エピローグ 保護者一同より愛をこめて
素晴らしいタイミングで部屋に流れ込んできたのは、この国の捜査機関だった。
ついさきほどまで命の危機に瀕し、緊迫していた空気が嘘のように、捜査関係者がとっかえひっかえ部屋に入ってくる。俺は、ジングージが縛り上げられ、爆弾が撤去される様子を眺めつつ、医師によるチェックを受けていた。
「うん。どこも問題なさそうですね」
「どうも、ありがとうございました」
刃物を突き付けられ、奴に拘束されていたアリシアさんは、俺よりも丁寧に別室でチェックしてもらっている。身体に傷がなくとも、精神的なダメージもあるはずだ。
それにしても、この国の捜査機関が、こんなにも大々的に突入してくるとは予想外だった。パスティアがよく許したものだと思っていたら、どうやら匿名で、爆弾騒ぎの通報があったらしい。俺の連絡ツールの通信は切断されていた。爆弾が持ち込まれていることは、ネスタ社のラボも知らない。
通報したのは、監視カメラで映像を確認したパスティア諜報部だろう。
ジングージは、このホテルの監視システムに気付いていた。そして、ネスタ社がそれを無効化したことも。だが、それはあくまでも、潜入時間を稼ぐための一時的なものだ。パスティアのエンジニアによる復旧は速かった。しかし、ジングージはシステムが壊されたと思い込んでいた。この部屋でのやりとりが見られているとは、思っていなかったのだろう。
結果として、パスティアによる通報でジングージは逮捕された。
爆弾騒ぎは想定外だったが、システムを無効化するに留め、あえてパスティアに復旧させたことが幸いしたわけだ。ヴェスパとメノウのお手柄である。
そして、導火線の火を消したことについては、ポケットに放り込んだ海パンが一役買ってくれた。
プール上がりの海パンを無我夢中で絞ったら、水が出た――この説明で納得してくれたのは、俺のちょろ水の威力が本当に申し訳程度しかないことを物語っている。
しかし、奇跡的に、ジングージには天板の下にいた俺の姿は見えていなかったし、パスティアの監視カメラにも映っていなかったはずだ。警備員が妙な視線を向けてくることもない。何より、捜査機関の突入が火消しの後だったのは、本当に素晴らしいタイミングだった。
「クジョウさま」
「アリシアさん。身体は平気ですか? ケガは――」
「なにもありません。クジョウさまが一緒でしたから」
「いや、ぼくは――」
「爆弾が止められたのは、クジョウさまのお力です。命を救っていただきました」
別室でのメディカルチェックを終えたらしいアリシアさんが、俺の隣に腰を下ろした。
華奢な両手が俺の手をとる。武骨な手を包み込んだアリシアさんの両手は、少し震えていた。
「……アリシアさん」
ジングージの前では気丈に振る舞っていたが、刃物に爆弾だ。怖くなかったはずがない。
「もう大丈夫ですよ」
アリシアさんの手を解き、俺の両手で包み直す。
「……はい、クジョウさま……」
震えが止まった。
もう大丈夫そうだ。俺はゆっくりと両手を開いた。いつまでもアリシアさんの手を握っているわけにはいかない。女性慣れしていない俺にとっては、こんな状況でも、ドキドキが止まらないのだ。
しかし、離そうとした俺の手を再びアリシアさんが掴んだ。
「え……」
蜂蜜色の煌めく瞳が俺を見上げている。
「クジョウさま、わたくし――廊下でお会いしたときから、ずっと申し上げたかったことがございます」
「は、はい。なんでしょう」
アメジストの髪が揺れる。アリシアさんの甘い香りが鼻腔を擽った。
「その濡れた髪――とても素敵です」
そして俺は、人生二度目の――ほっぺにちゅーをされたのだった。
DOKIDOKIが止まらない。
◇
卒倒するかと思った。
「……ふう」
ちっとも成長していないクジョウの純情はさておき、ネスタ社である。
あれから三日。
爆弾騒ぎの現場に居合わせた俺は、ゴードン・ライトへの報告を含む諸々の後始末をキリハラさんとゼスタリアさんに任せ、捜査機関の取り調べに協力した。ノーム救出から動きっぱなしの身体を労わるため、一日ゆっくり休みをいただき、たった今、猫足くんに腰を落ち着けたところだ。
ここで初めてのラボミーティングを開催したのが、既に懐かしい。
色濃い数日間だった――否、ネスタ社に招かれたあの日から、毎日が濃い出来事の連続だった。ちょっと前まで背筋も曲がり、溜息ばかり吐いていた俺からは考えられない。
捜査機関から返却されたウンディーネの守り石は、すぐさま、ネスタ社の保管室に運ばれた。水の石が正しく祀られた瞬間、共鳴するかのように、すべての石の輝きが増したが、変化はそれだけだった。
ウンディーネと契約したときのことを思い出す。どうやら精霊たちは、儀式めいたことに時間を費やす気はないらしい。
とはいえ、少しでも変化のあったことが、無事に加護が発動したことを意味している。これで大地の唸りは止み、穴は塞がるだろう。妖精に犠牲が出る前に止められてよかった。そして、彼らが意図せずこちらの世界を訪れ、望まない混乱を生むことにならず、本当によかった。ケガ人が出れば、この世界にも妖精たちにとっても、不幸な結末を呼び寄せていただろう。
ひとまず、俺が――二つの世界に縁を結んだ俺が成すべきことは、最低限やり遂げた――はずだ。
