第十三話 灰色の月面都市
1
静寂。
大気のない宇宙空間では、アストラエアの不気味なエンジン音すら消え去り、ただ船内の生命維持装置の機械音だけが虚しく響いていた。
「……着くぞ」
カムジ・チャモロの声に、アキ・パパニカは丸窓へ顔を寄せた。
視界を埋め尽くすのは、無数のクレーターが刻まれた灰色の荒野――月面だ。
そしてそのクレーターの中央、巨大な強化ドームに覆われた近未来的都市が、太陽の光を浴びて冷たく輝いていた。
『月面記憶銀行・第一都市アルカディア』。
「綺麗……だけど、恐ろしい場所だな」
「あぁ。地球の子供たちから搾り取った無垢な記憶データが、あのアミューズメントパークみたいなドームの中に全部詰まってんだ」
カムジは船の操縦桿を握り直し、逆噴射スラスターを点火させた。
ドームの死角となる外縁部のクレーターへと、アストラエアが滑り込むように着陸する。
サァー……ッ
月の微小重力の中、静かに着地する船体。
アキは腕の中で静かに眠るポン・ペロペの身体を優しく抱き起こした。
「ペロペ、着いたよ。月だ」
「……ギ……ギィ……」
ポン・ペロペはゆっくりと瞳を開けた。
その瞬間、ポンの身体がびくつりと跳ね上がり、月面都市の方角を指さして警戒の唸り声を上げた。
「どうした、ペロペ……!?」
『――気をつけて……アキ……』
ポンの思考ノイズが、アキの脳裏に激しく刺さる。
『――地球とは比べものにならない……『巨大なノイズの塊』が……僕たちを狙ってる……!』
2
簡易宇宙服と気密バイザーを身に纏い、アキたちはアストラエアのエアロックから月面へと足を踏み降ろした。
ふわふわとした月面の砂を踏みしめながら、巨大ドームの搬入口へと向かう。
ドームの分厚いエアロックは、奇怪なことに最初から開け放たれていた。
「気味が悪ィな……。歓迎されてるってワケか?」
カムジがナイフを構え、警戒しながら先頭を進む。
ドーム内部に一歩足を踏み入れた瞬間、そこには地球では考えられないような「異様な光景」が広がっていた。
青空を模したホログラムの天井。色鮮やかな街並み。
しかし、そこに暮らす「人間」たちの姿は、どこか奇妙だった。
「やあ、いらっしゃい! 今日も最高に幸福な一日だね!」
「あはは! 悲しいことなんて何一つないよ! 毎日がパラダイスだ!」
通りを行き交う月面の住民たちは、全員が気味が悪いほどの満面の笑みを浮かべていた。
彼らの瞳にはハイライトがなく、まるで感情をプログラミングされた人形のように、無意味に笑い転げている。
「なんなんだ……この街……全員狂ってるのか!?」
アキが息を呑んだその時、街の広場の中央に巨大な立体ホログラムが浮かび上がった。
『ようこそ、迷える子羊たちよ』
そこに映し出されたのは、優雅な椅子に腰掛け、ワイングラスを傾ける一人の美しい女性だった。
白銀の髪に、冷酷なまでに整った容姿――月面記憶銀行・最高管理者。
『地球のエラー体を連れて、わざわざ私の聖域までやってくるとは……愚かですね。ですが讃えましょう。あなた方は『完全な幸福』を理解する機会を得たのですから』
「ルクレツィア……ッ! サラの記憶を、地球のみんなの思い出をどこへやった!!」
アキが叫ぶと、ルクレツィアはクスリと可憐に微笑んだ。
『ここにありますよ。彼らが「生きるのに邪魔だ」と捨てた希望も、愛も、絶望も……すべてこの都市のエネルギーとして、美しく昇華されているのです』
ルクレツィアが指を鳴らすと、街の建物の壁面が一斉に透明化し、その内部が露わになった。
そこに詰め込まれていたのは――巨大なガラス管の中で流動する、数百万もの『煌めく記憶の記憶体』だった。
(第十三話・完)




