ギィッ!」と力強く声を上げ、泥の手を高く掲げた。
カムジは呆れたように一瞬目を見開いたが、やがて「クックッ……」と低い笑いを漏らした。
「言ったな、お坊ちゃん。いいぜ……乗った! 俺もルラの記憶を……妹の名前を取り戻したくてウズウズしてんだ!」
カムジは不敵な笑みを浮かべ、アキに拳を突き出した。
アキも自分の拳を固く握り、そこにぶつける。
地下深くの秘密基地で、少年たちの「月への反逆」が静かに、けれど確かに決意されたのだった。
――だが、その温かな決意の時間を破るように。
アキのポケットの中で、不意に文字化けした通信機が青く激しく明滅し始めた。
『――アキ……聞こえる……? 助けて……私、消されちゃう……ッ!――』
聞こえてきたのは、かつてアキの隣で笑っていた、14歳の少女の悲鳴だった。
(第七話・完)




