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ナキリムシ  作者: ゆうちぇる


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2/25

第二話 サラサラ・クックの微笑み

1

 夕陽が沈み、静まり返った桜坂。

 アキ・パパニカは、泥だらけのボロ布を纏った異形――ポン・ペロペの前に立ち尽くしていた。

「……お前……っ」

 あいつが食べたのは、あの錆びついた南京錠の鍵だ。

 食べた瞬間、アキの脳を割らんばかりに苛んでいた「死にたい」という重いノイズが、まるで初めから存在しなかったかのように綺麗に消え去っていた。

 ポン・ペロペは胸を押さえ、泥に塗れた顔を歪めながら、喉の奥から「ギ……ギギ……っ」と掠れた声を漏らしている。その目からは、ぽろぽろと大粒の涙が零れ落ちていた。

 そして差し出された、半分にちぎれた「あんパンの包み紙」。

「ア……キ……パ……パ……」

「……あ……」

 アキの胸の奥で、忘れていたはずの記憶の欠片が鋭く刺さった。

 かつて、この坂道で自分とあんパンを分け合った「あいつ」。

 名前も、顔も、声すらも思い出せない。けれど、この包み紙を見た瞬間、魂が「あいつだ」と叫んでいた。

「お前……消えた『あいつ』なのか……!? なんでそんな姿に……!」

 アキが手を伸ばそうとした、その時だった。

キーーーーーーン……!!

 頭の奥底で、弾けるような電子ノイズが響いた。

 視界の端で、空間そのものがバグを起こしたように歪む。

『――警告。未承認の記憶参照を検知。ョ記憶修復シシステムを起動――』

「ぐっ……アァッ……!?」

 激痛。脳を直接冷たい針で突かれたような痛みに、アキは頭を抱えてその場に倒れ込んだ。

 視界が明滅し、倒れ込むアキの目に映ったのは、ポン・ペロペが焦ったように泥の手を伸ばしてくる姿だった。

「ギィ……ッ! ア……キ……ッ!」

「(逃げろ……っ、ポン・ペロペ……!)」

 声を出すこともできず、アキの意識はそのまま深い闇の中へと落ちていった。

2

 目を覚ますと、そこは保健室のベッドの上だった。

 白い天井。消毒液の匂い。窓の外は、すでにすっかり夜が明けて朝の光が差し込んでいる。

「あ、気がつきましたか? アキ・パパニカ君」

 耳元で、不気味なほど爽やかな声がした。

 カーテンが開き、現れたのは担任教師のサラサラ・クックだった。完璧なまでに整えられた髪と、一切の隙がない笑顔。

「……先生……? 俺、なんで……」

「昨日の夕方、桜坂で倒れているところを巡回警備に見つけられたんですよ。まったく、急に貧血を起こすなんて困った生徒ですねぇ」

 サラサラ・クックはクスクスと笑いながら、アキの枕元に置かれたパイプ椅子に腰掛けた。

 アキはハッとして自分のポケットを探る。

(……ない。南京錠の鍵も……あのあんパンの包み紙も……!)

「何かお探しですか?」

「……いえ……」

「それは良かった。パパニカ君、あなたに少しお話があるんです」

 サラサラ・クックは身を乗り出し、アキの目を覗き込んだ。その瞳には光が一切なく、まるで塗りつぶされた黒いガラス玉のようだった。

「昨日、あなたは教室で『存在しない生徒』の名前を口にしようとしましたね? そして昨日の夕方、桜坂で『不法投棄された害獣』と接触した形跡があります」

「害獣……? ポン・ペロペのことか……!?」

「ペロペ?」

 サラサラ・クックの眉が、ピクと小さく動いた。

「面白い名前をつけるのですね。ですがパパニカ君、あの異形はただの『ゴミ』ですよ。12歳の春を迎えた際、社会に適応できず discarded(破棄)された廃棄物……通称《ナキリムシ》です」

「ナキリムシ……? 破棄されたって……どういうことだよ!? あいつは……あいつは俺の友達だったんだぞ!!」

 アキがベッドから身を乗り出して叫んだ。

 しかし、サラサラ・クックの表情は一つも崩れない。それどころか、心底不思議そうに首をかしげた。

「友達? おかしいですね。あなたの記憶データは、一昨年の春に正しく『減価償却』処理が完了しています。あなたの脳内に、そんな余分な感情(記憶)が残っているはずがないのですが……」

 サラサラ・クックは懐から、ペンライトのような細い端末を取り出した。

 先端が青く光り、アキの眉間に向けられる。

「少しバグが起きているようですね。大丈夫ですよ、すぐに綺麗にして差し上げますからね」

「やめろ……っ! 離せ!!」

「大人しくしなさい。これは『全人類の幸福』のためのシステムなのですから。月面記憶銀行の意向に反してはいけません」

 端末の先端から、キーーーンというあの嫌な電子ノイズが放たれる。

 アキの脳裏に、再び激痛が走る。

『――脳内ノイズの強制消去を開始。対象:縺ョ・ライネックに関する記憶――』

(嫌だ……! 忘れてたまるか……! あいつが俺の代わりに……俺の『死にたい』を食べちまってくれたんだぞ……!!)

 アキは歯が砕けんばかりに噛み締め、必死に抵抗した。

 その時――。

バリーン!!

 保健室の窓ガラスが豪快に割れ、室内へと巨大な「泥の塊」が飛び込んできた!

「ギィィィーーーーーッ!!」

「なっ……!? ナキリムシ……!?」

 サラサラ・クックの笑顔が初めて瓦解し、驚愕の声を上げる。

 割れた窓から飛び込んできたのは、ボロ布を撒き散らしたポン・ペロペだった。

 ポン・ペロペはサラサラ・クックの手から端末を奪い取ると、そのままガブリと丸呑みに噛み砕いた!

バリバリバリッ!!

「何をするのですか、この害獣が……!」

「ギィッ! アキ!!」

 ポン・ペロペはアキの腕を掴むと、そのまま割れた窓の外へとアキを引っ張り出した。

「うわあぁっ!? ポン・ペロペ!?」

 二人は朝日が差し込む校庭へと飛び降り、泥まみれになりながら走り出した。

 背後で、サラサラ・クックの無機質で静かな声が響き渡る。

「警備班へ連絡。B級指定廃棄体《ペロペ》、およびエラー感染者アキ・パパニカの捕獲を開始してください」

 追手が動き出す。

 世界を揺るがす逃亡劇が、ここから幕を開けたのだった。

(第二話・完)

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