ゴブリンの試練 その二
「妖精の中には、四系統に属さないものもいるのよ。この森から先は、そういう妖精たちの棲家――つまり、お兄さまやウンディーネたち、四大精霊の眷属以外が棲む場所ね」
「へぇ」
「そ、そうなんでやすか」
先を行くゴラッパーが、こちらを振り返りながら相槌を打つ。
デコボコに隆起した木の根蔓延る森を進む俺たちの先頭は、もちろん今回の主役であるゴラッパーだ。その後ろに俺とフレイアが、ほとんど横並びで歩みを進めている。
フレイアの説明によると、焦げ臭いゴラッパーが横になり、俺が水薬を手に入れたあたりまでが精霊の縄張りであり、今俺たちがいるこの森からは、ユニコーンをはじめとする、精霊の眷属ではない妖精たちの棲家が広がっているらしい。
言われてみればたしかに、光の性質を持つユニコーンを四大精霊の系統――火・風・水・土のいずれかに当てはめるのは難しい。
「クジョウはともかく、ゴラッパーも知らなかったのね……まぁ、試練でもない限り、ゴブリンの行動範囲は広くないものね」
「へ、へい」
「フレイアの炎で、精霊の縄張りの外に行くことはできないの?」
フレイアは、ゴブリンの洞窟からユニコーンの森へ一飛びしなかった。ユニコーンの棲家は、この禍々しい森を抜け、さらに進んだ先にあるのだという。
「できるけど、これも含めて試練かしらと思って」
「なるほど」
俺は大きく頷いた。フレイアの言う通りだ。
今回はたまたまフレイアが付いているが、過去、試練をクリアしたゴブリンたちは、自力でユニコーンの森まで辿り着いたはずだ。フレイアの力で簡単に一角草を手に入れてしまっては、ゴラッパーのためにならない。
長の責任感を醸成することも、試練の重要な役割なのだろう。現に、縄張りの境では出発を躊躇っていたゴラッパーだが、意外にもスイスイと先を行く後ろ姿は、頼もしく見える。試練開始とともに、腹を括ったようだ。
「でもほんと、用がなければ来たくない場所だよね……」
同じ森でも、ウンディーネやシルフィードの縄張りとは、まったく違う。入る前から禍々しさを感じていたが、予想に違わず、中は邪悪な空気が満ちていた。進路を妨害するように、容赦なく尖った枝を広げる木々も、油断すると躓きそうになるほど隆起している木の根も、どれも悪意を感じる。
しかも、この森に入ってから、空も暗くなった。まるで太陽の光が届かない冥界を想像させる暗さである。用があっても、一人では絶対に来たくない。
しかし、及び腰の俺に対して、前を行くゴラッパーの足取りは衰えない。今も勇敢な雄叫びを上げながら、頼もしい背中を見せてくれている。
「ひぃいいいいいい」
「……ん?」
と思ったら、泣きそうな顔をしたゴラッパーと目が合った。全速力でこちらに戻ってきている。
「け、けけ、ける、ける……」
「ど、どうしたの」
「目的地はあっちよ」
半狂乱のゴラッパーに驚く俺とは対照的に、フレイアは冷静そのものだ。さっさと戻れとばかりに、今しがたゴラッパーが駆けてきた方角を指している。
「むむむ、無理でやんす。け、ける、ける……」
「あぁ、ケルベロスね」
「えっ!?」
地獄の番犬ケルベロス。
三つの頭と大蛇の尻尾を持ち、首には無数の蛇を生やした巨大な犬の怪物である。地獄の入口で生者の侵入を拒み、死者の逃走を防ぐ強力な門番を務めている。
直前まで足取りも軽く歩を進めていたゴラッパーが、こんなにも取り乱した様子で戻ってきたのは、ケルベロスに遭遇したからのようだ。当然の反応である。俺でも同じことをするだろう。だが、フレイアは、「それがどうした」とでも言いたげに涼しい顔をしている。
俺はその姿に既視感を覚えた。ドラゴンの長を叩き起こした挙句、強制的に眠らせた暴君にそっくりだ。やはり兄妹分である。
「オ、オレは犬にも地獄にも用はないでやんす!」
「わたしだって猫派よ。用があるのは地獄でもケルベロスでもなくて、その奥よ」
「奥?」
「ケルベロスの奥に自生しているエキドナ草が必要なの。できるだけたくさん」
答えながら、フレイアは俺を見た。どうやら、そのエキドナ草で、水薬を作ろうとしているようだ。
「ケルベロスの向こうに行くなんて、ぜったいに無理でやんす――!」
「そんなことないわよ。ケルベロスには有名な弱点があるじゃない」