出来ていなかったら、どうしよう。後でウンディーネに確認しに行こう。
クジョウはビビりだった。
ちなみに、四大精霊すべての石が集まった光景は壮観ではあったが、やはり少し窮屈だった。石の他にも、ピクシーからもらった祭りの招待状――通称重い女の羽根もある。ネスタ社との契約により、俺が個人的に所有するわけにもいかない。
これからもっとお土産が増えることを想定し、保管室は増設工事が行われることになった。精霊たちも満足だろう。
今回の騒動を引き起こしたジングージは、捜査機関によってホテルから連行された。
ランドル先輩の宝物を奪い、罪を犯すように仕向けたこと、アリシアさんへの暴力に爆弾騒ぎ、そして、アリシアさんを呼び捨てにしたこと。犯した罪は多い。
ジングージ家からの根回しが期待できない以上、処罰は重くなるだろう。だが、この国の捜査機関に確保されただけ、まだ運がいい。パスティア軍に連行されていたら、今頃どうなっていたか分からない。この国の土は、二度と踏めなかったかもしれないのだ。
なぜ、捜査機関は迅速に動けたのか。通報を受けてからにしては、到着までの時間が速すぎる。それは、彼らが前もって、ジングージをマークしていたからだ。
ラボミーティングの後、ゼスタリアさんに呼ばれたヴェスパは、証拠となる映像データを提出したらしい。映像は消去したとされていたものの、情報の申し子が保険を掛けていないわけがない。見えないように細工していただけだったのだ。ヴェスパの行動もさることながら、見抜いたゼスタリアさんも天晴れだ。さすがは、我が社のできる社長である。
俺の潜入に先立ち、ネスタ社は証拠映像をもって、捜査機関に被害を訴えた。そこに、パスティアから爆弾騒ぎの通報が入り、捜査員が派遣された。爆弾騒ぎよりも前から、ジングージを捜査するチームが組織されていたのだ。
ヴェスパは、ジングージの証拠隠滅に加担した。
しかし、それを知るのはネスタ社の人間だけだ。捜査機関には映像が提出されている。法的には、証拠隠滅に協力した事実はない。ヴェスパの処遇は、ネスタ社に――ゴードン・ライトに委ねられた。
結果、メノウとともに作成した無効化プログラムが、俺の潜入を手助けしたことが評価され、証拠の隠滅は不問に付された。
昨日は、キリハラさんお手製のみそラーメン麺固めがヴェスパとメノウに振る舞われたと聞いた。クジョウの方がうまいと言われたキリハラさんは、なぜか嬉しそうだったらしい。
そして、ランドル先輩は――。
「クジョウ、ひさしぶり」
「こんにちは。ランドル先輩」
研究室のドアから、ひょこりと顔を出した天才発明家。
小走りで駆け寄ってきたランドル先輩に合わせ、椅子から降りる。
「もうすぐねんねですね」
デジタル時計を確認する。以前、「今すぐカエルくん」について尋ねようとしたときと同じ時間だ。ランドル先輩にのみ認められた職務専念義務免除――ねんねの時間である。
だが、天才発明家は首を振った。
「おひるね、卒業」
ぽってりとした小さなサムズアップ。
ふふん、と不敵な笑みを浮かべたランドル先輩は、一歩、大人の階段を上ったようだ。
「おめでとうございます」
「うん。クジョウ、ありがとう」
胸元に揺れるロケットペンダント。
その中には、ランドル先輩の宝物――母との写真が収められている。
ランドル先輩は、小さな手でぎゅっとペンダントを握った。
「取り返してくれて、ありがとう」
「はい。どういたしまして」
取り調べの後、捜査機関から返却された写真は、アリシアさんからランドル先輩に渡された。予想通り、ジングージは肌身離さず持っていたようで、拘束時の所持品の中にあったということだった。
御守りと呪い。ジングージにとっては、ずっと後者だったのではないだろうか。写真を盾に罪を犯したときから、いずれ代償を払う日が来ることに、怯えていたような気がする。
ランドル先輩は、脅されていたとはいえ、石を持ち出してしまった。まだ小さいランドル先輩が罪に問われることはないが、雇用は別だ。ネスタ社に所属している以上、会社に損害を与えた場合は解雇の対象になる。
ゴードン・ライトによる決定はこうだ。
――しばらくの間、出勤停止とする。ただし、保護者への面会を妨げるものではない。併せて、今後の勤務においては、監督者の下、業務に携わること。
要するに、しばらくゆっくり休みなさい。でも、ラボメンバーに会いに来るのは構いません。それから、仕事をするときは、ヴェスパやメノウについてもらいなさい――ということだ。
ランドル先輩が望んだ悪事ではないから、ほとんどお咎めなしで済んだのだろうが、ゼスタリアさんがゴードン・ライトに寛大な処置を訴えてくれたことも大きいだろう。
かくして、ラボメンバーの居場所は守られたのだった。
ランドル先輩は、今日も元気に面会に来ている。
「みんな言ってた。クジョウのおかげだって」
「……いいえ。それは違います」
あの日、この場所に集まったラボメンバー。パスティアから動向を見張っていたサザモフさん。社長室から的確な指示を出したゼスタリアさん。
「みんなが力を合わせたんですよ」
なぜなら、その頼もしいみんなは、
「ランドル先輩の保護者一同ですから」
「……うん」
小さな天才は、恥ずかしそうに笑った。




