ゴブリンの試練 その三
両手いっぱいにエキドナ草を抱えて戻ってきたゴラッパーに、俺は笑顔で、両手いっぱいの土を手渡した。
「ふぉおおお」と分かりやすい雄叫びとともに、最高潮に達したゴラッパーの芋ラップは、「金・キラ・キンのグレートなオレ、辿り着いたゴールはゴールドで溢れ」とイモいフレーズから始まり、小一時間ほど止むことはなかった。
そして、頬を赤らめたフレイアが、目を塞いだ指の隙間からチラチラと俺を覗き見するという反応に困る事態も、同じ時間続いた。
怪物の棲む森で、まともな奴が自分しかいない――地獄のような時間を終えると、二体は揃って、無垢な赤子のような顔で首を傾げた。ゴラッパーは両手の土を不思議そうに眺め、フレイアはエキドナ草の水薬の山に目を丸くしている。どうやら何も覚えていないらしい。冗談ではない。だが、催眠剤を使ったのは他でもない俺である。自業自得とはこのことだ。
「ゴラッパー、よくやったわね」
「へ、へい。何だかすごいリリックを歌っていた気がしやす」
「……それはよかった」
一人、観客を務めていた俺にとっても、最高級にイモいライブだった。
「水薬はこれで足りそう?」
「そうね。これだけあれば……あとはゴラッパーの頑張り次第ね」
ゴラッパーが採取してきたエキドナ草から、二十本余りの水薬を作ることができた。フレイアのピンク色の視線を受けながら、ゴラッパーの芋ラップをBGMに、水の子がせっせと作ったものである。ちなみに、エキドナ草の水薬は緑色だ。青汁と思えば、身体にいいように見えなくもない。
「それじゃあ、用意もできたことだし、行きましょう」
「ま、またケルベロスのところでやんすか……?」
「違うわよ。あっちに行かせたのは、エキドナ草を採るため。本当の目的地はこっち」
フレイアは、ゴラッパーが戻ってきた道とは別の方角を指さした。ゴラッパーがホッと息を吐く。彼の中では、一心不乱にケルベロスから逃げてきた記憶で止まっているのだろう。地獄の番犬相手にノリノリでラップを披露していたと知ったら、どんな反応をするのだろうか。
「よかったでやんす」
向かう先にケルベロスはいない。しかし、どこを向いても禍々しい森であることには変わりない。喜ぶゴラッパーには悪いが、薬を大量に用意している時点で、行く先が安全な場所とはとても思えなかった。
「その先を抜ければもう、ユニコーンの森に出るわ」
「へい」
その先が問題だ。
◇
結論から言うと、思った通り、その先は安全な場所ではなかった。
「……なにあれ」
「クジョウは直視してはダメよ」
フレイアの声に続いて、俺の身体はオレンジ色のベールにすっぽりと包まれた。
このベールには見覚えがある。サラマンダーがドラゴンの長の寝床で、俺に纏わせたものと同じだ。攻撃を寄せ付けない効果がある――つまり、この場所には俺を攻撃してくる何かがいる。
「ひぃいいい――!」
「この中からなら、見ても大丈夫よ」
「あ、ありがとう」
「ひぃいいい――!」
「あの調子で向こうまで辿り着けるかしら」
ひっきりなしに悲鳴を上げるゴラッパーを見遣り、フレイアが無感動に言った。
付き添いの俺とは違い、試練に挑むゴラッパーに、炎のベールは掛けられていない。ゴラッパーは今、巨大な蛇の吐く毒から命がけで逃げているところだった。
「あれって、もしかして――」
「バジリスクね」
毒息を吐く蛇の怪物、バジリスク。
しかし、その恐ろしさは、空飛ぶ鳥を落とすほどの強力な毒だけではない。バジリスクは、魔眼の持ち主なのだ。サラマンダーを数倍邪悪にしたような赤い瞳に見つめられた者は、瞬時に死に至ると言われている。
「さ、さすがに無理じゃない? このままだと、ゴラッパー死んじゃうよ」
「大丈夫よ。バジリスクに致死作用はないもの」
「そうなの?」
魔眼が使えないのなら、まだ、ゴラッパーにも勝ち目はあるかもしれない。ゴラッパーの目的は、バジリスクを倒すことではなく、バジリスクの支配する森から抜け出すことだ。その先にあるらしいユニコーンの森が最終的な目的地である。戦う必要がないのなら、全力で逃げ切りさえすれば勝ちだ。
ゴラッパーは意外にも、バジリスクの強力な毒を器用な足さばきで躱している。逃走において、身軽さは武器だ。
