第六話 減価償却された記憶
1
プシューッ……!!
地下廃棄層の天井に張り巡らされたパイプから、不気味な紫色の煙が噴き出していた。
煙が地面に降り立つや否や、ナキリムシの群れから悲痛な叫び声が上がる。
「ギィァァァッ!?」
「ア……ッ、ガハッ……!」
毒ガスに触れたナキリムシたちの身体から、黒い煙のようなものが上がっていた。
身体が麻痺するだけではない。彼らの目から、わずかに残されていた「光」や「生きる意志」が、ゴリゴリと削り取られて失われていく。
「くっ……ゴホッ! ポン・ペロペ、服を使え!」
アキ・パパニカは制服の襟を鼻口に押し当てながら、倒れ込むポン・ペロペを抱き起こした。
だが、ポン・ペロペはアキの手を押し返し、苦しげに紫色の煙を直接口から吸い込み始めた。
「な、何してんだペロペ!? 吸ったら死ぬぞ!!」
ゴクン……ッ! ガリガリ……ッ!
ポン・ペロペは煙を胃の中に溜め込むように飲み込み、喉を激しく鳴らした。
ポンの胸の奥が不気味な紫色の光を放ち、アキの脳内に刺さるような鋭いノイズ声が響き渡る。
『――この煙……『減価償却』の濃縮ガスだ……』
『――吸うと……脳の記憶回路が焼き切られて……完全にただの肉塊になる……』
「減価償却……! 街の大人たちが言っていたあの言葉か!?」
『――子供たちが12年間で溜め込んだ『命の輝き』や『愛した感情』を価値(資産)として換算し……少しずつ削り落として回収するシステム……』
『――残価ゼロになった子供が……ナキリムシになるんだ……』
アキの歯が、ガチガチと音を立てて震えた。
資産。減価償却。
人間の感情や思い出を、まるで機械や建物の資産価値のように扱い、使い古されたら捨てられる。この社会の平穏は、子供たちの犠牲という「コスト」によって支払われていたのだ。
2
「……痛ましいですね。ゴミはゴミらしく、黙って処分されれば良いものを」
煙の奥から、コツン、コツンと硬い靴音が響いてきた。
紫のガスを切り裂くように現れたのは、漆黒の軍服に身を包み、胸に大量の勲章をつけた厳格な男だった。
マクベス・トカチェフ――世界統治機構の総司令官であり、この街の「清掃」を完璧に執り行う冷血な最高権力者。
「トカチェフ……ッ!」
「14歳のアキ・パパニカ君ですね。君の脳波データは拝見しました。奇跡的に『死にたいノイズ』への耐性を持ち、破棄されたナキリムシと共鳴している……極めて有害なエラー個体だ」
マクベスは白い手袋をはめた手で、腰のホルスターから装飾の施された大型の拳銃を引き抜いた。
銃口が、アキの眉間に向けられる。
「命は等しく消費されるべき資源だ。君のようにシステムに不協和音をもたらす存在は、この世界の調和のために消さねばならない」
「調和だと……!? 子供たちの思い出を奪って、怪物に変えて捨てることが調和なのかよ!!」
「そうだ」
マクベスは眉一つ動かさずに言い切った。
「地球の死滅衝動は留まることを知らない。月面記憶銀行に純粋な『少年の希望』を蓄積し続けねば、この星は明日にも自滅する。一人の子供の感情で一万の大人が生き延びるなら、これほど正当な取引はあるまい?」
「ふざけるなーーーーっ!!」
アキが叫び、鉄パイプを構えて踏み出そうとした瞬間――。
ドドドドド!!
頭上の岩盤が弾け飛び、上方から巨大なドリルを装備したガラクタ塗れの重機が落ちてきた!
「死に晒せ、統治機構のイカレ野郎がぁぁーーーッ!!」
「カムジ!?」
運転席から身を乗り出していたのは、全身血と泥だらけのカムジ・チャモロだった。
重機のドリルが毒ガスパイプラインを粉砕し、強烈な逆風が紫色のガスを吹き飛ばす!
「アキ! ペロペ! ボサっとすんな、飛び乗れぇっ!!」
「ギィッ!!」
アキはポン・ペロペの腕を掴み、重機の荷台へと飛び移った。
マクベス・トカチェフは顔色一つ変えず、静かに銃を収めながら遠ざかる重機を見送った。
「……逃げろ、未熟な虫ども。月へ向かう梯子は、すでに外されているのだから」
重機は地下廃棄層のさらに深部――誰も足を踏み入れたことのない「旧世界遺構」へと向かって突進していく。
(第六話・完)




