靴職人との出会い
他の精霊の縄張りに入るときは、前もって疎通をしておく。
サラマンダーやシルフィードはともかく、ウンディーネに関しては、この約束事は絶対で、分身にも適用される。水の子を伴った俺がすんなりと土の縄張りに到着したということは、今回はノームに連絡がとれたのだろう。大地の唸りが止んだ今、おやすみモードの小さな翁の身動きが取れなくなる事態は発生していないようだ。
「ゴブリンの棲家は――」
さすがに目的地がはっきりしているだけあって、今回はちょっとした山登りの必要はなかった。数メートル先に、フレイアと発見した山の洞穴、ドワーフが拵えたトンネルがある。ゴブリンたちは変わらずそこにいるようだ。
崩落した宝物庫はどうなったのだろうか。ゴブリンに土を整える技術はないと聞いたが、宝への執着はある。宝物庫はゴブリンにとって、棲家の中で最も大切な場所のはずだ。不器用ながらも、熱心に繕っているのではないか。
案外、もう元通りに復旧しているかもしれないと、洞穴に向かって足を踏み出した、そのとき。
コンコンコン。
「ん?」
何か硬い物を叩く音が聞こえ、俺は足元に目を遣った。
「よう、旦那。調子はどうだい」
赤い帽子に革の前掛け――立派な顎髭を蓄えた小さな老人が、使いこまれた工具で俺の靴を叩きながら、ニカッと陽気な笑顔を見せた。
「え……レ、レプラコーン?」
「おうおう! さすがはノーム様の恩人だ。オイラのこともご存知とは、頭が下がるぜ」
「は、はじめまして」
おう、と俺の挨拶に片手を上げて答えたレプラコーンは、すぐさま俺の靴に視線を戻し、眉間に皺を寄せた。
「だがよう、そんなナイスな恩人殿が、なんだってこんなボロ靴を履いてやがるんだ」
「あ、これはワイバーンの……」
サラマンダーの不始末により、内で火の子が暴れていたワイバーンが吐き出した火球。初めてこの世界を訪れた日に、爪先を焦がされてしまった靴だ。買い替えなければと思いつつ、なんだかんだ、そのままになっていた。
レプラコーンは、誇り高き猫の王族、ケット・シーの仕立ても引き受けるような職人だ。焦げた靴を履くなんて、信じられないのだろう。
しかし、この世界では何が起こるか分からない。ほんの数回の渡航で、ワイバーンの火球の他にも、海底への旅路や土の崩落、泉への着水が待っていた。新品の衣服や靴を揃えたところで、どうせすぐに汚してしまう。眷属最弱を自負するクジョウに、この世界で格好をつける余裕はない。
爪先が黒焦げであることを除けば、大きな問題はない。俺にはこの靴で十分だったのだ。
「何言ってやがるんだ。焦げちまったら、靴とは呼べねぇよ」
「まぁ、そうなんだけど……でも、何を履いてもダメにしちゃうだろうし」
どんなに高性能なアウトドアブーツもトレッキングシューズも、異世界仕様ではない。さすがに、幻獣の火球を食らうことなど想定していないだろう。
「オイラが作ってやってもいいぜ」
「え?」
「サラマンダー様の焔はちと無理だが、ちょっとした無茶に付き合うくれぇなら余裕よ。どうだ、旦那。新しい靴が欲しくはねぇかい」
ニカッ。陽気な笑顔のレプラコーンが、下から俺を見上げている。
妖精界の靴屋さんが俺の靴を――?