このままいけば、何とか森を抜けることができるかもしれない。しかし、そんな淡い期待はフレイアの一言で粉砕された。
「その代わり、見られたら石になるわ」
「一緒じゃない!?」
石化した時点で心臓も止まるだろう。それを致死作用と言わずして、何というのか。
「言ってるうちにやられたわね」
「え……ゴラッパー!」
悲鳴が聞こえなくなったと思ったら、ゴラッパーが片足を浮かせた状態で石化していた。足元の毒を避けようとして、うっかりバジリスクと目を合わせてしまったのだろう。
「そんな……」
ゴラッパーが死んでしまった。
ゴブリンの長になるための試練がこれほど厳しいものだとは。
ゴラッパーは本当に、これでよかったのだろうか。仲間に距離を取られるのは、たしかに寂しいだろう。だが、命を失うことになってまで、試練に挑む必要があったのだろうか。
金貨を前にはしゃいでいた姿を思い出す。ノリノリで披露していた芋ラップ。もう二度と聴くことはできないなんて――。
「クジョウ、エキドナ草の水薬をちょうだい」
「え……?」
ゴラッパーとの思い出が走馬灯のように浮かんでいた俺は、フレイアの冷静な声で我に返った。促されるまま、ポケットから緑色の水薬を取り出す。
小瓶を受け取ったフレイアは橙色の炎に変化し、ゴラッパーの元に向かった。再び人型をとったフレイアの手により、石と化したゴラッパーの口元に、エキドナ草の水薬が注がれていく。
「……う」
見る見るうちに、石像に体温が戻っていく。
「あ、あれ……オレは……」
「ゴラッパー!」
ゴラッパーの身体が元に戻った。
ゴラッパーは、何が起きたか分からない様子で、首を傾げている。石化していた後遺症もないようだ。
「無事でよかった……」
俺は胸を撫で下ろした。
しかし、安堵の溜息を吐く俺をよそに、フレイアは敵意剥き出しのバジリスクに向かって、気楽な調子でゴラッパーの背中を叩いた。
「気が付いたわね。さぁ、気を取り直して再挑戦よ」
「へ? そ、そんな殺生な――!」
毒息溢れる地獄の森に、ゴラッパーの叫びが木霊する。フレイアは既に、俺の隣に帰ってきていた。
「エキドナ草はこのために?」
「ええ。バジリスクの森を無傷で抜けられるわけないもの」
「ひぃいいい――!」
再び悲鳴を上げながらゴールを目指すゴラッパーの勇姿を眺め、俺は頷いた。炎や水に変化できる精霊でもない限り、人間やゴブリンが単体で太刀打ちできる相手ではない。
「エキドナ草の水薬には、状態異常を回復させる効果があるの」
「だから石化が解けたんだ」
「ええ。でも、石化だけじゃないわ。バジリスクの毒は強力だから、上手く避けているつもりでも――ほら、ああなるのよ」
「ゴラッパー!」
今度は紫色の顔面をしたゴラッパーがブクブクと泡を吐き、痙攣している。
「クジョウ」
「う、うん」
俺は、隣から差し出された手に二本目の小瓶を渡した。瞬時に炎化したフレイアが、エキドナ草の水薬をゴラッパーに飲ませる。ゴラッパーの震えが止まり、顔色も元に戻った。
「はい、行ってらっしゃい」
「ひぃいいい――!」
フレイアが姿を消したのと同時に、バジリスクから新たな毒が放たれる。情けない悲鳴を上げてはいるが、ゴラッパーは際どい回避を見せた。あれほど強力な毒を食らっても、ダメージはまったく残っていないらしい。状態異常を回復する水薬――エキドナ草、恐るべしだ。
エキドナは、地獄の番犬ケルベロスや、ヒドラ、キマイラ、スフィンクスなど、未だに高い知名度を持つ怪物たちの母である。
ちなみに、この知名度がある限り、妖精の種が滅ぶことはないらしいので、ゴラッパーの芋ラップにやられたケルベロスを筆頭に、世にも恐ろしい面子は健在だということだ。絶対に会いたくない。
話は逸れたが、エキドナが生み出した子どもたちは、それぞれが凶暴な力を持っている。だが、それもエキドナにとっては、子どもの癇癪に過ぎない。怪物の暴力を無に帰す薬――エキドナ草。その名にふさわしい、絶大な効果があるようだ。
「クジョウ」
「ん?」
「次の水薬をちょうだい」
「あ、うん」
なんてことを考えている間に、ゴラッパーは奮闘も虚しく、再び石と化したようだ。小瓶を手にしたフレイアがゴラッパーの元に駆け付ける。
最初こそ心配したものの、水薬一つでゴラッパーの状態異常がすべて回復すると理解した今、目の前でゴラッパーが石になろうが、泡を吹こうが、俺はもう動じなかった。
