とんだ濡れ衣
しゅんとした様子のゴブリンが一体、洞窟の入口に佇んでいる。時折、チラチラと上目遣いにこちらを窺っている。
明らかに声を掛けてほしそうだ。
そういえば、ピクシーの里の一幕でも、洞窟の崩落劇でも、俺がゴブリンと話す機会はなかった。俺にゴブリンの知り合いはいない。しかし、さきほどのレプラコーンのように、一方的に俺を知っている可能性はある。なにせ、クジョウはノーム様の恩人だ。崖っぷちのジャーナリストもどき改め、眷属最弱の男が随分と出世したものである。
それにしても、出入口の隅で、もじもじとした相手に待ち伏せされるとは、なんだか学生時代の校舎を思い出すなぁと笑みを浮かべ、俺は背筋が寒くなった。
「ない、ない……!」
クジョウにそんな青い春など、あろうはずがない。
恋愛経験値の未取得をここまで貫くと、記憶の改ざんまでナチュラルにできるようになってしまうのか。人間って怖い。
思わず、皿を数える怪談のようになってしまった。一枚足りないどころか、青春の一ページもない。
「に、人間どの……?」
「怖がらせてごめん。怪しい者じゃないから」
貞操を守る男の宿命と戦っていた俺は、世にも恐ろしい百面相をしていたらしい。ゴブリンに後退りされた。顔の筋肉だけで、ゴブリンを怯えさせた人間もそういないだろう。
なぜ、待ち伏せされた側が誤解を解こうとしているのかは、自分でもよく分からないが、気付けば俺は、どう考えても怪しい人間が口にする常套句をゴブリン相手に披露していた。
こうなったらもう、沈黙が怖い。ひとまず、自己紹介で警戒を解こうと試みる。
「俺はクジョウ。誰かと待ち合わせしてるの?」
ナンパのようなセリフが口を出た。
「い、いや……」
明らかに逆効果だった。ゴブリンは相変わらず怯えたような顔で、キョロキョロと視線を彷徨わせている。俺と目を合わせることに、躊躇いを覚えているようだ。
それはそうだろう――ゴブリンをナンパする人間など、聞いたことがない。クジョウは間違いなく、ヤバイ奴に認定されつつあった。
ちなみにこれまで、俺はナンパなどしたことがない。あれば、恋愛経験値1くらいにはなっているはずである。まさか、記念すべき第一回目がゴブリン相手になるとは――人生は何が起きるか分からない。そして、この状況をどう打破すればよいのかも分からない。
とりあえず距離を詰めようと、ゴブリンに向かって一歩踏み出す。
「ぎゃっ」
「わっ」
怖がられた。そして、怖がられたことに俺はビビった。
これが小心者の真骨頂である――というおちゃらけはさておき、このままでは埒が明かない。なおも落ち着かない様子のゴブリンを前に、俺はちょっと途方に暮れた。
俺にナンパの技術が備わってさえいれば。
「女性との近付き方を勉強すべきかな……」
「……あ」
「え?」
ゴブリンが何かに気付いたように目を見開いた。てっきり、俺の呟きに反応したのかと思ったが、違う。ゴブリンは俺の後方を見ていた。
「クジョウ!」
「――フレイア?」
少し舌足らずな少女の声に振り返ると、炎の準精霊が立っていた。
「ぐ、偶然ね!」
橙色の巻き髪を払いながら、フレイアが近付いてくる。
「この間はありがとう。フレイアはケット・シーに会いに行くところ?」
土の縄張りには、ニャン太郎――黒猫の妖精、ケット・シーの王国があるらしい。フレイアはケット・シーに会うために、この地を訪れていると話していた。
ノーム救出にフレイアが関わることになったのも、元を辿れば、ケット・シー王国に出入りしていたフレイアが、ここでゴブリンと出会ったことが始まりだった。
「そ、そうね。まぁ、そんなところかしら」
「トンガリ耳選手権はできた?」
「ええ。ノーム様が土の縄張りにピクシーを招待してくれて、とても盛り上がったわ」
「へぇ。俺も見たかったな」
一度は祭りを台無しにされ、険悪な仲となってしまったピクシーとゴブリンだが、合同開催の選手権が盛り上がったのなら、少しは関係も修復されただろう。眷属の憂いが晴れれば、シルフィードの怒りも落ち着いたはずだ。