レプラコーンの作る靴なら間違いなく、こちらの世界仕様だ。あちらで購入した靴よりは――否、爪先が黒焦げの靴よりは、遥かにこの世界の探索に向いているだろう。
しかし、あいにく俺には、手持ちがない。レプラコーンは、財産への執着が強い妖精だ。ウンディーネですら、彼らをケチと評していた。靴を仕立てるときは、代金と引き換えなのだと。
「魅力的な提案なんだけど、今、手持ちがなくて――」
高名な靴職人の申し出はありがたいが、先立つものがなければ購えない。
「あ?」
だが、レプラコーンは睨むように俺を見た。まるで、嘘を吐くなとでも言わんばかりだ。
「旦那、そりゃあねぇよ。手持ちがないって? その袋の中身はなんだい」
「え?」
「そいつは銀貨だろうよ。カネの匂いがプンプンするぜ」
「……あぁ」
なるほど。
レプラコーンが俺に声を掛けてきた理由が分かった。本人の言う通り、カネ――ゴブリンの銀貨の匂いを嗅ぎ付けて、近寄ってきたのだろう。
しかし、レプラコーンには悪いが、この銀貨を支払いに充てるわけにはいかない。
「これはダメなんだ。ゴブリンに返さないといけないから……」
不運にもあちらの世界に流出してしまったものだが、返す方法がある以上、持ち主のゴブリンに返還すべきだ。拾ったお金は届けるのが世の習い、親の教えである。
「チッ」
レプラコーンはあからさまに嫌な顔をした。舌打ちが聞こえた気がしたが、気のせいということにしておこう。クジョウは平和を愛する男だ。笑顔でスルーする。
「旦那は随分、物持ちがいいと見える」
露骨な嫌味である。
平和主義者の微笑みが、ノーガードでぶちのめされた瞬間だった。
レプラコーンは、挑発するように眉を持ち上げている。クジョウは、平和主義者が絶滅危惧種と化した無常を垣間見た気がした。
俺が言うのもなんだが、仮にも「ノーム様の恩人」への態度ではない。だが、レプラコーンの気持ちも分からなくはない。この世界で、銀貨をぶら提げたクジョウほど、いいカモはいないだろう。なにせ最弱である。商売を持ち掛けるより、奪う方が容易いとすら言える。そんなカモで企んでいた一儲けが皮算用と化したら、舌打ちもしたくもなるだろう。
こんなことなら、殴って奪えばよかったと――いや、思ってほしくはないが。
「代金が用意できたら、ぜひお願いするよ」
「ホントかい?」
「うん。俺も新しい靴が欲しかったんだ」
ヘソを曲げた妖精を侮ることなかれ。
あの愛らしいピクシーですら、惨い伝説が語り継がれているほどだ。ケチな靴職人であっても、機嫌を損ねるのは得策ではない。せっかく持ち掛けてくれた話をただ断るだけでは、誠意がないと見做されてしまうだろう。それに、レプラコーンの作る靴が素直に欲しい。
穏やかな関係構築と寂しい懐の妥協点は、オーダーの確約で落ち着いた。
「ちなみにお代って――?」
名工の手によるものだから、相場より高く見積もって、銀貨四、五枚だろうか。
俺の国では、既製のスーツが一揃いは買える金額だ。
だが、レプラコーンの口から飛び出た言葉に、俺は耳を疑った。
「金貨一枚ってところだな」
「え?」
「旦那の懐なら余裕だろ? それじゃ、カネが用意できたら、ここに来な」
「え、いや、ちょっと――」
足元見すぎじゃない?
ニカッ。
俺の抗議を待たずして、顎髭の靴職人は、いい笑顔を残して去っていった。
金貨一枚の靴なんて、庶民の買い物ではない。四畳半住まいの俺には、とても用意できる金額じゃない。銀貨の詰まった袋を見て、俺の財力を勘違いしたのだろうが、先般言っているとおり、これはゴブリンに返すものだ。俺の手元には一枚も残らない。
「……もうしばらく、お世話になるよ」
買い替えの日は遠そうだ。
傷付いた身体で俺を運んでくれる愛靴は、何も言わない。これを献身と捉えるか、働かせすぎと捉えるかで、経営者の良し悪しが決まる。
「現場の過酷さは分かってるんだけど、予算がないんだ」
クジョウは良くない方だった。
「……いつになるかな」
あの様子では、近いうちに催促がありそうだ。だが、いくら期待に応えたくとも、無い袖は振れない。
幸いにも、俺一人でこの地を訪れることはない――水の子やフレイアがいなければ、移動手段がない――し、約束の履行が遅いからといって、まさか攻撃されることはないだろう。俺は期限を定めてはいない。
いつになるかは分からないが、せっせと金貨一枚分の蓄えを拵えるとしよう。
「……ん?」
気を取り直して、ゴブリンの棲家――洞窟に向かって足を進めようとした俺は、またしてもその場に立ち止まった。




