ゴブリンの試練 その一
人間とゴブリンと準精霊。
奇妙なトリオが一角草の採取を目指す旅路は、出発から一分も経たないうちに躓いていた。
「う、うぅ……」
「大丈夫?」
「骨は拾ってくださいでやんす……」
すっかり失念していたが、ゴブリンは土の眷属なのだ。炎の耐性はない。フレイアの炎で洞窟から移動した俺がまず目にしたのは、何やら禍々しい雰囲気の森ではなく、焦げ臭いゴラッパーの姿だった。倒れ込むように地面に横たわり、死期を悟ったような顔をしている。
サラマンダーには及ばないとはいえ、フレイアの炎も十分な火力がある。炎に耐性のない妖精がまともに食らえば、瀕死の重傷を負っても不思議ではない。
ゴラッパーは静かに目を閉じた。無事に試練をクリアし、一角草片手に芋ラップを口ずさみながら凱旋する――そんな夢を見ているのかもしれない。俺は切ない気持ちでゴラッパーの傍らに膝をついた。しかし、フレイアに肩を掴まれ、すぐさま立ち上がる。
フレイアはゴラッパーを悼むどころか、呆れたような顔をしていた。
「大袈裟ね。しっかりしなさい。大して痛くもないはずよ」
「――あ、あれ? ほんとだ。大丈夫でやす」
「え、痛くないの?」
ぱっちりと目を開けたゴラッパーがむくりと起き上がる。全身からプスプスと煙が上がってはいるが、どうやら本当に痛みはないらしい。
「ウンディーネの分身がいるのに、火傷するはずないじゃない」
フレイアは俺の右肩で揺れる水の子を見遣った。
当たり前の話だが、精霊に準ずるものよりも、精霊の力の方が強い。ましてや、ウンディーネとフレイアは相克の関係だ。つまり、水は火よりも強い。水の子が一緒にいれば、たとえ炎に耐性のない妖精であっても、フレイアの炎に焼かれることはないということだろう。少々の焦げはご愛敬のようだが。
「さっさと立ちなさい」
「ひいっ」
「アンタね……」
別に睨まれたわけでもないのに、怯えたように飛び起きたゴラッパーは、そそくさと俺の後ろに隠れた。見咎めたフレイアがゴラッパーの腕を掴み、引きずり出す。
「これは誰の試練なの? アンタがやる気出さなきゃ意味ないでしょ」
「へ、へい。すいやせん」
焦げ臭いゴラッパーに同情はするが、フレイアの言うことはもっともである。このトリオ道中の目的は、ゴラッパーが長になる試練をクリアすることだ。俺とフレイアは協力者に過ぎない。いつまでも俺の背中に隠れていては、一角草を採ることなどできないだろう。
「俺もできる限り協力するから。まずはゴラッパーが先陣を切らなきゃ」
「そうよ。わたしたちが付いてるなんて、アンタ相当運がいいんだから、もっと胸を張りなさい」
「へ、へい!」
フレイアに喝を入れられ、ゴラッパーはぐっと背筋を伸ばした。たしかに、協力者に準精霊がいるのは相当運がいい。妖精に課された試練を格上が手伝ってくれるのだ。逆に言えば、これでクリアできない試練ならば、難易度の設定がおかしいと言わざるを得ない。
ゴラッパーの気合いも入り、いよいよ森へ踏み出すか――と思いきや、フレイアが俺に問い掛けた。
「ところで、クジョウは水薬を作ったことはある?」
「え? いや、ないけど……」
質問の意図が分からない。ゴラッパーの試練に、俺の水薬作りの経験がどう関係しているのだろうか。薬剤師でもない俺に、薬を調合した経験などもちろんない。
俺の顔には、さぞ大きな疑問符が浮かんでいたことだろう。しかし、フレイアは特段気にした様子もなく、「そう」と一言呟くと、正面に広がる森の入口あたりで、紫色のキノコを一本採取し、戻ってきた。
どう見ても毒キノコである。そして、聖獣であるユニコーンの棲家にしては、目の前の森は、あまりにも禍々しいオーラに包まれていた。
「サクランダケよ」
「……サクランダケ」
「食べると錯乱状態に陥るわ」
「へぇ……」
名前のとおりの親切な毒キノコである。
「あげるわ」
「えっ」
フレイアがサクランダケを近づけてくる。俺は生まれて初めて、異性から差し出された手を払いそうになった。
「く、食えってこと……?」
「ひぃい……」
フレイアの凶行に、後退る俺と青褪めるゴラッパー。フレイアは「失敬な」と言わんばかりに鼻を鳴らした。
「もう! そんなわけないでしょ。アンタも、妖精だったら意味くらい分かるでしょ!」
「へ? あ、ああ、水薬でやすか」
「そうよ」
「どういうこと?」
ゴラッパーには意味が通じたようだが、俺にはさっぱりだ。
「はい、クジョウ」
「……う、うーん」
フレイアがもう一度、今度は両手で優しく包んだサクランダケを手渡してくる。だが、俺が受け取りを躊躇ったのは、渡し方の問題ではない。ブツの問題だ。アーモンド形の目に邪気なく見つめられても、毒キノコを受け取る気にはなれない。
そんな様子を見かねたのか、ゴラッパーが助け船を出してくれた。
「ク、クジョウどの、それは触っても大丈夫でやす」
「そうなの?」
「フレイア様は、それでクジョウどのに水薬を作らせたいんでやす」
「そうなの?」
最初の確認はゴラッパーに、二回目はフレイアに向けたものだ。二体は揃って、こくんと頷いた。
「……それじゃあ、ゴラッパーを信じて――」
フレイアの手から、恐る恐るサクランダケを受け取る。