俺があちらの世界で立ち回っている間に、こちらでは、精霊たちが後始末を担ってくれていた。こうして、俺がすんなりと土の縄張りに来られたのも、大地の唸りが引き起こした様々な影響を彼らが元に戻してくれたからだ。さすがは四大精霊である。
そして今は、その精霊に準ずるもの――フレイアに、俺は内心拍手を送っていた。
ここでフレイアに会えてよかった。フレイアが一緒なら、ゴブリンの誤解を――ナンパ男への警戒を解くことができる。邪悪な笑みを浮かべていたウンディーネは残念がるかもしれないけど。
とにかく、これで話が進みそうだ。俺はホッと息を吐いた。ここに来たのは、ゴブリンを怖がらせるためではない。銀貨を返すためだ。
「クジョウ、ちょっと言いにくいんだけど……」
「ん?」
ところが、再会の挨拶を終えると、フレイアは声を潜め、何とも言えない顔で言った。
「そのゴブリンは雄よ」
「……うん」
前言撤回。もっとややこしいことになった。
◇
「クジョウがゴブリンに声を掛けたわけじゃなかったのね」
「いや、まぁ、挨拶はしたけど」
洞窟の中である。
崩落などなかったかのように、すっかり元通りになった通路で、俺とフレイアはゴブリンを待っていた。フレイアの炎が照らす先では、これまたすっかり元通りの宝物庫で、俺が手渡した銀貨をゴブリンが木箱に納めている。
ちなみに洞窟の復旧は、ドワーフでもゴブリンでもなく、ノームが直々に行ったらしい。さすがは土の大精霊、一瞬で元通りになったそうだ。
俺は、「雄ゴブリンをナンパしたとってもヤバイ奴」の誤解を解き、ここに来た目的を二体に話した。土の眷属らしく、ゴブリンは布袋に詰まった銀貨に目を輝かせたものの、なぜかその場を動こうとしない。
フレイアは首を傾げたが、俺はゴブリンのもじもじとした様子を思い出し、一緒に宝物庫に行くことを提案した。ゴブリンには、何か話したいことがあるようだった。銀貨をしまいに行く間に、俺とフレイアがいなくなってしまうのではと思い、動けずにいたのだろう。
話は道中聞いてもよかったのだが、金銀を手にすると、ソワソワ落ち着かないのは人間もゴブリンも同じらしい。まずは、銀貨を納めようということになった。
「へい。クジョウどのは、『オラのオーラでビビらせちまって、ゴ・メ・ン。オラはクジョウ、キミは無情にも誰かとデート!?』と挨拶してくれやした」
「ちょっと待った!」
誰だ、その芋っぽいラッパー。
記憶の改ざんが凄まじい。俺の比ではない。だが、俺の言葉がそう聞こえていたのなら、あの怯えようは納得である。俺は、「雄ゴブリンを聞くに堪えない芋ラップでナンパした、めちゃくちゃヤバイ奴」に見えていたことだろう。でも違う。そのラッパーは俺じゃない。
思わず、辺りに反響するほど大きな声を出してしまったからか、数体のゴブリンが様子を見に来たが、何も言わずに踵を返していった。
「クジョウ……」
フレイアは、道端に吐き捨てられたガムを見るような目をしている。
とんだ濡れ衣だ。
「ちょっと待ちたまえ、ゴブリン君。これは俺の尊厳のためにしっかり確認しておこう。俺が言ったのは、『怖がらせてごめん。俺はクジョウ。誰かと待ち合わせ?』だったと思うんだけど、どうかな」
「へい。そうでした」
「さ、さっきのは――?」
「大体同じ意味でやす」
「そうかな!?」
固まる俺とフレイアを後目に、銀貨を納め終えたゴブリンは、一仕事終えたような達成感を顔に浮かべ、額を拭う仕草をしている。
言葉は、発信者の口を出た瞬間から、受け取る側に解釈が委ねられる。元ジャーナリストもどきも、そのくらいは理解している。だから、俺の言葉を大体同じ意味に変換したゴブリンの言い分は間違っていない――のか?
否、それにしても、翻訳されすぎでは――まさかこれも妖精の理屈とは言うまい。
「いや、でも……」
「クジョウ」
フレイアと目が合う。どうやらフレイアは、一足早く「オラ、クジョウ」の衝撃から立ち直ったようだ。
「ゴブリンに悪気はないわ。きっと銀貨をもらって、舞い上がってるのよ」
「うん……」
舞い上がった結果、恐ろしい芋ラップ翻訳を起動されては堪らないのだが。
心の整理はつきそうにないが、ここはフレイアの誤解が解けただけでも、良しとしよう。