「……子守歌だっけ……?」
フレイアが頷いた。
地獄の番犬ケルベロスには、英雄の子守歌によって眠りにつき、冥界への立ち入りを許してしまった逸話がある。
フレイアは、泣きべそをかくゴラッパーをくるりと半回転させ、さぁ行けとばかりに、その背中を叩いた。
「アンタのラップの見せどころよ」
「ひぃいいい!?」
なんと、地獄の番犬を芋ラップで眠らせようとしている。
「本当に大丈夫……?」
成功するか否かはもちろんのこと、それで眠ってしまったケルベロスのプライドも心配だ。
案の定、ゴラッパーは大きく首を振った。
「大丈夫じゃないでやんす!」
「どうして? いつも通り、楽しく歌えばいいだけじゃない」
「そんな無茶な! こんな状況、全然心躍らないでやんす!」
「……たしかに」
ゴラッパーの特徴である芋ラップは、舞い上がっているとき――本人曰く、心躍るときでないと発動されない。ケルベロス相手にテンションを上げろと要求するのは無理がある。
「どうすれば――あ」
「どうしたの、クジョウ」
「何もケルベロス相手に舞い上がる必要はないんだよね。ゴラッパーは何を見たら心が躍るの?」
「へ? そ、そりゃあ、やっぱり金銀財宝でやんす」
「分かった」
ゴブリンの銀貨数十枚を既に返還してしまった俺に、金銀の手持ちはない。しかし、本物を用意する必要はないのだ。ゴラッパーが本物と認識し、心躍れば問題ない。
俺はポケットから、紫色の液体が入った小瓶を取り出した。サクランダケから作った水薬――催眠剤である。まさか、こんなに早く使い道が見つかるとは思わなかった。
「ゴラッパー、これを飲んで」
「へ、へい……うっ! ま、まずっ――!」
ぷーっ。ゴラッパーは盛大に薬を噴き出した。
水薬は美味しくなかったらしい。催眠効果がある時点で、薬というよりもむしろ毒のようなものだ。不味くても別に驚きはしない。
「もう、何してるのよ!」
少しは飲み込んでくれたようだから、効き目はあると信じよう。噴き出した水薬を被ってしまったフレイアは怒っているが。
「ゴラッパー」
「へ、へい」
「これを見て」
俺は足元の土を両手で掬い、ゴラッパーの目の前に掲げた。
「これが――?」
「よく見て。これ全部、金貨だよ」
「……へ……?」
さすがに無理か。
サクランダケの水薬にどれほどの催眠効果があるかは知らないが、黒い土を金貨に見せるのは、少々厳しかったかもしれない。しかし、次の作戦を考えるかと、両手を下ろしかけた俺の前で、小首を傾げていたゴラッパーの目つきが変わった。
「ゴラッパー?」
「き、金貨……両手いっぱいの金貨でやす……!」
「……あっちにエキドナ草があるんだけどさ」
「クジョウどの、金貨がこんなに――!」
「エキドナ草を採ってきたら、これ全部、ゴラッパーにあげるよ」
ゴラッパーは俺の両手と森の奥を見遣り、ごくりと喉を鳴らした。その先には、自らが一目散に逃げてきた、地獄の番犬が控えている。
怪物か、金銀財宝か。
ゴラッパーの脳内で、結論が出たようだ。
「――持て余すほどのゴールド、夢のようなフィールド、ここがオレのワールド!」
「行ってらっしゃい」
絶妙にダサいラップを口ずさみながら、ゴラッパーの背中が遠ざかっていく。
地獄の番犬相手に芋ラップがどこまで通用するのか、健闘を見届けたいところではあるが、ビビりのクジョウにケルベロスを直視する勇気はない。
「俺たちはここで……フレイア?」
そういえば、噴き出したゴラッパーを一喝して以降、フレイアの声を聞いていない。
「だ、大丈夫? もしかして――」
「クジョウ、急にそんな……」
「え、なに?」
フレイアがトロンとした目で俺を見ている。頬も上気しているようだ。
「『おれを見て』なんて、そんな……」
「え?」
「『よく見て』なんて、急にどうしたの……」
きゃあ、と可愛らしい声を上げて、フレイアは自身の両目を塞いだ。
明らかにフレイアも催眠に掛かっている。そして、フレイアの目に映る俺は一体、どんな姿をしているのだろう。モザイク処理が施されていないことを祈る。
「ゴブリンラップでゴールドラッシュ!」
絶好調の芋ラップを遠くに聞きながら、俺はなぜか、フレイアの見る幻覚で辱めを受けていた。