どこからどう見ても毒キノコだ。素手で採取したフレイアが無事なのだから、問題はないはずだが、念のため、身体の隅々に意識を集中させてみる。手足の痺れはない。呼吸も脈も正常だ。ゴラッパーが、男が放っておかないイケイケの女の子に見えてもいない。つまり俺は錯乱していない。
「これで水薬を作るの?」
「ええ。といっても、今のクジョウがすることはほとんどないけど」
「うん?」
フレイアは俺の右肩でゆらゆらダンスをしている水の子を指さした。
「サクランダケをウンディーネの分身に渡して」
「え――うん」
言われた通り、水の子を左の手のひらに移し、右手に持っていたサクランダケを差し出す。
「水薬にしてほしいってお願いすれば、できるはずよ」
「……水の子、これを水薬にしてほしいんだけど、お願いできる?」
水の子は返事をしない。
しかし、ヒトデのような形の両手にあたる部分でサクランダケを掴み、そのまま静かに自身に吸収させていった。一瞬で溶解したのか、サクランダケはもう見えない。水の子が両手部分を合わせ、合掌のようなポーズをとる。
その後、開いた手のひらから、一本の小瓶が現れた。俺の小指ほどの長さの瓶に、紫色の液体が入っている。
「クジョウ、受け取って」
「うん。水の子、ありがとう」
小さな瓶を手に取ると、水の子はぴょんとその手に飛び乗り、いつものように腕を伝って、定位置である右肩に落ち着いた。
「これがサクランダケの水薬なの?」
キノコのときと同じく、身体によくなさそうな紫色である。水薬というからには、飲めば何らかの効能があるはずだが、元は錯乱状態を引き起こす毒キノコだ。ポジティブな効果があるとは思えない。フレイアが頷いた。
「飲めば催眠効果があるわ。幻覚を見るのよ」
「……なんでそんなものを……」
水薬というより、毒薬である。なぜわざわざ、出発前にそんなものを作らせたのか。
フレイアは、ひらひらと片手を振った。
「誤解しないで。催眠薬が欲しかったわけじゃないの。水薬の材料になれば、なんでもよかったんだけど、最初に見つけたのがサクランダケだっただけよ。この後、水薬を作る場面が出てくるから、クジョウに作り方を覚えてもらおうと思って」
「そうなんだ」
つまり、催眠薬作成はデモンストレーションであり、このトリオ道中に毒薬の出番はないわけだ。俺はほっと胸を撫で下ろした。
「その薬はクジョウが持っていればいいわ。何かのときに使えるかもしれないし」
「……使うかな」
フレイアはさらりと言うが、あちらの世界で他人に使用すれば、捜査機関に連行される代物である。とはいえ、せっかく水の子が作ってくれたものだ。今のところ、使い道があるとは思えないが、捨てることもできない。俺はサクランダケの水薬をポケットにしまった。
「今、水薬を作れるのはクジョウだけだから、次もクジョウにお願いするわね」
「俺が水の眷属だから?」
催眠薬のデモから分かる通り、水薬を作るには水が必要だ。炎のフレイアや土の眷属であるゴラッパーには、水を出すことはできない。
しかし、そうではないらしい。フレイアは言った。
「ウンディーネの分身がついているからよ。水薬を作るには、ウンディーネの祝福を受けた水が必要なの。それがあれば、別に水の眷属じゃなくても、薬は作れるわ」
「じゃあ、今はその水がないから――」
ウンディーネの祝福を受けた水。それさえあれば、フレイアとゴラッパーにも水薬を作ることはできる。だが、今の二体には手持ちがない。もちろん、俺も持っていないが、俺には水の子がついている。ウンディーネの分身である水の子は、ウンディーネが祝福を授けた水にも劣らない――どころか、より精霊本体に近い純度を持つはずだ。
この水薬作りにおいて、「今の俺がほとんどすることはない」と言われた理由が分かった。ウンディーネの祝福を受けた水で薬を作る場合は、調合も撹拌もすべて自分でやる必要があるのだろうが、水の子がいる今は、お願いするだけで事足りる。
もちろん、意図して分身に話しかけたことは、聞く耳を持った本体が叶えてくれているから、ウンディーネにも伝わっているだろう。つくづく、水の精霊がサラマンダー君でなくてよかった。
「そういうことね。それじゃ、準備も済んだし、行きましょうか」
「うん」
「ゴラッパー、アンタが先頭よ」
フレイアがゴラッパーの背中を押す。今度こそ本当に出発か――と思いきや、ゴラッパーは両足を踏ん張り、フレイアの圧に耐えている。
「ちょっと待ってほしいでやんす!」
「なによ。まだ決心がつかないの?」
「そ、そうではなくて……」
「どうしたの?」
「早くしなさい」
「オ、オレの試練は一角草を採りに行くことでやんす! でも、ここはユニコーンの森じゃないでやんす――!」
ゴラッパーは、正面に広がる禍々しい森に向かって、震える指を伸ばした。
「え。違うの?」
たしかに、俺も初めて見たときから、聖獣の棲家にはふさわしくないオーラが漂っていると思っていた。そもそも聖なる森に、サクランダケのような毒キノコが生えるのだろうか。
俺たちをここに連れてきたのは、フレイアだ。俺とゴラッパーの視線を受けたフレイアは、「何をいまさら」と言わんばかりに、澄ました顔をしている。
「そうよ。ここはユニコーンの森じゃなくて、精霊の縄張りの境よ」
「――ひぃいいい!」
さぁ行きなさい、と、有無を言わせず、今度は両手で勢いよく押されたゴラッパーは、いつもの情けない悲鳴を上げながら、禍々しい森への一歩を踏み出したのだった。