流れ作業のようにフレイアに小瓶を手渡す。そして、フレイアもまた同じく、流れ作業のように無言で薬を受け取り、ゴラッパーを回復させて戻ってくる。
「ひぃいいい――!」
いつしか森に響くのは、ゴラッパーの上擦った叫び声だけとなった。
悲鳴を上げる非力なゴブリンが巨大なバジリスクに襲われている――趣味の悪い凄惨なショーにも関わらず、観客の俺とフレイアの表情に変化はない。
そして、なんともシュールな光景が続くこと、一時間あまり。
「……あ、ラスいち」
残り一本となった小瓶をフレイアが受け取る。サクランダケが可愛く見えるほど、毒々しい紫色で白目を剥いているゴラッパーに、フレイアが薬を注いだ。
「出口までもうすぐよ。頑張りなさい」
「ゴラッパー、あと少しだよ。がんばれ!」
「へ? ど、どうしたんでやすか、急に応援なんて……」
今まで死んだような目で見ていたくせに。口にはしないが、そう言いたげなゴラッパーの恨めしい視線から、俺とフレイアは揃って目を逸らした。
ゴラッパーの動揺を防ぐために言わないでおくが、エキドナ草の水薬はもうない。つまり、これ以上の攻撃を受ければ、ゴラッパーを元に戻す手段はないのだ。もちろん、そうならないように、万が一のときはフレイアがゴラッパーを連れて脱出する予定である。だが、そうなれば試練は失敗、ゴラッパーは、はぶられゴブリンとしてゴブ生を過ごすことになる。
「ほら、集中して!」
「ひぃいいい――!」
今のゴラッパーに俺たちを訝しんでいる余裕はない。バジリスクに待ったはないのだ。
「ひぃっ!」
「そうよ!」
「ひぃいっ!」
「その調子!」
「ひぃいいっ!」
「負けるな!」
「ひぃいいいいいい――!」
「……やった」
最後は転げ回りながら、ゴラッパーは毒息から逃げ切った。頭上には、眩いほどの光が差している。この一時間で寿命を使い果たしたゴラッパーが天に召される――わけではない。精霊の縄張りの境からここまで、陽の光すら届かない地獄のような風景が続いていたが、ようやく空が明るくなったのだ。
ゴラッパーはバジリスクの縄張りから脱出した。
仰向けになり、肩で息をするゴラッパーに駆け寄る。
「よくやったね、ゴラッパー!」
「へ、へい。やりやした、クジョウどの――!」
小瓶を入れていたポケットは、すっかり軽くなっていた。できるだけたくさん必要だと聞いてはいたものの、さすがに作り過ぎたかと思っていたが、杞憂だったようだ。
俺はゴラッパーと男の拳を合わせた。ケルベロスに怯まず、バジリスクに打ち勝ち、ゴラッパーは見事、試練を成し遂げたのだった。
「……ん?」
「さぁ、さっさと起きなさい」
「ひぃっ」
「本題はここからよ」
そうだった。ゴラッパーの試練は、一角草を採取することだ。ケルベロスやバジリスクは、通過点に過ぎない――明らかにこっちがボスキャラみたいではあるが。
しかし、嫌な性癖の持ち主と、地獄の番犬・毒蛇コンビのどちらが恐ろしいかと言われれば、ちょっと甲乙つけがたいような気もする。怖さの質が異なる。
「ちょっと待ってくだせい。フレイア様、少し休憩を……」
「そうだよね」
状態異常はすべて回復済みとはいえ、何度も毒を食らい石になり、森を駆け回って擦り減った体力までは回復していない。ゴラッパーは疲労困憊だ。
彼の気質なのか、ゴブリンの性質なのか、意外と調子のいいゴラッパーは、見ていないとすぐに手を抜いてしまう。だから、フレイアがゴラッパーのお尻を叩いているのは分かるが、さすがにこの状態で動くのは厳しい気がする。
「フレイア、ちょっとだけ……フレイア?」
「……気持ちは分かるけど、そんな余裕はなさそうなの」
助け船を出そうとした俺は、フレイアの顰め面を見て、口を噤んだ。
縄張りを出たエモノには興味がないのか、バジリスクは既に冥い森に引っ込んでいる。不自然なほどにくっきりと明暗が分かれた空――俺たちの頭上には、天上を思わせるほどの眩い光が差していた。
――その先を抜けたら、ユニコーンの森。
バジリスクの森を抜けた今、俺たちは既に、ユニコーンの森に足を踏み入れていた。そして、ユニコーンといえば。
「……男には容赦がない」
フレイアの言う通り、休んでいる暇はなさそうだ。




